本編 真留句はこう言った

当ブログでは、温暖化をくい止める事と、人の暮らし易き生の道を探し求める求道者「河流 真留句(カワル マルク)」の物語、【真留句はこう言った】を書いております。

真留句はこう言った コロナ以前 -19 燃える水 Ante coronam

            真留句はこう言った   コロナ以前-19   Ante coronam

 

                 燃える水

 

 

 

 耳障りなトラクターのエンジン音が真留句を夢の世界から現実へと引き戻した。

 

 だが、ちょうど、真留句が夢の世界から現実の世界に戻されたその時、彼は1つの考えを夢の世界から持ち帰ったのだった。

 そして独りで生きる者が屡々やることだが、己自身に話始めるのだった。

 

「燃える水よ、私はかねてからお前が為す大きな悪事-----天変地異(=異常気象)を知っていた。

 

 だが先刻の夢の世界で私は、さらなるお前の悪事を知ってしまったのだ。

 

 私は2つの夢の世界を旅行した。

 

1つ目の夢では私は左官職人になっていた。無心に手を動かして鏝(こて)で白壁を塗っていたものだ。

 

そして2つ目の夢では私は木こりになっていた。これまた無心に腕を動かして、鋸(ノコギリ)で丸太を切っている最中であった。

 

 現実の世界における惨めな仕事ではなく、どちらの夢の世界でも私は自分の仕事を愛していたし、職人としての生き方に誇りを持っていたのだ。

 

 現実の世界での仕事は身体も動かさなくても良く楽だ。

 だがそのため運動不足とストレスコントロールのために、別にスポーツジムに通ったり、ジョギングなどをすることになる。

 また、それだけでもメンタルの疲れがとれないならばマインドフルネスに取り組むこととなる。

 私は現実世界の仕事の際の人間関係によるストレスを緩和するために最近はマインドフルネスなるものに取り組んでいる。がなかなか、雑念が追い払えない。

 

 だが私が昨晩、経験した夢の世界ではスポーツジムもジョギングも、そしてマインドフルネスも不要であった。

 

 無心に手を動かして鏝(こて)で白壁を塗っていた瞬間、そして、無心に一生懸命に鋸(ノコ)を挽いていた瞬間、これらの瞬間こそ、私が現実世界で経験した1番深いマインドフルネスよりもさらに深いものであった。しかも容易にそのマインドフルネスの深いレベルに到達する事が出来た。ついでに職人としての技術、経験値も向上した。

 

 さあ、お前、燃ゆる水よ!

 お前はさながら、砂漠で喉の渇きで苦しむ人を欺くように、【効率】という利得でもって我々、資本主義世界に生きる人類を欺こうというのか?

 

 果たしてお前がもたらしたものは【効率】であったか?

 

 確かにチェーンソーを使えば木は早く切れる。効率的だろう、手鋸で切るよりは。

 

 しかし我々チェーンソーで木を切った後、【わざわざ】運動するためにスポーツジムに行ったり、わざわざジョギングせねばならぬ。

そしてマインドフルネスなるものすら必要となる場合がある。

 

 私のいた夢の世界の職人の間ではマインドフルネスなるものは意識され得なかったものっであろう。あたかも空気の如くに。

 

 総じて大切なものは意識され難し!

 

 燃ゆる水よ、お前は職人、人類からマインドフルネスの瞬間を奪ってしまった、

 さながら、お前が燃える際、周りの空気を奪うが如くに。

 

 そして人々の労働から誇りをも奪い取ってしまう。

 

 お前が悪であることは私には、自明なことなのだ。

 

 先刻、私を夢の世界から引き離したお前の奏でる楽音は醜い音なのだから。」

 

真留句がそう言い終えた時には、もうトラクターは黙ってその音を立てなくなっていた、聴衆のブーイングを浴びて演奏を止めてしまった奏者のようであった。 

 

 あたりには蛙の声に満ちていた。そして時折、鳥のさえずりが鳴る。

 

「この刻こそ私が愛する刻」

 

真留句はそのように言った。

 

 

 

1、 趣味や特別な目的意識があるなどで筋トレ、ジョギングされてる場合、あるいは瞑想めいたものとしてマインドフルネスに取り組んでいる場合はこの限りではありません。

 あくまで、近現代的労働環境における運動不足の補填やストレスコントロールの為のジョギングやマインドフルネスを本文では想定してます。

 

2、 化石資源を指標とする真留句の判定法

 (昔のライフスタイルの度合い、塩加減の判定法)

 

 化石資源と資本主義、経済成長は密接な関係にありますが、以下の考察をしてみます;

 

 筆者は昔のライフスタイルを推奨しております。しかしあまりにも原始的なライフスタイルも不便です。

 石包丁だとかの縄文時代の道具まで遡る必要はないと思います。かといって現代の化石資源や原子力を動力とするライフスタイルは行き過ぎていてバランスを欠くように感じられます。

 ちょうどいいバランスのとれたライフスタイルとは、どのようなものか?

 

 1つの考えは化石資源など外部動力を利用せずに、人間の自らの心臓という動力機関で作業、仕事をする、というものです。

 そのうえで道具に最大の効率を求める。

 

 具体的には江戸時代の頃でしょうか。例えば刀に象徴される刃物。江戸時代の鎌や包丁のレベルはとても高かいものだったのではないかと思います。

 それらの素晴らしい道具を使って、自らの心臓を動力として、手、腕、身体を動かして作業する、生活する。

 この時に真の意味で【効率】、【幸福度】、【生き甲斐】が大きくなるのではないか、と思います。

 

 化石資源を使わずに生活するうちは人の営みも自然の一部であって美しいものと思います。

 ところが化石資源を使うと、そのエンジン音の耳障りな音に象徴されるように自然から乖離してしまうように思えます。

 

(実は江戸時代の刃物は今と比べると質が良かったらしいのですが、1000年以上前の鉄は質がもっと良いらしいです。江戸時代の鉄すら見劣りしてしまう。昔の製法になるほど非効率的で手間がかかって、生産性や生産スピードは遅いのですが質は良いようです。)