真留句はこう言った

河流 真留句 (カワル マルク) の物語 ・・・初めて当ブログにお越しの方は【真留句はこう言った 0(ゼロ) ブログ案内】からお読みになる事をおすすめします。

真留句はこう言った コロナ以前-25 真留句の序説 Ante coronam

すべての人のための

しかし

だれのためでもない

ブログ

 

 

真留句の序説

 

 真留句は35歳にして、それまでに会社で働いて貯めたお金を抱えて田舎に籠もった。

そこで彼は質素倹約生活を送り己の孤独と貧乏生活を楽しみ、10年の間なんとか生活していた。だがついに、彼の現金は底をつき始めた。ある日彼は、もはや紙幣のなくなった財布のうちの硬貨を見つめると、硬貨に、すなわちお金にこう語りかけた。

「おん身、人の創りし偉大なる創造物よ!人の身の誰もが恋焦がれる創造物よ。しかし、もしおん身が、商品と交換できないとしたなら、誰もがおん身と持ち物の交換を拒否するとしたなら、おん身の偉大さとはいったい何であろう!

 見よ!私の財産は底をつき始めた。しかし、私の知恵は、認識は、財の減りと共に、さながら蒔きすぎて密になり過ぎたそば畑の花のように頭の中を満たし、あふれ出ようとしている。私には、おん身を求めて差し伸べられる手の如くに、認識を求めて差し伸べられる手が必要なのだ。 

 私は人間のうちの富裕者が再びおのれの貧しさを、そして私の如くに貧乏人たちが再びおのれの富を喜ぶまでに、惜しみなく贈り、分かち与えたい。

 それには、私は布教みたいことをせねばならない。さながらおん身を得んが為に托鉢をする修行僧の如くに。

 私はおん身と同じようにたくさんの人々の手を渡り歩かねばならない。

 されば、私を祝福せよ。どんな大きな幸福にもどんな不幸にも立ち会ってきたおん身、冷静沈着な眼よ!

  今まさに収穫されようとするそばの実を祝福せよ。それより前の時期、畑がそばの花で彩られる頃、飛び回る蜂さながらに、おん身の本質をあまねく運び伝えるようにと!

  見よ!この畑は再び土だけとなり、雑草だらけになるだろう。そして真留句はふたたび世人に戻ろうとするのだ。」

こうして真留句の田舎生活はピリオドを打った。

 

 

 真留句はただひとり田舎を出て、何人も彼に出会う者はなかった、否、車とは 何度も 、すれ違ったが生身の人とは出会わなかったのである。彼はかなりの日数を歩き、ついに街にたどり着いた。彼は歩くことと自転車をこぐことにかけては自信があったのだ。

 

そのうち、質素な身なりの老人が話しかけてきた。

「私はこの男に見覚えがある・・・・・お前は真留句ではないか?かなり以前、さながら浮浪者だか悟りを得た幼子さながらに山奥に向かっていったのを覚えている。そのような者が再び、この騒々しい都市にやってきて、いったいどうしたというのだ?」

 

「私はかつて会社に勤めてお金を貯めました。そして念願の田舎生活をするために退職して中山間地に移住したのです。しばらくは静かで時間と心にゆとりのある生活を楽しみました。しかし、ついに蓄えの貯金も底を突き始めました。

それに、数年経つと、山の生活も街における生活と同じくらいに騒々しく、心や時間にゆとりがなくなることに気がついたのです。」

 

「そんなことはなかろう、農村は静かで空気も水もきれいであろうに。眺望もいい。」

 

「はい、確かに。私の住んだ農村はそれはきれいな水田が広がっています。棚田なのです。夜は月もきれいで、蛙や虫や風が天上の音楽を奏でます。グールドもこの蛙や風の歌はきっと好むであろう、そのようなものです。

雑草のない、きれいな棚田というものは農家の努力の賜物です。しかし往々にして刈り払い機の騒音と、刈った雑草を燃やす煙の賜物であることも多いのです。

しかし我が隣人たちはセンスが良く、勤勉ながらも刈り払い機を使うべき時と、使うべきではない時とをわきまえています。

 

雨上がりの朝の何とも形容しがたい神秘的な朝。湿った空気はもはやエーテルと言った方がいいくらいで、そのような大気に包まれ、鳥のさえずる声が聞こえる朝。

 

 我が隣人たちは、そのようなかけがえのない時間や空間に草刈りをして、神の恵みを台無しにしてしまうような人はいません。

 しかし、野暮な誰かがうっかり勤勉に刈り払い機のエンジン音を立てて、そのような時間と空間を台無しにしてしまうことが稀にあるのです。そうすると感性ある我が隣人たちも諦めて、野暮な勤勉な者に続くことにして仕方なく勤勉にエンジンをかけるといった次第なのです。

そのような素晴らしい自然環境と隣人にも恵まれた私だったのですがお金がないばかりに、その土地を去らねばならなかったのです。

 

ところで田舎暮らしというのは単身者や核家族には大変なこともあるのです。

3世代の家族がいれば、私と同じ年頃の夫婦は会社勤めし、現役を退いた祖父世代が農業や地区役員を担い、祖母が家事をする。そのようにして中山間地の生活は成り立つのです。私のように単身者や核家族には時間や心のゆとりが足らないのです。会社勤め、農地の管理、家事、そして地区行事、これら34人がかりでする作業を、1~2人でせねばならないのです。時間や心のゆとりは、このような街のアパートに住んだ方がまだあります。田舎暮らしはいろいろとやることが多いのです。田舎の市営住宅がいいかも知れません。」

 

「あなたは、まだ過疎がそれほど進んでいるわけではなく、地区行事もさかんな地に移住してしまったのではないか?中途半端な土地ではなく、もっと過疎の進んだ土地ならば地区行事もそれほど単身者や核家族の生活の負担になるほどではなかったろうに。」

 

「あぁ、なんと察しのよい方だろう、このような街中にいて、それほどの推論をなさるとは。確かにあなとの言う通りだろう。ところで、世の中があなたのように目が利く人ばかりなら、市場も世界もこのようではなかったでしょう。商品が備える諸々の属性のうちで誰であっても目利きとなり判断できるのは値札に明示された価格くらいなものです、198円、といった類の。その他の商品の属性、とりわけ、その本質はホームズやあなたのような目利きにだって、常に正しい判断を下せるとは限らないのです。それ故、誰もが目利きになれる明示された価格という商品の属性が今日の資本主義社会においては他の属性から抜きん出るのです。そして少数の目利きにしか判断できない商品の本質という属性は脇に追いやられるのです。価格という属性、そしてもちろん安いという方向にすべての商品は牽引されるのです。かくして今日の市場には、安くて、品質はあからさまに落第点でなければそれで良しとされる商品があふれるのです。職人が経験と手間と魂をかけた高値商品は選挙で落選します。誰もが、わかり易いキャッチコピー、すなわち価格で投票先を決めるのです。

 かくして、【悪品は良品を駆逐する】といった次第で、現在、世の中、市場(しじょう)には悪品が幅を効かせているのです。」

 

「目利きと褒められるのは、この年をとった身にもうれしいことだ。だがしかし、残念ながら、あなたの話の後半は難しく、よくわからなかった。しかし、お金に関することだということはわかる。このような都市においてはお金がなくては生活できない。」

 

「田舎でもやはりお金は要ります。ある程度までは自給自足もできますが。」

「お金は信頼できる下僕だ。お金をいろんな商品に替えることで私は生活してゆける。お金は人と違って私を裏切らない。」

真「まさしく、そのお金のことなのです。私が再び街にやってきたのは。お金の姿が、本質をつかめたとは思えないのですが、私がわかったことをあなた方に伝えに参ったのです。」

「何を今さら。先ほど私が言ったように、お金は物と交換するためのもの。そして我々人間の忠実なる下僕なのだ。我々人間が創造した商品の交換をし易くする潤滑油なのだ。私は今は年金生活だがあなたくらいの年の頃は勤勉に働いてお金を錬金したもんだ。そうして汗水たらして働いたお金は使う時も慎重に考えて使うようになる。いい商品にしか錬金しない。楽して稼いだあぶく銭は往々にして、くだらんことに錬金をしてしまうものだ。」

 

「さよう、私もそのように感じます。」

真留句はそう言って合槌を打った。そして老人と笑みを交わして別れた。

 

 

それから、しばらく真留句は街を歩いてから公園のベンチに腰かけた。

そして独白した。

「何ということだろうか!かの勤勉だった定年退職者は都市にいて気がつかなかったのだ

。人が金(カネ)の下僕、奴隷となってしまったことを!。」

 

先ほどの老人は善良なる労働者にして消費者だったようだ。確かに彼の話の後半、楽して稼いだお金はくだらぬことに浪費してしまう、という部分は頷ける。しかし、前半の【金(カネ)は人の下僕なり】という部分にはひっかかる。わが師ゾロアスターは「神は死んだ」と言った。そして空席となった神の地位に就いたのは金(カネ)であったように思われる。中世、神がまだ壮健でありし頃は世界中が神を話題にしていたであろう。その如くに、今日、我々は金(カネ)について話題にしている。また、かつて音楽というものは神への捧げものあったのに、今日ではお金に捧げらる始末だ。

 

金(カネ)が神になったからには、人は金(カネ)の下僕、奴隷なのではないか?

人は神の下僕なのだから。

 

 少子高齢化の現代において人がこの世に生まれてくるのが望まれるのは、金(カネ)と経済活動を維持するためではないか?

 

 いつの間にか主従が逆転している。かつては、確かに金は人の下僕であったろう。しかし、このような主従関係、力関係は時間が経つごとに力が一方から他方に移行して、関係が逆転することが多いものだ。原初は商品を作る為に企業があった。しかし今日は企業を存続させるがために新しい商品が作られる始末だ(しかし需要は低い。需要を誘発することで販売するのだが。)。しかし金(カネ)が全知全能なる善良なもののようには、この真留句には思えない・・・。

 ここで思い切って師ゾロアスターの如くに「カネは死んだ。」と言ってもよいのだろうか?確かにそうかも知れない。

 

 山暮らしで幾つかのものを自給自足してみてわかったことがある。味噌や米や野菜は自分で育てた方が美味しい。というか本物である。市場に出回っているのは高いこだわり商品とはいえ所詮お金で買えるものは本物足り得ない。そのように感じれる部分もあった。

 

 しかし、私が山を降りたのは他ならぬこの金(カネ)が無くなったからではなかったのか?金は無力ではない、死んではいない。それどころか最盛期を迎えているのかも知れない。しかし、、金(カネ)もいずれは死ぬのではないだろうか?

だとすれば、どのような経緯を経て、どのような形で死を迎えるのだろう?

お金があっても物は買えない、そんなことが果たして近いうちに起こりうるのだろうか?」

 

真留句はこのように、言った。

 

 

(真留句の序説 おしまい )

真留句はこう言った コロナ以後5 熊の冬眠 (冬のコロナ第3波の備え) Post coronam

晩夏に真留句は彼の庵で熊とテーブルを挟んでいた。

 

森の生き物たちの王である熊も彼の友である。

真留句は熊に敬意を払っていた。

 

熊は真留句に問いかけた。

 

クマっち「我が友よ、そのうち冬がやって来る。コロナウィルスは食べ物や生鮮食品と同様に高温多湿や紫外線が苦手と聞く。だというのにお前達、人の世界においてはコロナ感染が拡大しつつある。即ち、コロナウィルスがやや抑制される気候だというのにコロナの影響が大きく出ているのだ。

 これはお前達が経済活動を続けるが故なのだが。

そして、低温乾燥の冬は、コロナウィルスが好む季節なのだ。

お前達、人の社会、経済社会にとって今度の冬はコロナによって【社会的な冬】となるであろう。

そしてお前達、人は近年は科学の力、エアコンや豪雪地帯における除雪車などで冬の気候的障害に逆らって活動してきた。しかしお前達も生き物のうちには変わりないから、やはり冬の気候は生理的に苦手であろう。

この、生理や移動に影響を及ぼす【気候的冬】と先ほど話したコロナによる【社会的冬】によって、人の世界は真の冬を迎えることになると言っても良いだろう。

さあ、我が友真留句よ、お前達、人は、どのように今度の冬を過ごすのかね?」

 

この森の王の問いかけに真留句はしばらく目を閉じて考え込んだ。

それから、目を開くと熊の姿をじっと見つめながら話し始めた。

 

真「我が友にして森の王よ、私は、我々、人もあなた方のやり方を見習えば良いのではないか、と思う。」

 

この真留句の短い回答に熊は長い言葉を返すのだった;

 

ク「真留句よ、お前達、人も我々のように冬眠しようというのか。なるほど、お前らしい回答だ。

我々が冬眠するのは、次の理由からだ;

 

冬は雪があれば動きにくく、温度も低いからエネルギーの消費が大きい。その割にエサも少ない。

 

木々が葉を落とすのは次の理由からだ;

冬は太陽の光も弱く、葉に太陽光線を十分に受けることができない。そして低温時に活動するのは生き物にとって余分なエネルギーを消費するのだ。

 

だから葉を落とす。お前達、人の言葉を借りるならば【葉のリストラを行う】ということになる。

 

要するに冬は苦労して動いても得るものは少ないのだ。お前達、人の言葉を借りるならば【生き物にとって冬はコスパが悪い】ということになる。

 

 しかしながら、お前達、人は別だ。科学の力、エアコンで温度を高くし、除雪車で雪を押しのけ、経済活動を続行する。

 ひと昔前、火の力で冬をしのいでいた頃になら、なるほど人も冬は冬眠をしているようなものであった。しかし最近では科学の力の発展故に、そして経済の発展故に、冬でもあなた方の社会活動、経済活動は冬眠することは許されないようになってしまった。

真留句よ、現代においては人に冬眠は許されないのではないか?

 人も半ば冬眠が許されたところの昔の生活の方がコロナ対応には良かったのではないか?」

 

真「賢き森の王よ、我々、人も秋のうちに経済活動をなるべく済ましてしまえば良いのではないかと思う。あたかも、あなた方が冬に備えて、冬の分の採取活動を秋に終えてしまうように。」

 

ク「しかし、お前達、人間の経済活動は貪欲であって、足るところを知らない。常にできうる限り全力で行われているように見受けられる。冬の分を秋のうちに、などとは言わずに常に【出来うる限り未来の分を今のうちに】ではなのか?常に我々の秋の如くに経済活動を行っているように見受けられる。だから、それをさらに拡大などとは出来ないでしょう。」

 

真「確かに、大筋ではそうなのでしょう、あなたの言うことは正しいように私にも思われます。人はそう簡単には経済活動を何倍にも拡大することは出来ませんし、全面的に冬眠をすることも出来ない。できることは部分的、限定的にあなた方の冬眠を真似ることだけでしょう。

部分的、限定的分野で秋の備蓄をして冬には冬眠するのです。

 

 先ず、第一に消費者、個人、庶民レベルでは秋のうちに米、じゃがいもなど長期保存の効く食糧や灯油などの必需品や冬を越す設備を購入し備蓄する。

 この消費活動は単に12月~3月の季節的な冬を乗り切る備蓄、というよりは、次のように思い切って購買活動をするのが良いかも知れません;

 

 コロナで倒産する企業も多いですし、お気に入りの物品を生産してる企業なりその下請け会社が倒産して、もうお気に入りの物品を買えなくなるかも知れない、だから、今のうちに買っておこうとか、もっと過激に大不況などが起きて経済システムが麻痺してしまい「お金があっても物は買えない」などという状況を想定して、正に、今週のお題「もしもの備え」のつもりで思い切って今のうちに買い物、消費活動に走るのです。

 大不況など「社会的な冬」の期間を乗り切れるくらいの備蓄をするために、思い切った消費活動をするのです。

 私はカッサンドラーのような預言の力は持ち合わせておりませんから、そういった大不況が起きるのかはわ、かりません。

 しかし金(キン)も高騰しているのだし、インフレを予期してる人が多いのは確かでしょう。大不況が今後近いうちに起きるにせよ、起きないにせよ、貨幣を日用品や必需品、お気に入りの物品のストックなどの現物に替えるのは金(キン)を買うよりも有用なことのように思えます。

 とはいえ、人が私の言うことに耳をかさないことに関して、そのことに関してはカッサンドラー並みかも知れないのですが。

 

2に生産者、企業レベルでは消費者の秋の備蓄で拡大した消費、需要に応じて生産を拡大する。

 

 そして雇用している労働者に多く賃金を支払う。

 消費者たる労働者はまた、思い切った消費に走る。

 

 このように冬にコロナ第3波がやって来る前に消費活動、生産活動といった経済活動のサイクルをなるべく回転させる。

 

 あたかもあなた方、冬眠前の熊が胃袋に食糧を食い貯めるために採取活動を拡大させるが如くに人間社会も冬の第3波前に経済活動回転を拡大させるのです。

 

経済活動の回転のサイクルが早まれば、効果は限定的分野のみかも知れないが、幾分、冬の分の経済活動を秋のうちにやったことになるでしょう。

 

そして冬の労働者の通勤頻度、労働頻度を少なくして、部分的に冬眠するのです。コスパの悪い冬はなるべく動かないようにするのです。

 

このあたりの誘導や助成は行政が行ってくれるのを祈りましょう。

 

そして、あなた方と一緒に春の訪れを待ちましょう。」

 

真留句はこう言った。

 

 

 

 (冬のコロナ第3波の備え)

真留句はこう言った コロナ以前-15B 人生三分の計つづき 子供の教育費 Ante coronam

この文章はコロナ以前− 15A人生三分の計の続きです。

 

真留句がここまで言い終えると、長三が次のように言った;

 

長三「あなたの言われる人生三分の計、そして半ZXは、このご時世に有効なライフスタイルのように私にも思われる。

 確かに、まともに働いても馬鹿を見るように私も肌で感じている。世の他の人々もそうであろう。正当な労働の対価も得られない賃金。そして、なけなし賃金を苦労して貯めた貯蓄すらもさらにインフレによって、かすめ取られるのだから。しかも労働やマイカー通勤が地球温暖化、異常気象発生の手助けをしているのだから、このままのライフスタイルを変えるべきなのはもっともなことに思える。

 だが、しかし、私には家族が、子供がいるのです。真留句よ、あなたのように独り身ならばいざ知らず、家族が、子供がいる者には人生三分の計や半ZXのライフスタイルは無理ではあるまいか?

 子供を育て、多少なりともマシな生活を送らせるために大学に入れてやるには、多額の教育費が必要なのです。我々のように困窮した人生ではなく、社会で良いポジションにつかせるためには、良い大学を卒業させ、良い企業に就職させねばなりません。繰り返します、多額の教育費が必要なのです。

 あなたの人生三分の計や半ZXのライフスタイルでは収入が少なすぎて、教育費を貯めることはできないでしょう。」

 

長三がこう言うと、真留句は答えた。

 

真留句「家庭を持つ者にとって、人生三分の計は、あなたのおっしゃるように、その収入の少なさ故に採用し難いと思うのはもっともであろう。

 しかし、私は気にせずに子を産み育てられよ、そして経済力の無さ故に結婚や婚活を躊躇しているカップルがいたならば、結婚し家庭を築かれよ、と申し上げたい。

 その理由をお話しましょう;

 現在、教育費、即ち、子供の教育にお金をかけるのはコスパが悪くなりつつあります。確かに私達の親の世代や団塊世代でしたら、大学卒というのは社会を生きる上で極めて有効なチケット、武器になりました。大卒、優良企業就職が人生の有効戦略であった訳です。

 ところがその子供世代になると、その有効性は減ってしまいました。大卒でも職に就けない氷河期時代もありました。

 親が子供に良い人生を送らせたいと思い、自分の時代の有効戦略を子供に施そうとするのはもっともなことです。しかし、その子供達が大人になる頃には親の頃の人生有効戦略は時代遅れになって通用しないようです。最近は時代の流れが速く、スピードの時代とも言われますし、そのせいかも知れません。

 今後も、教育にお金をかけるコスパはもっと悪くなって行くでしょう;

 以下に述べる理由から個人の技能や能力が企業において無意味、無価値になってくるからです;

 企業はなるべく個人の能力や技能に頼らずに、会社を運営できるように会社のシステムを作って行きます。職人や特定の個人の能力に頼ると、その人々に高い賃金を支払わねばなりません。会社を運営、営業するにあたって、誰とでも代替の効く仕事、誰でもいい仕事、そういうものをなるべく増やすように会社のシステムを構築します。その方が求人も楽ですし、人件費のコストも下げることが出来ます。それは労働者側からすると、生きがい、労働者としての自分の価値と賃金の低下、ということになるのですが。

 また、話題のAI技術、これも会社における個人の知的能力をある程度、無価値にしてしまいます。このことに関しては、次の類比を考えられるとよろしいでしょう;

 古においては、力持ちの男性というのは、現在よりも、もっと重用され尊敬されていたことでしょう。しかしながら、重機の登場によって、力自慢はそれまでほどには、珍重されなくなりました。力の世界において重機がもたらしたことと同様のことを、知の世界においてAI技術は引き起こすことでしょう。AI技術は知の世界の重機のようなものになるでしょう。(※とはいえ、現在でもある局面では力が物をいうように、将来も部分的な局面では知能が物をいうでしょう。)

 以上のことから、会社、労働市場における個人の技能、能力の無価値化が進み、大卒だろうが、中卒だろうが、うちの会社のシステムにとっては誰でも同じ、誰でもいい。そんな仕事が95%以上を占めるようになるのではないでしょうか。

 ですから、子供の教育費には多額の現金をかける必要はない、と言ってよろしいかと思われます。

 

 将来はかくの如く、誰でもできる、誰とでも代替可能なやりがいの無い低賃金な仕事が95%以上になることでしょう。

 人生三分の計でその仕事(アルバイト?)で最低限の生活費を確保して、自らの使命たるXや農業、芸術、家族との団欒を、自らが納得できる時間を、人生を、この防御ラインで死守するのです。」

 

真留句のこの回答に長三はさらに尋ねた。

 

長三「あなたの答えはけっこう納得できる。それでも、私には子供の教育が必要なように思われる。あなたがおっしゃったのは将来、子供に学歴が必要ない、学歴を得るコスパが悪い、あるいは、会社で働くにあたって、即ち労働者、労働力商品として知性、技能は無価値になる、とおっしゃてるようだ。しかし、何らかの本質的な教育が必要なのではないのですか?」

 

真「あなたのおっしゃる通りです。私も子供が今後、生きていくための技能、生活するための知性、技能を身につけさせる、といった教育の本質的な部分は必要だと思われます。」

 

長「それは、どのようにすればよろしいのか?」

 

真「昔のライフスタイルを参考にしなさい。昔は子は親から生きる術を伝授されました。親である、あなた自らが子を教え育てるのです。また職人の徒弟性というのも、優れた教育法と私には思われます。

 現金で解決、取引するあらゆる分野は、農、衣、食、住、芸術、教育は、経済競争にさらされ、効率性や商業主義の名の下にその質は低下しつつあります。経済性故に教育者となった者、あるいは、真に教育を志す者も、現在の学校のシステムのために、その力を余すことなく発揮できない環境にあります、そのような教育制度に子を任せるのは得策ではなくなりつつあります。

 あなた方にはお金で教育するのではなく、自らの手間によって、即ちDIYと言ってもよろしいでしょう、それらで子を育てるのです。自らがまさしく子を育てるのです。現在、学校が担っている学問の分野においても。

 自らの農作業、あるいは労働、芸術に浸る姿、いろんなこと(家事、自炊など)をDIYで行う姿を子に見せ、そして子にも手伝わせ、あなた自身の生き方を渡し継ぐのです。

 また現代はインターネットで調べることであらゆることがDIYし易くなっています。教育、学問に関してもあなたご自身や子自身がインターネットで調べ自ら学べばよろしい。

 

 あなた方がもし、このまま、お金で教育費で子供の良い人生を確保しようと苦しみながら会社で働くならば、あなた方の子もきっとあなた方と同じ道をたどり、そして、子の子たるあなた方の孫も、同じ道をたどるでしょう。あなた方の一族はそうして、お金を介して見えざる【資本主義社会における王】にお金を貢ぎながら生きてゆくことになりましょう。 

 

 さあ、ここで鎖を断ち切るのです。生きてゆくには最低限以上のお金は要りません。

 

 さあ、お金ゆえ生活に困窮する者も、臆することなく恋をし、婚活し、結婚し、子を産み、育て、家庭を築かれよ、戦前の多産であった昔のライフスタイルを真似られよ。」

 

真留句はこのように言った。

真留句はこう言った コロナ以前-3 整理整頓 Ante coronam

  とある日の朝、真留句は鉄道駅の方へと足取りも軽やかに歩いていた。

 彼の友であると同時に弟子である者の家を訪れるためである。その際に鉄道列車に乗る必要があったのである。

 

今朝、彼が軽やかであったのは足取りだけでは無かった。身も心も軽やかであったのである。

 

「昨晩の私の選択はどうやら今回も正しかったようだ。」

 

彼はそのように自分以外には何のことか、わからない独り言を呟いた。しかし読者はこのまま読み進めば何のことだか、わかるようになるだろう。多少、読みにくい構造の文章ではあるのだが。

 

 真留句が駅の待合室に入ると、テレビがおいてあり、料理番組が流れていた。料理研究家らしき女性がテレビの中で何やら話している。

 

 他方、待合室の客の中にラジオを着けている者がいて、何やら経済政策のことを論じているらしい音声が流れていた。1人の経済評論家らしき男性がラジオから延々と何やら話している。

 

 真留句が待合室の椅子に腰掛けて、目を閉じると(彼は瞑想を毎日行っているので、こういった状況では半ば目を閉じることが多いのである。)、耳にテレビとラジオの声が聴こえてきた。あたかもテレビとラジオの2重唱(といっても歌ではなく会話だが)のようであった。

 

 

テレビ「時間に余裕がなくて自炊する暇がない、そんな方も多いと思いますが、今日は、そんな方々のために調理時間短めの時短簡単レシピの・・・・」

 

ラジオ「長引く不況を乗り切り、企業が生き残り、経済成長してゆくためのお話を今回は・・・・」

 

 

このテレビとラジオの2重唱を聴きながら、真留句は昨晩と今朝の自分のことを考えていた。

 

真留句『時短簡単レシピか・・・そういえば昨晩、私は夜も更けてから空腹を覚えた。しかし眠気も少し感じていた。そこで夕食を食べてから寝ようか、それとも夕食を抜いてすぐに寝てしまおうか、と迷ったのだった。

 夕食を作って、食べて、そして忘れてはならない厄介ものは、調理器具、食器洗いといった後片付けである。これらをこなすと少なくとも2時間はかかる。即ち、朝に同じ時間に目を覚ますとすれば、睡眠時間が2時間は短くなる。』

 

そうこう真留句が思い返しているとまた、テレビとラジオである。

 

 

テレビ「トマトはビタミンCが豊富ですから・・・・、」

 

ラジオ「不況を乗り越えるためには企業に対する減税を続け・・・・」

 

真留句『私は自由人のように傍目には見えるかも知れない。だが私は1人暮らしであって、生活費を稼ぐためのアルバイトにも行き、家事もこなし、そして農作業もして、などなど、いろんなことを一人でこなさねばならず、私はけっこう時間に余裕が無いのである。

 そして1日の労務を1人でこなして終える頃には夜も更けて、他の人が眠る頃にまだ夕食にありついていない、ということがけっこうある・・・・』

 

 

テレビ「トマトはビタミンCがニンジンの3倍以上もあって・・・・・」

 

ラジオ「企業としては隠れた需要を掘り起こすこととイノベーションが・・・・・」

 

真留句『だから先ほどの迷い(=寝るか、夕食をとるか)には、よく出くわすのである。そして経験上、夕食よりも睡眠を優先すべきであると思うようになった。

 昨晩も食欲を振り払い睡眠を選ぶことで、今朝は心地良い朝を迎えたという訳なのだ。』

 

 

 

テレビ 「1日に30品目以上の素材を食べて、栄養をきちんと・・・」

 

ラジオ「経済成長のためには、イノベーション規制緩和が・・・・」

 

真留句『私は、この選択が合理的であることの幾つか理由を次のように考えている。

 

  1. 1.現代人のかかる病は栄養不足に寄るよりは、むしろ栄養の取り過ぎで生じている場合が多いこと。

 

  1. 2.現代人は栄養不足よりは睡眠不足、睡眠負債の方が大きな問題であること。

 

  1. 3.太古の昔は、人は睡眠は容易にとることが出来ても、食料はいつでも入手できる訳では無かった。それ故、人は体質的に食料の飢えにはある程度、耐性はあるが、睡眠の飢えに対する耐性は無いのである。この3つ目の理由は1つ目、2つ目の根拠も説明している。

 

 

 私の考える睡眠優先の理由は以上である。

 

 そして私は睡眠を1つの整理整頓のように考えている。

 

 睡眠とは人の心の身体の整理整頓であると。寝ることで、無駄なものが捨てられ(忘却や翌朝の排せつ物という形で捨てられる)、身体や心の働き、機能が整理整頓され、身体や心のエネルギーが効率良く発揮できるようになると。

 

 そして食事とは商品の買い物にあたると。家において、買ってきた物を整理整頓、収納せずに買い続ければどうなるか・・・・・。現代の我々が大事にすべきは、食事よりも睡眠なのだ。』

真留句はそのように追想した。

 

 

テレビ「皆さん、この時短簡単レシピで毎日3度の食事を欠かさず食べて、健康な生活を送って下さい。」

 

ラジオ「イノベーションが求められる時代が来ているのです。」 

 

列車の近づく音が聞こえてきた。