真留句はこう言った

河流 真留句 (カワル マルク) の物語 ・・・初めて当ブログにお越しの方は【真留句はこう言った 0(ゼロ) ブログ案内】からお読みになる事をおすすめします。記事の数は現在のところ、それ程多くは無いですから、探すのは難しくは無いと思っております。

真留句はこう言った 文章版i 要約

真留句はこう言った 文章版i 要約

 

 

0、 始めに  ポストコロナのライフスタイル ≒ 昔のライフスタイル

      ≒反過剰資本主義のライフスタイル

 

 コロナ後に我々はどのように生きてゆけば良いのだろうか?

 コロナ対応に適したライフスタイルとは一体、どのようなものなのだろうか?

 

 私はその1つの回答として基本的な骨格、指針を与えるのは【昔のライフスタイル】になると考える。即ち、【昔のライフスタイル】の骨組み、特徴を踏まえたライフスタイルはコロナ対応に適したライフスタイルなのである。

 

 またこのライフスタイルは、さらにその他にも現代における主要な諸問題の解決、対応に適したライフスタイルである事を付け加えておく。

 ここで現代における主要な問題というのは、温暖化、異常気象、国ごとの格差(南北格差)、少子化(日本など)、ストレス社会、心の病、うつ病、生きづらさなど、といった【行き過ぎた資本主義】が原因となって引き起こされる諸問題である。

 

 

 ここで【昔のライフスタイル】からイメージされる、田舎で自給自足率が高い生活を送り、冬季は熊の冬眠の如くに引き籠って生活するというのは、直観的にコロナ対応に適したライフスタイルであるとある程度、同意して頂けることと思う。

【昔のライフスタイル】というのはまさしく万能な表現であって、ポストコロナや脱過剰資本主義のライフスタイルの様々な特徴を一言で言い表しているのである。

 この要約の場でその中から、大きな柱となるものを挙げてみる;

 

 DIYを推進する。(※ DIY=自分でする事。例えば自給自足や自炊など)

 

 買い物の際と仕事(=労働)の際には、衣食住に関わる必需品にウェイトを置き、地産地消を目指す。

 

『※ 後者を経済学の用語、消費(≒買い物)、生産(≒労働)などを用いて、異なる言い方も書いておくなら

 

【一次産業にウェイトを置いて、ローカルに生産、消費を行う。】

 

となる。ここに一次産業とは農林水産業、畜産業、大工さんなどである。

 

すなわち、買い物の際には、衣食住に関わるような必需品にお金をかける。

そして労働力もそれら衣食住に関わる一次産業にもっと投入したら良い、

そして、なるべく近い場所で生産された商品をなるべく近くのお店で買うと良い、

と言っているのである。』

 

 

 現在は現代的ライフスタイルに偏り過ぎて、バランスが崩れ、コロナ対応のみならず、人間の生活全体についても不味いライフスタイルになっている。

 人間の成人病、心の病、温暖化(異常気象)、環境汚染、労働、賃金、少子化といった現代の主だった問題はまさしく現代特有の問題である。戦後間もない日本や戦前、昔にはこれらの問題は現在ほど幅を効かせてなかった。そこで、安直ながら処方箋として昔のライフスタイルを取り入れるならば、これらの問題も解消、軽減されるのではないだろうか。

 

以上、要約の要約を述べた。

 

 

要約の本編

 

目次

 

  1. 1.始めに、の続き 

  生産と消費の際にローカルと1次産業にウェイト、をより詳しく説明

 

  1. 2.一つの理想、半ZX
  2. 3.この要約の主張の根拠

 3-1、コロナの社会的な特徴

 3-2、2つの相対するカテゴリー、【反資本主義的なる事柄】 と 【資本主義的な事柄】

 

  1. 4.経済社会宗教の概念
  2. 5.まとめ
  3. 6.要約のおわりに

 

 

 

 

1、 ここでは、0、始めに、で述べたローカル、衣食住などのキーワードについてもう少し詳しく書いてみることにする;

 

 ローカル(地産地消

 

昔になればなるほど、よりローカルに生産、消費活動が行れていた。

 

ローカルに生産、消費活動が行われるほどコロナは拡散しづらい。

また生産、消費活動がローカルに行われるならば、行き過ぎた資本主義が生み出す様々な弊害も改善されそうである。(労働や資源の搾取、働き甲斐、生きがいの問題など)

 

例;

 野菜はなるべく自分に近いところで生産されたものを使うほど、昔のライフスタイルになる。一番近いところは自分で育てた野菜。いわゆるDIY、自給自足。買い物するなら自分の街、地域で生産された八百屋さん、直売所や朝市の野菜が最善。それが無理ならば、八百屋さん、スーパーで自分の都道府県産の野菜。それも無理なら国産の野菜。できれば輸入品は避ける。

自分で野菜を育てるのが難しい方もいるので、各人が自分にあったバランス(近⇔遠、あるいは昔⇔現代の)で野菜を入手する。

 

 コロナは標語的には

 

【ヴァーチャルはグローバルに、リアルはローカルに】

 

言い換えるならば、【情報はグローバルに、現物はローカルに】

 

英訳; Real may local,virtual may global.

 

を人類に提案してるのではないだろうか。

 

 

 DIY(=自分ですること、自給自足)

 

 上記、ローカル(地産地消)の自分に近いところの極限は、自分の使う(消費する)商品やサービスの作成(生産)を自分ですること、即ちDIYである。

 このDIYは昔のライフスタイルのキーワードである。昔は現在に比べDIY比率が高かった。

 身近な事では自炊も調理のDIYである。コロナで外食が減り、自炊する人が増えた。これは、人がコロナ対応すると自然にDIY、即ち昔のライフスタイルを取るという実例になる。

 自分の生活の中で商品の作成やサービスをDIYする事柄が増えるほど昔のライフスタイルに近づくことになる。

 逆に商品やサービスをお金の支払いで済ますほど現代的なライフスタイルに近づく。

 

 コロナで社会システム、経済システムが一部機能しなくなった。昔のライフスタイルをとってDIY比率が高いほど経済システムの混乱の害は受けにくい。(DIY比率が高いとは経済システム、分業システムからの独立性が高い=依存割合が低い、ということだから。ところでDIY的生活とはお金に頼らない生活、とも言える。金(ゴールド)の高騰はおカネの信用力が落ちていることを表している。金(ゴールド)を買うのも良いがDIY用の商品、サービスを購入してDIY力を高め、おカネにあまり頼らない生活を目指すのも1つの方法である。)

 

 また、労働自粛や勤務時間の短縮、失業、巣ごもりなどで収入(お金)は減るが、DIYする時間は増える。コロナとDIY(昔のライフスタイル)はこの点においても敵対関係ではなく親和性とも呼べるものがある。

 

 コロナ以前に長時間労働で得たお金で買っていた調理(=外食)などの商品、サービスを、コロナ以後に短時間労働と減った収入のもとで自炊(DIY)した時の方が人々の幸福度は高かったのではないか?と思う。

 

 またこのDIY、自給自足は今までは個人に対して述べている事であるが同時に地域、市町村、都道府県、国に対しても順次、拡張、移調して読み替えられたい。

 即ち、それぞれの圏内で食糧や衣食住に関わる生活の必需品をなるべく確保、生産できる体制を整えるのが望ましいと私は考える。輸入など外部依存はコロナ下では、なるべくあてにしないのが良いと思う。

 

 1次産業(農林水産業、特に農業)そして衣食住

 

 1次産業は農林水産業などで、人が生きる上で必要不可欠な衣食住に関わる商品、サービスを生産する。

 

 昔は現代よりも1次産業の生産、消費の割合が多かった。

 

 そこで次のようなことをすると、昔のライフスタイルへの歩み寄りとなる;

 

 生産時複業で1次産業をする。オーソドックスなのは農業。家庭菜園と書いた方が良いかも知れない。これは商売にならなくてもいい、自給用とかでも。

コロナ下でも労働可能、生産活動可能である事も大きい。誰しも実行できるわけでは無いが、可能ならば自分の生活に何らかの形で1次産業(特に農業)を組み込むことである。

 

 消費時(購入時)消費(=買い物)も衣食住、すなわち1次産業に関わるものを中心に購入する。労働自粛、失業、転職、短時間労働などで収入は減ることが多いと思われるが1次産業の商品、サービスは安価に済む場合が多い。また高価であるにしても、それに見合った生活の質の向上を購入者にもたらすであろう。

 

 では、消費時(購入時)において何を節約すると昔のライフスタイルへの歩み寄りになるか?

 

回答住居(終身雇用をあてにした住宅ローンはしない、ということ、田舎の空き家など利用)、光熱(化石燃料を節約)、交通(税金という形でお金を吸いまくるマイカーを減らす)、通信、保健医療(昔のライフスタイルをとれば病院にあまり行かずに済むだろう)、教育(コスパが最近は低下)、教養娯楽(本当に自分が好きな物に限定する)

 

この消費活動は低収入、低支出と相性が良い。

 

 

コロナ対応の有効性コロナは1次産業の生産活動をあまり妨げなかった。例えば農業は自然にコロナ3密が回避される。他方、3次産業の飲食業、観光業、芸術の生産活動を困難なものにした。

 コロナが必需品を生産する1次産業の生産活動をあまり妨害しなかった事は注目すべき事柄であるように思われる。 

 

なお、その他いろいろな具体的行動は【真留句はこう言った 文章版3i 真留句リスト】ご参照のこと。

 

 以上のようにコロナ対応で昔のライフスタイルを取り入れることは、そのまま人の生活の質の改善、幸福度の上昇にもなるし、環境問題対策、異常気象抑止にもなる。

 

 コロナはコロナ対応を人類に迫ることで、持続可能なライフスタイルを強制、エンハンス(助長)してるという見方もできる。

 

 

2、一つの理想、半ZX

 

 ここで、私が目指す理想的なライフスタイルのうちの1つについて書いて置く事にする;

 

  半Z(※注1)

 

 

 半農半Xはかなり理想的なライフスタイルと思う。これの一般化である半ZXが私の理想に思い描くライフスタイルである。(注;半YXとは名前は似ているが別物。記事末尾に説明。)

 

ZX・・・Zは農業、大工、織物師、鍛冶屋さんといった1次産業的、必需品を生産する仕事。これはコロナ下でも労働可能、生産活動が可能な仕事でもある。

 他方、Xは自分の好きな事、仕事、使命的な仕事、やりがいを感ずる事の出来る仕事、その仕事をしてる最中は幸せであるような仕事。労働に没頭できる仕事(=労働しながらマインドフルネス!)

 

このZXの産する商品、サービスは自給用であっても、他人の労働との交換用(大雑把にはお金と交換できる商品、サービス)であっても、どちらでも良い。

 これは生産(労働)に関する事であった。

 

 他方、消費(買い物)について生きていく上で必要なのに自分で自給できない商品、サービスはなるべく他人のZXから労働の交換によって(≒お金の支払いによって)入手する。それが不適当な時は旧来の資本主義的市場の商品、サービスを購入する。

 

 即ち、自分が労働中は没頭できる、幸福感を感じれる仕事をして、商品、サービスを生産する。その商品、サービスを自分で使って生活したり、または他人とお金などで交換する。

 そして自分で生きていくのに必要だが自分では生産できない商品、サービスを、他人のXZで生産された商品の形でお金などの方法で交換するのである。

 

 しかし、鎖国中の江戸時代の人々の多くの人はこのような生活を送っていたのではないか、と思う。

 

 

 注1、ここに出て来た【半ZX】と【コロナ以前ー15A 人生三分の計】に出てくる【半YX】は言葉は似ていますが異なる意味を持ちます;

 

X・・・ 好きな仕事、趣味、  使命的な事業、   魂、心が欲する行動

 

Z・・・ 衣食住に関わる必需品を生産する仕事、1次産業的な業。

     具体的には家庭菜園、農業、林業、漁師、猟師、畜産業、衣服作成、大工、

      鍛冶屋さん、配管工、瓦職人など

 

Y・・・嫌々でも良いので生活費を得る為に会社勤めする仕事、アルバイト。この会社勤めの仕事は精神的、肉体的エネルギー、そして時間を消耗し過ぎない仕事にすること。エネルギーはXの注ぐようにする。収入は最低限の生活費を得れれば十分。あとはなるべくDIY(代表的なのは自炊。あとは家屋、配管などの簡単な修繕などを想定されたい)などで節約する。

 

【半ZX】は真留句が1つの理想と考えるライフスタイルである。

 他方【半YX】や【人生三分の計】(※ コロナ以前ー15A 人生三分の計 参照)はその理想的な【半ZX】に持って行くための過渡戦略、中途段階のライフスタイルである。しかし、この半YXは不安定、変化の激しい時世においては有効なライフスタイルである。その柔軟性故に。総合格闘技柔術で言うところのガードポジションのようなスタイルである。

 

 

 

3、この要約の主張の根拠

 

 今まで、【昔のライフスタイル】が【ポストコロナのライフスタイル】や【反過剰資本主義のライフスタイル】の指針となる事を主張してきた。この3章では、その理由を説明する事にする。

 

 

3-1、コロナの社会的な特徴

 

先ずはコロナの社会的な特徴を挙げてみよう;

 

 資本主義的に優位な、都市、3次産業(観光、飲食、サービス業)はコロナ下での活動、生産活動は困難である。

 

 他方、資本主義的に不利な、田舎、1次産業(農林水産業、大工)はコロナ下でも活動や生産活動が容易である。

 

 また、同じ飲食店でも都市部、チェーン店、従業員が多い、大きい店舗、設備投資が優れてる(=借金の賜物であることがある)、人口が多い立地(=家賃が往々にして高いものである)、経営手腕やマネジメントに優れ、といった経済競争に優位な、即ち資本主義的競争に優位な属性の多いお店の方がコロナに耐えるのが困難である。

 

 他方、郊外、パパママ経営(家族経営)、小規模店、不利な立地(=家賃が安いことが多い)、自宅兼店舗、不器用、経営分析やマネジメントは行ってなさそうでフィーリングと勢いで営業をしてそう、といった経済競争において不利な経営形態、即ち資本主義的に低位なお店の方がコロナの影響に耐えるのが容易である。

 

 大雑把に言えば、商売上手な飲食店ほどコロナに耐えるのは困難であり、

他方、商売下手、金儲けが下手な飲食店の方が、コロナに耐えやすい。

 

以上より、

 

【コロナは社会的には反資本主義的属性(あるいは反資本主義的影響力)を持つ】

 

と考えても良いように思われる。実際にコロナは経済活動を妨げているのだから、そう言っても良いだろう。

 

だとすれば、

 

【反資本主義的ライフスタイルは、コロナ対応のライフスタイルにもなる。】

 

と考えてみるのも良さそうである。大雑把には

【金儲けにならないライフスタイルは、そのままコロナ対応の有効なライフスタイルになるかも知れない。】

とも言える。

 

 【反資本主義的ライフスタイル】の典型的なものであり、かつ様々な特性を兼ね備えているのがこの要約でのテーマ【昔のライフスタイル】である。【昔のライフスタイル】が直観的に資本主義的に低位なライフスタイル、即ち反資本主義的ライフスタイルであることは明らかである。(【真留句はこう言った 文章版2i 詳しい説明】で妥当性のしっかりした説明をする。)

 【昔のライフスタイル】はコロナ対応のライフスタイルの典型例と言える。

 

 

 ところで、コロナが反資本主義的であるということから、真留句がコロナ以前から説いていたライフスタイル、生き方は、そのままコロナ対応、ポスト・コロナにおけるライフスタイルになり得るのである。というのは、真留句はコロナ以前から、行き過ぎた資本主義のバランスと均衡を取り戻すべく、資本主義を抑制するようなライフスタイル、即ち、反資本主義的なライフスタイルを説いて来たからである。

 

 

3-2、二つの相対するカテゴリー、【反資本主義的なる事柄】 と 【資本主義的な事柄】

 

 

 先の3-1、コロナの社会的特徴における考察から【コロナは反資本主義的属性】を持つことがわかった。

そこで、【反資本主義的な事柄】と【資本主義的な事柄】という2つの相対する概念を考えることにする。そして、幾つかの分野の事柄をどちらのカテゴリーに属するか列挙して書き下すことにする。

なお同じローマ字の事柄は対応し合う事柄で正反対の事柄である。

 

【反資本主義的な事柄】  ※ 反資本主義的≒自然的 とも言える。

 

a 昔(のライフスタイル)

 

b ローカル (=地産地消

 b-1  DIY

 

c 複業 

 

d 1次産業

 d-1 農林水産業

 

e 田舎

 

f 環境保全、持続可能性

 

g コロナ

 

h 効率が悪い

 

i 生産性 小

 

j 使用価値  

 

k 人間 

 

l 美 

 

 

 

 

【資本主義的な事柄】

 

 a 現代(のライフスタイル) 

 

  b グローバル

 

 

  c  分業(=専業) 

 

 3次産業 

 

 

  e  都市

 

 環境汚染、温暖化、異常気象

 

 g コロナワクチン?

 

 h 効率的

 

 i 生産性 大

 

 j交換価値

 

 k 人間の作り出した環境

 

 l 醜

 

なおこの区分けの妥当性、理由は【真留句はこう言った 文章版2i 詳しい説明 】でそれぞれの事柄を詳しく考察する際に述べることにする。

 

ところで以下のような性質がある。

 

同じ【反資本主義的な事柄】に属する事柄同士は親和性が高い。

同様に同じ【資本主義的事柄】に属す事柄同士は親和性が高い。

 

他方、【反資本主義的事柄】と【資本主義的事柄】、それぞれ別のカテゴリーに属する事柄は往々にして対立、敵対することが多い。

 

 

例1;同じ【反資本主義的な事柄】に属するa 昔のライフスタイル、b ローカル、d 1次産業、g コロナ、f 環境保全は親和性が高く連動している;

 

昔にさかのぼるほど、生産活動、消費活動においてローカルの度合いが強まり、かつ1次産業の占める割合が高くなる。そして社会的コロナ対応も容易になり環境負荷も軽くなる。

 

 

例2; 【反資本主義的な事柄】に属するgコロナと【資本主義的な事柄】に属するb グローバル、c  分業(=専業)、3次産業、 e  都市は対立、敵対関係にある;

 

コロナはグローバル化を抑制し、3次産業(特に飲食業、観光業、金銭で生計を得る芸術)の生産活動を困難にし、それを専業とする人々の生計に打撃を与えた。また、コロナは都市での対応は田舎に比べ不利である。

 

3; 【反資本主義的な事柄】に属するf 環境保全は【資本主義的な事柄】と対立するので経済活動の進展と共に一般には悪化する。

 

例4、【反資本主義的な事柄】に属するk人間は【資本主義的な事柄】と対立する。資本主義が過剰に進むと人間は悪い影響を被る。

人間に限らず、生物の肉体や精神は環境にゆっくりと適応するものである。人間の心と身体は基本的に数万~数千年前の狩猟や農業で身体を動かして来たライフスタイルと相性が良い。まだまだ人間の身体と心は【反資本主義的、あるいは自然的】なのだ。

 人間がここ2,3百年に自ら作り出した環境、身体をあまり動かさないライフスタイルと人間の心と身体は相性が悪い。ここ2,3百年、資本主義によって生み出されたライフスタイルに人間の心と身体は適応出来ないのである。

 人間は過剰な食料、睡眠不足、身体を動かさない、社会的過ぎる(四六時中、相性の合わないかも知れない同僚と集団労働にあたる)のには向いてないのである。

 これらは少子化うつ病、成人病、過労、自殺、アレルギーなどを引き起こしている。

 

例5、l 美醜について

 

 一般に資本主義が進展するほど醜いものが増え、美しいものは減少する;

 

 建築物;西洋、東洋、日本問わず、寺院、教会といった古来の建築物は、ビルに代表される現代的建築物に比して美しいように私は感ずる。

 

 都市;資本主義の進んでない都市の方が資本主義の進んでる都市より美しい気がする。

(例;モスクワとニューヨークや東京、テレビ映像で観た感想です。)

 

作業機械;昔の鉈、のこ切り、鎌で作業する音は、ガソリンエンジンで動く、草刈り機、チェーンソー、コンバイン、トラクターのエンジン音より美しい。

 

もしかしたら人間もそうかも知れない。

 

4、 【経済社会宗教】の概念について

 

 現在、人類、地球が抱える大きな問題である、温暖化、異常気象、南北格差、核、少子化(日本)、人の幸福の減少といったものの解消、解決は【行き過ぎた資本主義】の延長上にある科学技術の進化、経済成長、あるいは現行の社会システムの延長上によって行われるとは考え難い。

 

 それらの問題や【過剰資本主義】に歯止めをかける1つの有力な方法として【脱過剰資本主義のライフスタイル】を述べて来た。(有力な1つの方法としたが私はこれ以外、思い浮かばない ※ ただ、コロナ以前に過剰資本主義を止める術などないと私は考えていたが大自然はコロナという形の想像を越えた事象、毒は毒を以て制す的な方法で経済活動を鈍化させた。それゆえ、同様に私などには想像すらできない何らかの新社会システムは存在するのかも知れない)

 

 この【脱過剰資本主義のライフスタイル】を人々が採用する事で【過剰資本主義】を抑制するのは【経済活動における人間1人1人の心、考え方の変化、そして、それら心の変化に端を発する生産、消費活動といった行動の変化】に託すという点でボトムアップ的な方法である。

 このボトムアップ式は、資本主義に変わる新たな新社会システムが発明されて各国で採用されたり、コロナの影響の如く上からの強制力を持つような、トップダウン的なもので【過剰資本主義】を抑制するものではない。

 

 前者のボトムアップ型の社会変革は草の根活動的なもの、という点では宗教の如き性格を帯びている。

 

 

 かつて、貨幣経済が今日ほどまでに発展していなかった、無秩序と混乱が横行する時代に人類の苦しみに対処し、生活に指針を与える宗教が起こった。仏教、キリスト教イスラムゾロアスター教などである。

 宗教は心に大きな影響を及ぼし、日常の生活様式に様々な指針を与える。

 

 貨幣経済が発達した現代は、日常生活は古の昔よりも秩序的なものになっている。しかし経済社会の方は古の昔の日常生活のように混乱、無秩序、経済的暴力が横行しているように思われる。

 

 このような時世だからこそ、かつて古の昔の日常生活に宗教が指針を与えた如くに、経済社会、経済活動に指針を与えるような【宗教の現代アップグレード版】あるいは【経済活動、経済社会における宗教】のようなものが経済社会に秩序をもたらし、経済的暴力の横行を取り除くために有用なのかも知れない。

 そのような経済における宗教を仮に便宜上【経済社会宗教】と呼ぶことにする。

 

【経済社会宗教】と言う名を用いたが、役割は経済社会の中での生活、即ち消費(=買い物)、生産(=労働)などといったものの仕方に指針を与うるのみである。

 宗教における神の存在などの役割はもちろん担わない。

 

 別の言い方をするならば、釈迦やキリストが現代をもし目の当たりにするならば、買い物(≒消費活動)、労働(≒生産活動)といった経済活動に関しても何らかの言及をされたはずであると私は考える。その言葉に近いものを推測し、目指し再現した指針が【経済社会宗教】とも言える。

 

 上記要約や、真留句はこう言った 本編や文章版では、消費(=買い物)や生産(=労働)といった経済活動における、お薦め行動が語られている。

 

 その意味では【真留句はこう言った】はある1つの【経済社会宗教】の経典とも言えて、真留句はその伝道者の1人とも言える。

 

 他のブログ、セミリアイヤ系のブログなど見させて頂くと、【経済社会宗教】の優れた教えを披露されてる方を見かける。その方々もご本人にその自覚があるのかは定かではないが、【経済社会宗教の伝道者】の1人と言えるかも知れない。

 現在、セミリタイヤのライフスタイルの方が少なくとも旧来の過剰資本主義的ライフスタイルよりも幸福度が高く、適したライフスタイルのように私には思われる。(不労所得の問題など過渡段階ではあるにせよ。)

 

 このように、現在、旧来の資本主義のほころびが大きくなって、新たなライフスタイルへの転換が世界で始まっているような気がする。

 

 かつて様々な宗教が人々の生活に規範、秩序をもたらしたように、今日の混乱、無秩序、経済的暴力が横行する経済社会に様々な正しい【経済社会宗教】が人々を苦しみから解放し幸福と良い意味での混沌をもたらす事をここに祈る。 

(※ 良い意味での混沌 = 発展途上国、第3世界や昔の日本の市場(いちば)や屋台形式のお店などがある場のイメージ。カオスながらも活気に満ちた場。)

 

 

 

 

 5、まとめ

 

 ここでは以上まで書いた事柄をまとめたり、補足事項を書いてみる事にする。

 

 まずは繰り返し、まとめとなる以下の主張をする;

 

 【1】・・・次のライフスタイルは、だいたい同じライフスタイルになる、一致、重複する部分が多い、大雑把には異名同ライフスタイルとなる;

 

ポストコロナのライフスタイル、反過剰資本主義のライフスタイル、温暖化抑制、持続可能な(SDGsな)ライフスタイル、現代の人間の精神的苦痛、生きづらさを軽減し幸福度が高いライフスタイル

 

 以上の異名同ライフスタイルをまとめて【脱過剰資本主義のライフスタイル】と呼ぶ事にする。

 

 ここでポストコロナのライフスタイルとはコロナ対応に適したライフスタイルの事であり、反過剰資本主義主義のライフスタイルとは、資本主義を抑制するようなライフスタイルである。

 

 驚くべき事に緊急の課題であるコロナ対応に適したライフスタイル、そして将来、コロナ問題以上に大きな問題をもたらすであろう温暖化、異常気象、それを抑制するようなライフスタイルが大雑把には一致しており、なおかつ、現代的生きづらさを軽減し幸福度を高めるライフスタイルでもあるのである。

 

次に【脱過剰資本主義のライフスタイル】の具体的な形を与える次の主張をする;

 

【2】・・・【脱過剰資本主義のライフスタイル】の大きな方向性は【昔のライフスタイル】で与えられ、その中でも特に大きな柱となるのは、

 

 消費と生産は、ローカルに行われる。即ち、地産地消である。

 

 消費と生産は衣食住に重点を置く。

 即ち、1次産業(典型的なのは農業)を複業に組み込むこと。そして他方、消費時は1次産業の商品にお金をかけること、ウェイトを置く。

 

 ※ 上記の2つを因数分解的にまとめた表現にすれば、

【一次産業にウェイトを置いて、ローカルに生産、消費を行う。】

となる。

 

 DIYを推進する。

 

である。

 

 【脱過剰資本主義のライフスタイル】とは【昔のライフスタイルそのものや、その構造なり骨格を基本に使って、さらに現代技術のうちの有用で弊害の少ないもの取り入れたをライフスタイル】というものになると思われる。昔のライフスタイルを適切な取捨選択で現代版にアップグレードするのである。

 

 しかしながら、いきなりそのような【脱過剰資本主義のライフスタイル】の状態に持って行くのは難しいので過渡的に当面は逆に弊害の多い現代のライフスタイルを核にしつつ昔のライフスタイルを取り入れる、といったものになるだろう。

 (※ 過渡戦略については 真留句はこう言った コロナ以前ー15A 人生三分の計もご参照のこと。)

 

 ここで時間的な各段階における混合比率、割合、取捨選択は各個人の置かれた状況、環境に応じて人それぞれである。

 

 昔のライフスタイルと現代のライフスタイルの狭間で度合いを加減して、ちょうど良い新ライフスタイルのバランスを見つけることは、あたかも料理でちょうど良い塩加減を見つけるのと似てるかも知れない。

 そして順次、だんだん昔のライフスタイルの部分を増やし、現代的ライフスタイルを減少させるのである。

 

 

 単に昔の生活に戻るのではなく現代にある科学技術や文化のうち、有用なものは残し、無駄なもの、弊害の多いものはそぎ落として、捨てて、昔のライフスタイルを取り入れるのが良いと思われる。

 

 ここでコロナの託宣とも言える2つのメッセージを書いて置くことにする、どちらも既に述べた事である。

 

【ヴァーチャルはグローバルに、リアルはローカルに】

【衣食住(特に食べ物)に生産、消費のウェイトを置く】

 

これはまた似た別の表現をすれば

 

【情報はグローバルに、現物はローカルに】

【交換価値から使用価値へのウェイトの転換】(経済学用語を用いるならば)

 

となる。

 

 

  1. 6.要約のおわりに

 

 例え2020年末現在におけるコロナの災厄を科学の力で抑えたとしても、今後、また高い確率で第2のコロナが世界に対峙すると私は考えている。

 ここで第2のコロナというのは、またウィルスかも知れないし、超異常気象など別の災厄かも知れない。人類、社会のライフスタイルに大きな影響を与えるような、広義の意味での大事象(大きな事象、イベント)という意味で【第2のコロナ】という言葉を用いている。

 現在の資本主義のレールの上で、その場限りの対処を科学の力で行う事はイタチごっこで限りが無く、その度に人類は大きく疲弊するだろう。

 だから、私は根本的に人類がライフスタイルを転換しない限り、ずっと何度もいろんな災厄に姿を変えたコロナに対峙し続ける事となると思う。

 そのコロナの輪廻から脱する方法は決して未知の方法ではなく、この要約で述べ続けて来た【ポストコロナのライフスタイル】≒【脱資本主義のライフスタイル】≒【昔のライフスタイル(の現代アップグレード番)】であると私は考える。

 これらのライフスタイル、あるいは他の適切な方法があるならば、それを、世界が、国が、コミュニティが、家族が、個人が、同志が、採択する事を祈る。