真留句はこう言った

河流 真留句 (カワル マルク) の物語 ・・・初めて当ブログにお越しの方は【真留句はこう言った 0(ゼロ) ブログ案内】からお読みになる事をおすすめします。

真留句リスト 真留句はこう言った 解説版3 ver.2.6

 この記事では脱資本主義のライフスタイルの、具体的なたくさんの行動をリストとして書き下すことにする。

 

 別記事、要約 解説版1では以下の事を述べた;

 

 ● 次のライフスタイルは、だいたい同じライフスタイルになる、一致、重複する部分が多い;コロナ対応のライフスタイル、脱資本主義的ライフスタイル、温暖化対策、持続可能な(SDGsな)ライフスタイル、現代の人間の幸福度を高めるライフスタイル、

 

 ● その大きな方向性は【昔のライフスタイル】を取り入れる事であり、その中でも特に大きな柱となるのは【生産と消費において、必需品(=衣食住に関わる商品)と、ローカルにウェイトを置くこと。】となる。

 

補足をつけて書けば【生産(=労働)と消費(=買い物)において、衣食住に関わる商品(=1次産業の商品)と、ローカル(=地産地消)にウェイトを置く。】となる。

 

本記事ではなるべくたくさんのやや具体性を帯びた行動を書く事にする。

 

 各項目はコロナ対応、対過剰資本主義の両方に有効な事柄もあれば、コロナ対応にはあまり関係なく、過剰資本主義対策のみに有効な事柄もある。

 リストの後には各項目に対する多少~長い、コメントを書いてみた。

 

 なお、あらゆる局面で【バランスと調和】がキーワードとなる。【中庸こそ黄金】と、いう諺が西洋にもある。我々東洋には【過ぎたるは猶及ばざるが如し】がある。現在の資本主義の状況はまさしくこの2つの言葉が相応しい。

         

 中庸、即ち、バランス、均衡が大切というのは、古今東西、変わらないようである。

 なお、このリストは未完成である。完成は読者に委ねられている。

 

 

【反資本主義的ライフスタイルリスト】

 

【ローカル】と【バランス、均衡】はいろんな局面でキーワードとなる。

 

  1. 1.買い物 (=消費活動)

 1-a・・・買い物の際には衣食住、1次産業の商品にお金をかける(もちろん家を持っていたり、衣服を十分に持っている場合は買う必要はない。)

  1-b・・・買い物の際にはなるべく近くの商品を近い場所で買う。(ローカル)

 1-d・・・機械に作られた商品ではなく人の手がかかった商品を買う。

1-e  他人のX(半農半X等の好きな仕事Xの事)の商品、サービスを買う。

 

 

  1. 2.働くこと (=生産活動)

 

 2-a・・・本物と呼べるような1次産業の商品の生産を目指す。新しい商品やサービスをイノベーションする必要はもはやない。

 

 2-b・・・複業してみる。(アンチ分業・・・資本主義における局所的効率性と昔のライ

フスタイルのおける大局的効率性)

 2-c・・・生活の中でDIY(=自分ですること)する事を増やす。

2-d・・・機械ではなく、人の手で労働し商品を生産すること。手業の復権

2-e ・・・労働の際に、半農半Xあるいは半Z半XにおけるXのような、自分が好きな事、労働している間、幸福感を感じられる仕事、あるいはやりがいの感じられる仕事をする。

 

  1. 3.身体を動かす

   3-a・・・労働  肉体労働、農業、林業

   3-b・・・移動  徒歩、走る、自転車、公共交通機関

 

  1. 3.教育

寺子屋形式、職人の徒弟制、家庭における教育、自学自習(DIY)、独学を重視、一度、社会人になってから、大学入学

 

  1. 4.借金しない(ローンしない)

 

  1. 5.田舎で生活する

 

6、薪ストーブを使う

7、睡眠を重視する。冬季はなるべく冬眠を目指す。

8、3世代家族、4世代家族で生活する。核家族はなるべく避ける。

9、結婚して子供を産む。家庭を築く。

10、きちんとした道具、商品を修理したりして末永く使う(そのようにすれば、労働力商品たる人も使い捨てられることなく、末永く社会で重用されるだろう。)

11、商品にせよお店にせよ、ある程度、便利ならば満足すること。便利と不便の両極の間にあるバランスを意識して選ぶこと。便利すぎるのには何らかのデメリットがある。

 

【科学技術、ライフスタイルのうちで残すものリスト】

 

51、インターネット(情報通信技術、あまり過剰になり過ぎないように)

52、デジタル地域通貨

(仏か悪魔はわからぬがコロナの託宣【リアルはローカルに、ヴァーチャルはグローバルに】を体現するものとしての)

 コロナで疲弊した地域経済立て直しの救世の御仏たりえるかも

 

【そぎ落とすもの、捨てるものリスト】

 

  1. 81.原子力発電所 (核兵器
  2. 82.AI技術
  3. 83.過剰な商品、システム(これは便利過ぎる商品、サービスのこと。過剰サービスの商品版)
  4. 84.使い捨て商品の使用(労働力商品たる人間も使い捨ての様相を帯びている。)
  5. 85.経済成長

 

【削減するもの、形態を変えたらいいかもリスト】

 

101、化石燃料を使うもの(エンジン、レジ袋、プラスチックトレーなど)

102、マイカ

103、飲食店(飲食店は必要だが、コロナ前までは過剰にあり過ぎたのでは?)

104、芸術活動(昔のお祭りにおけるが如くに個人個人が人生の一部の時間を芸術家として生きる時間を持つこと。専業(分業)芸術が過剰になり過ぎてるのでは?)

105、現物のグローバルな取引(輸入、輸出のこと)

 

【昔のライフスタイルのデメリット】

 

151、大雑把に言うとボンビーになり易い。収入は減る。金銭面には苦労しそう。これは、昔のライフスタイルを取った際の主要なデメリット、障害となる。そこはとりあえず節約やDIYで対処する。ライフスタイルをシフトすれば低収入でも十分豊かで幸福な生活が送れるはず。セミリタイヤ系ブログの生活術も参考になる。農産物など必需品の一般市場価格は安いので何とかなるだろう。

 

 

【ライフスタイルの転換のチャンス】

 

現在、コロナ状況下で失業、出勤日数減、倒産など、好ましくない状況である。

 しかし、どんな悪い事柄にも必ず良い面があるものである。

 1つは、他の新しいライフスタイルへの転換が安定状態の時よりもし易くなっている事である。し易いというよりは転換せざるを得ない、とも言える。

 経済学の用語では機会費用が低下していると言える。

 機会費用が低下しているのであれば別の行動を取り易くなる。

 このコロナの好ましくない状況を活かして、脱資本主義、地球環境保全のライフスタイルを目指すのもいい気がする。

 

【理想的なライフスタイルに持ってゆく過渡的な戦略】

 

151のデメリットで述べたように、反資本主義ライフスタイルへの転換は金銭的不安を伴う。では、そのようなライフスタイルにどのようにして持って行くのか?

 

例;現在、給与を得て生活しているならば、会社から労働時間短縮の申し出があったら積極的に応じたり、転職したりして労働時間を減らす。そのようにして、とにかく、自分や家族が自由になる時間をまず確保する。給与所得が多少なりともある限り金銭面の不安はある程度拭い去る事ができる。

 現在、給与を得るための₊仕事がやりがい、生きがい、地球環境、社会分業重要度において好ましくないと感じられたならば、とにかく少しずつ、給与を得るための労働時間を減らす。そして自分の時間を少しずつ増やす。何といっても必要な資源は【時間】である。

 その時間を使って、自分のやりたい事をしたり、DIYで商品、サービスを生産したり、このリストのライフスタイルで生活を成り立たせる。

 そうして給与を得るため会社で働く時間を段階的に減らして、自分の理想の状態へ持って行く。

 自分が取り戻した時間を使って、DIYで生きていくに必要な商品、サービスを生産したり、余れば、他の人の商品(=結局は労働)と交換する。つまるところ、経済とは労働と労働の交換で成り立っているのである。おカネに替えたり、デジタル地域通貨でやりとりしたり、物々交換したり。途中、おカネに変わろうとも、最初と最後に注目すれば、交換されてるのは自分と他人の労働である。交換方法はオーソドックスなのはおカネだが、他もあるだろう。

 

※ 過渡戦略については、【真留句はこう言った コロナ以前ー6A 人生三分の計】も参照のこと。

 

 

【各項目に対してコメント】

 

〇 1、買い物

 

1-a・・・買い物の際には衣食住、1次産業の商品にお金をかける

 

 もちろん家を持っていたり、衣服を十分に持っている場合は新たに買う必要はない。衣服はある程度買ってしまえば、そんなに頻繁に買う必要はない。それゆえ買い物の際は衣食住に、というのは、即ち、買い物の際は食べ物にウェイトを置く、となる。

 家に関しては割高でも100年は持つような孫以降の世代まで持つような家を建てるのが反資本主義ライフスタイル。日々の貯金で貯めることになる。

 あるいはもっと現実的なのは田舎の空き家を賃貸、購入する事である。そのまま住めるなら申し分ない。そのまま住めない場合は構造のしっかりした昔の家屋をリフォームするのは効果的かも知れない。

 

 

 

1-b・・・買い物の際にはなるべく近くの商品を近い場所で買う。(ローカル)

 

ローカル、昔、資本主義的に低位な、不便(便利ではない)、といった概念はだいたい連動している。

 

 可能な限り、ローカルに買う、とは、昔の営業形態のお店で、地域のお店で買う事、とだいたい同じ意味になる事が多い。そういったところで買い物すると反資本主義的と言える。

 他方、止むを得ない場合を除いて、現代的なグローバルな、便利な、ネット通販の利用は慎む。これらを用いた便利な買い物は資本主義的行動である。

 

 また途上国の労働を搾取して製造された輸入品の購入もなるべく慎みたい。貧しい国の劣悪な労働環境の犠牲の上で我々が安価な生活を送るというのはこれもまた避けるべきだろう。

 

 

 ところで地域のお店は、不便、品ぞろえが豊富ではない、割高、などの特徴がある。

 正確には、適度に便利、適度な品揃え、適正価格なのだろう。

他の大型店やネット通販、コンビニが度を越して、便利過ぎる、品ぞろえが豊富過ぎる、割安過ぎるのである。

 

 羊飼いが【汝の敵を愛せよ】と言った如くに

 真留句ならば【汝の割高で、品揃えが少なく、不便なお店を愛せよ】

 と言うでしょう。

 

 

(未完メモ、税、迷惑施設)

 

 

 

● 1-d・・・機械に作られた商品ではなく人の手がかかった商品を買う。

 

 特に大事な事例は食べ物である。食べ物こそが人の身体、そして心を作るからである。

食べ物はリレーみたいな部分がある。

生産者(農家)、販売店、調理者、食べる人

のリレーである。すべての段階で人の手がきちんとかかっていれば申し分ない。

そう言った食べ物は食後、心身ともに調子の良さ、元気、エネルギーをもたらす。

 しかし、なかなか自分で農産物を生産したり、人の手で育った農産物は市場には流通し難いものである。心配無用、スーパーの全国流通の農産物でも調理の段階で充分、挽回可能である。お母さんの愛情こもった料理が心身に良い影響をもたらすのは、良い実例である。なお火力はIHヒーターよりはガスが好ましく、ガスよりも直火、炭火がもっと良い。

 

インスタント食品はなるべく避けたいが止むを得ないならば、せめて盛り付けの際にいい加減にせずに心を込めること。これだけでも差が出るはず。

 

なお最終走者たる食べる人は、それまでの前走者に感謝してなるべく冷めないうちに、よく噛んで食べるのが良さそう。 

 

 人の手がかかるほど、食べ物にも心の力が宿り、他方、機械で生産された食べ物には心の力は宿り難い。

 

以下、未筆

 

〇 2、働くこと

 

● 2-a  本物と呼べるような1次産業の商品の生産を目指す。新しい商品やサービスをイノベーションする必要はない。

 

 今、世の中に1番必要な商品として私が思い浮かぶのは、昔ながらの【本物】の農産物、衣服、家である。

 人間の生活にとって必要不可欠な衣食住に関わる商品であるが故に、生産における機械化が進み、大量に効率よく生産され、大量に不足なく市場に出回るようになった。

 そういった1次産業の商品が不足なく市場に流通しているが故に、さらなる豊かさを象徴する3次産業の勃興が起こったとも言える。

 しかしながら、機械化と大量生産は商品の質を著しく低下させた。特に外見ではなく、その本質を、である。必要不可欠な衣食住の商品の形骸化は【足下がおろそかになっている】という言葉がまさしく、相応しい。

 世の中に必要な商品、サービスは概ね、出尽くしている感がある。これ以降に新規に現れる商品、サービスは装飾的、あるいは百害あって一利あり(一利を強調して世の中に出回る)的な属性を帯びている事だろう。

 さて、現在1番、世の中に必要な商品の【本物の農産物、衣服、家】に話を戻そう。これらがおカネ儲けになるとか、商売にすれば儲かるとかの意味で言っているのではない。

 人の生活の復興において、今、1番、ウェイトを置くべきなのは【本物の農産物、衣服、家】と言っているのである。【本物の】大雑把なイメージは【昔の生産方法で作られた、農産物、衣服、家屋】ということになる。

 以下、自給用となるが具体例として畑で野菜なり水田でお米なりを(入門者には畑の方がお手軽)、自分で育ててみると、これが何の事だか体得できるはず。なるべく機械、ガソリンを使わず、手作業ですること。肥料、農薬は使わず、その際には適度な手間と時間と愛情をかけること。かけ過ぎは却って有害なり。(人における子育てと同様、生き物に共通か?)

以下、未筆。

 

 

 ● 2-b  複業・・・・アンチ分業(専業)としての

 

 分業(=専業)は生産効率が良い生産様式である。他方、【効率が良い】という、一見、文句のつけようのない、求められるべき事柄、それ自体が、【効率が通常、あるいは普通】という中庸の状態から逸脱していて、バランス、均衡からの逸脱への端緒となっているのかも知れない。とすれば、効率がイマイチにせよ複業にはバランス、均衡をもたらす可能性を秘め+ている。

 ここでは複業の有効性を説明することにする。

 

例1、コロナで3次産業、飲食業、観光業、職業芸術家の生産活動が困難となった。他方、3次産業、農業、林業水産業、大工、他各種職人の生産活動はそれほど困難にはならなっかた。例えば農業は自然にコロナ3密が回避されている。

 

 そこで1次産業を複業に組み込むことは、コロナ下の失業状態、遊休状態回避の1つの方法となる。いわゆる労働のリスク分散とも言える。1次産業のうち特に農業がオーソドックスである。自営でも雇用されるのでも、どちらでも良い。自営の場合、おカネにならなくても良い。おカネで間接的に購入するにせよ、DIYで直接現物を生産するにせよ、途中のルートは異なれど、自分の生活に必要な商品を入手するという最終目的は同一である。

 なお1次産業にこだわる理由は2-aの文章も参照されたい。

 

● 以下の例は通常とは違った意味の複業のススメである。【分業の局所的効率性】に対して、【複業の大局的効率性を説く。】

 

例2、サラリーマン川柳に【スポーツジム 車で行って チャリをこぐ】というのがある。

科学技術による機械化、自動車の普及によって、通勤、工場、事務所における生産活動まで【それぞれ】の段階、現場では効率性がある。生活が分業的であると良いだろう。

 他方、社会全体なり人の生活全体という大局的視野から見ると事情は違ってくる。

 普段は車を使い、汗をかく肉体労働から解放されて効率的な生産が行われる一方、運動不足対策により、休日などに別途、わざわざ商品の生産とは無関係に肉体労働をする必要が出てくる。スポーツジムを使うとなると肉体労働のためにおカネを得るのではなく支払う必要も出てくる。

 

 こうなると、普段から時間がかかっても徒歩や自転車で通勤したり、生産において非効率的であっても肉体労働することの大局的効率性の良さが見えて来る。

 昔のライフスタイルは局所的には効率が悪いが、全体として大局的には整合性がとれていてバランスが良いようである。

 

例3、やはり自動車と徒歩の長期的な視点

 

例2においては1週間単位の規模での自動車とウォーキングがテーマであった。

 この例3では長期的な観点で見る。若い頃から定年あたりまで、車に頼り切りで、ほとんど歩かなかった人が、健康維持のために定年後、急に歩き出すケースがある。

 今まで歩かなかった【人生における歩くという行為】を取り戻すかの如く歩く。

 これも分業的である。成人~老年までほとんど分業的に移動は車に頼り、老年において移動が目的でなく肉体や精神の健康のため、暇つぶしのために歩くのである。

 これならば、普段から複業的に車と徒歩、自転車のバランスを考えて生活していた方が合理的といえたケースもあるだろう。

 

例4、1人の人間の労働における分業

 最近はどうかわからないが、一度、会社に勤務して働きだすと、本を読む暇もないくらいに、人生における時間が仕事に捧げられるケースが多々あったようだ。

 保育園~高校、大学までは勉強ばかり、就職すると今度は仕事ばかり、定年すると時間を持て余す。これは分業的一生と言える。バランスが良くないように見える。

 

 他方、複業的人生を考えて見よう;

 

(イ)週1~4日ほど勤務しながら、大学や放送大学で学ぶ。(学費を親が稼がなくて良いのが大きい)

   週1~4日ほど勤務しながら、職人に弟子入りする。

   週1~4日ほど勤務しながら、自営業やNPONGOの活動をする。Etc

 

 なお、完全に労働しないのは肉体的にも精神的にも良くない気がする。健康ならば自給用、DIYでも十分などで何らかの労働を(自炊とか)する。

 

(ロ) 中卒、高卒で一度、会社勤めする。おカネをある程度貯めたら、また大学、放送大学で学ぶ。(これは教皇シオン様(=前聖戦ではアリエス黄金聖闘士)のアイディア)

 

 長い間、勉強ばかりでは学問の意義、必要性が見えてこない場合が往々にある。会社勤めすることで何故、学問や学びが必要なのか分かる時もある。先の分業人生の例では学問の必要性を会社勤めの最中に気づいても、もはや手遅れで読書する暇もないケースが多々ある。昔は若いうちから働いたものである。一度、会社勤めして社会を担ってから、学問の必要性がわかった、という声を周りでもよく聞く。

 また大学時代によく名著を読むものである、とか言われるが、学徒のみの経験では本の内容にピンと来ないケースもある。一度、会社勤めなり、社会を経験すると、あぁ、こういうことなのか、と分かるケースも多々ある。

 一度、会社勤めしてからの方が読書の吸収の効率が良くなるケースもあるという事である。本の内容がよく分からないのは自分の知的能力に問題があるのではなく、単に社会経験不足、時期的に本と相性が良くない年頃、ということもある。同じ本同じ読者に対して、相性がいい時期もあれば、悪い時期もある、ということ。 

 また、親が大学の教育費を稼がなくていいのもメリットである。

 

 

● 2-d  機械ではなく、人の手で労働し商品を生産すること。手業の復権

 

 マルクスは分業が効率的かつ質も優れた商品を生産できる形態であるとした。そしてそれが旧来の職人を駆逐してしまうと。

確かに、効率的であり、かつ職人を駆逐してしまう、という点においては同意する。しかしながら質に関する点については検討を要する。

 現実に現在、世の中に溢れる商品は安くとも、質が低廉である場合が多い。

 

 質の主要な低下の原因は後回しにして、先ずは副次的な質の低下原因を述べる。

 

 確かに分業は労働者の部分的熟練度を高める。それは商品の高品質化にも繋がる。しかしながら、分業が行き過ぎると今度は部分部分の高品質は商品全体のバランスの低落という犠牲をもたらすのである。しかし適度な分業はやはり必要である。分業をし過ぎず、かと言って、まったく排除することなく、適度なバランスのとれた分業でストップする必要がある。

 

例1、包丁

 分業を全くしないと、まず鉄の精製、柄の材料たる木材の伐採、などなどとても、1人でやれたものではない。

 適度なのは以下の分業であろう;

 鍛冶屋さん、研屋さん、柄を作る人、販売店

 

 行き過ぎた分業の実例はこの包丁では例示し難い。

 

例2、思想の普及

 本来の意味からはやや外れるがある程度の分業が効果的である事例;

 思想、宗教の普及についてである。

 世界に広まっている優れた思想、宗教には共通点がある。それは、思想なり宗教の創始者は自らは思想を本などにまとめはせずに、行為と言葉による教えのみに終始している場合が多い。

 創始者の言行録や経典化は弟子や後世の信徒、支持者が行った。

 

 例を挙げるならば、

 ソクラテス、イエスマホメット、釈迦、孔子である。

 

 ソクラテスは弟子のプラトンソクラテスを登場人物とした対話篇を書いた。

 広く強い影響力を持つ宗教の創始者、釈迦、イエスマホメットの言行録をまとめ経典としたのは弟子や後世の信徒達である。

 

 このように思想の普及は、思想の創始と普及が分業で行われる方が広まるようである。

 

 これには、思想の創始者と紹介者が同一であるよりも別々である方が、人間にとって心理的に受容し易い、というのも理由の1つであるように筆者には思われる。

 例えば、このブログの内容を

a、実際にそうであるように筆者が考えた内容

b、筆者の知人の意見から引用したもの

c、社会学者の〇〇氏の見解

の各ケースである時、読者によっては内容が誰の見解であるかによって受容度や受け止め方に随分と差が出る場合があると思う。もちろん、内容のみで判断して誰の意見であるかにあまり左右されない読者もいる、と思う。

 

 脱線が長くなってしまった。さて今から述べるのが質の低下の主要要因である。それはコスト削減と大量生産による収入の増加、儲けを目指す事に始まる。

 コスト削減は主に原材料の質を落とすこと、(人の)手間の削減といった形を取る。

 他方、大量生産は生産の機械化という形を取る事が多い。特に機械が生産を担当し始めると、大量な生産が可能になる。

 人が生産するにせよ、機械が生産するにせよ、生産の量が増えると質は減る。量が減ると質は増す。 

 質+量=一定、 あるいは、 質×量=一定

は、ある程度現実を反映した数式と言えそう。

 

 商品が売れるかどうかは見た目と価格が物を言う。機械を用いて中身、質を落として、生産量を増やし、価格を下げる。

 このような生産方法でなされた商品が資本主義社会では勝利を収め、他方、原材料と手間のしっかりかかった商品は駆逐される。かくして、商品の質が低下する事となる。

 

 

例、お米

 

田植え機、コンバイン、機械乾燥のお米が市場の主流である。大量生産、安価であり、人々の生活を支える。

手植え、手刈り、天日干しのお米は前者に比べ質は勝るが生産量は圧倒的に少ない。育てるのに手間がかかる。こういった代物は、市場には出回り難い。

 

以上のような考察から今後は人の手間、手業で質の良い商品、サービスを生産するのが望ましいように思われる。

 

 

● また別の問題・・・商品に宿る心

 

 非科学的と思われるであろうが、商品生産の際に人の手間がかかるほど、商品に心のパワーが宿るように思われる。他方、機械が生産を担うほど、心のパワーは商品から抜けていく。

 具体例としては、先述の2-aで挙げた、自らの手で育てた農作物と、スーパーに並ぶ全国流通の農産物、あるいは冷凍食品、インスタント食品、ファストフードを食べた後の食後数時間後のフィジカル、メンタルの調子を意識されれば実感されると思う。

 または職人の刃物と100円ショップの刃物、などを比べるなど。

 

 将来的にAI技術の発展が農産物の生産を人間の手以上に上手にする可能性もあるが、心の力というものの真偽はさておき、現段階では人の手により商品に心の力が宿る、とみなす考え方は有効であるように思われる。

 

● 労働者(=人間)の精神衛生と自己肯定感

 手業で商品が上手に作れるように熟練することは人に自尊心と誇りをもたらす。これも大きい。

 熟練への過程が職人の誇り、自分自身への価値を育む。それは自己肯定感をもたらし精神衛生に良い。

 近年はコモディティ的な仕事、誰でも代用が効く仕事が増えた。その状況下では仕事を通して自己肯定感を感じるのが概して難しい傾向になる。

 

以下に仕事であるか否かに関わらず、手業や鍛錬の道になる分野を書いてみる。

例、陶芸、手打ちそば、絵画、写真、読書、音楽、農作業、お茶、生け花、ブログ執筆、俳句、書道、武道、猟師、調理、掃除、ゲーム、手芸、衣服作成、衣服修繕、ジョギング、筋トレを通した肉体鍛錬、ヨガ、塊集、プラモデル、模型など。

 

また個人経営の商店において商品を並べる。

スーパーのような大手のようには、むやみに品ぞろえを豊富には出来ないので、少ない品揃えと配置の中にこそむしろ店主の個性、感性、顧客への思いが滲み出る。これとても単純なようで奥が深く手業と筆者はみなさざるを得ない。

 大手スーパーの如くにポイントカードの購買履歴に基づいてコンピュータなり戦略部門が仕入れを決定した商品を並べるだけの分業的仕事は前者の品揃えを少なくせざるを得ないが自己裁量の大きい個人営業のお店に比べて手業度数が低い。

 

〇 4、借金しない、ローンを組まない

 

 戦前までは日本人には借金をする風習が無かった。借金を恥と思う心がかつての日本人にはあったらしい。

 ところが、高度経済成長期あたりからか「貯めて買う」から「借りて買う」に移行したそうだ。

 その方が経済効果が高い。経済界や政府が、そういう風に誘導したのかも知れない。

借金は資本主義的事柄であり、「貯めて買う」は反資本主義的事柄である。

 

 高度経済成長期時代の雇用が安定している時期なら、ローンで夢のマイホームも有効であったかも知れない。

 他方、先行き不透明にして不安定なる昨今なれば、夢のマイホームと借金の不安とプレッシャー、ストレスを秤にかければ、ローンが有効ではない気がする。

 借金が無ければ身軽で、変化に対応し易い。他方、借金あれば、変化を迫られる際に借金が無い場合に比べ、さらに難易度が上がる。借金があると、おカネの借金を背負う人に対する支配力が格段に高まるのである。

 

〇 7、睡眠を重視する。冬季はなるべく冬眠を目指す。

 

 コロナが猛威を振るう冬季には、コロナ対応として熊の冬眠をお手本とするのが良い。

 

〇 9、結婚して子供を産む。家庭を築く。

 

 セミリタイヤ系などの方で金銭的事情で、結婚や子供を産むことを躊躇なされてる方々も多いと思われるが、金銭のことは気にせず、結婚し、子供を産み、家庭を築かれても大丈夫だと思う。

 

 自然界の生き物はつがいを為し、子を産んで育てる。やはり結婚して子供を育てるのが生き物の一員としての人も自然な行為だろう。

 このまま過剰資本主義社会に属しているような人々のみが子孫を残せば、温暖化などで地球上で生き物は生存できなくなり遅かれ早かれ、人類滅亡、子孫断絶である。

 他方、【反過剰資本主義】勢力たるセミリタイヤ系などの方がご家庭を築かれるならば、反過剰資本主義の勢力拡大、地球上の生き物存続のためにも良い。

 

 将来有望な農業、林業、漁師、猟師、大工、各種職人といった職業は学費よりも良い師に就く事が重要である。また大学レベルの学問を学びたいならば、子供が社会人となって自ら学費を稼げば良い。また、本や放送大学があれば独学で学べる。現在ならばインターネットも独学の助けとなる。農産物同様、学問も「原材料(本)」は学費に比べ安価に済むのである。あとは本人の自炊のやる気次第、もとい、本人の向学心次第である。親が高額の教育費を稼ぐ必要はないと思う。ただご近所に学生の向学心を刺激するような師と呼べる人がいればもっといい気がする。

 

 正しい道を歩んでるなら、自然界の摂理も加勢して下さるだろうし、何とかなるだろう。

 

 

〇11、商品にせよお店にせよ、ある程度、便利ならば満足すること。便利と不便の両極の間にあるバランスを意識して選ぶこと。便利すぎるのには何らかのデメリットがある。

 

 便利過ぎるネット通販、コンビニの使用は過剰資本主義の勢力に加担する事になる。

 

 資本主義が進展するにつれ表層的には消費者が優位になって、生産者が不利になって行く、という見方もできる。

 資本主義が進展して消費者が優位に立って便利なお店を使える反面、生産者(=労働者)としては深夜労働など不利な労働形態となって行く。

 またネット通販利用はおカネを都市部、中央へと流し、地方自治、地域の自立を損なう事となる。

 それは国からの交付金への依存、ひいてはセットでやって来る核廃棄物最終処理処分施設などの迷惑施設の受け入れの助長などにつながる。

 

 

 

 

〇 52、デジタル地域通貨(仏か悪魔はわからぬがコロナの託宣【リアルはローカルに、ヴァーチャルはグローバルに】を体現するものとしての)

 

 

真留句0(ゼロ)で

 

「コロナは標語的には

 

【ヴァーチャルはグローバルに、リアルはローカルに】

 

※ 【情報はグローバルに、現物はローカルに】

 

 

※ 英訳; 【Real may local,virtual may global.】

 

を人類に提案してるのではないだろうか。」

 

と書いた。

 

これは社会システムがそのようであれば、コロナは拡散しづらいし、過剰資本主義における多くの問題が解決されそうでもある。

 この理念を体現する1つの象徴的商品、サービス、システムがある。

 それは【デジタル地域通貨】である。

 

 筆者も年のせいか、新奇な物に対する忌避感、苦手意識が生じる今日この頃である。

 デジタルのカタカナに警戒心を覚え、コロナ下の救世の仏となるのか、はたまた、地球環境を破壊し人々や生き物の魂を苦しめる悪魔となるか、使う人間の心、魂次第なのであろうか、と思いを馳せる。

 デジタル地域通貨が悪用されずに、地球や人類、生き物にとって益となることを筆者は願っている。

 

 デジタル地域通貨の事を詳しくチェックした訳ではないので憶測の部分もあって無責任な部分もあるが書いてみる;

 

 〇 デジタル地域通貨のメリット

 

● 地域通貨のメリット、地域での消費活動を推進する。地域を潤す。それは地域の税収の増加に繋がる。それは国への依存性を減らし地域の自立を高める。それはそのまま昔の状態への回帰であり、脱資本主義的状態への移行である。

 

● かつて地域通貨のデメリット、難点であったシステム導入のコスト、壁を大幅に軽減してそうなイメージがある。(ここは憶測)IT技術の長所が今回は活きそうである。

 また旧来の地域通貨使用の際の不便さも解消し、より便利になってそうである。

 

● 結論から書くならば【デジタル地域通貨】はコロナで疲弊した地域経済立て直しの救世の仏となる可能性がある;

魚の如くに腐る地域通貨(=減価する貨幣、マイナス利子の貨幣)は消費者に購買活動を強制する。また減価分は自治体の税収、地域通貨運営費とする。

減価する通貨は消費者はなるべく手放そう(購入活動をする、ということ)とするので地域内での経済の高速回転に寄与する。

 

初稿 2020年秋頃

最終改訂日 2023年1月22日