真留句はこう言った

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真留句はこう言った コロナ以前-7 月と700円

 真留句はこう言った コロナ以前ー7   月と700円  

 

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              特に後者を読了なされてから本記事をお読み下さい。

 

 

以下、本文;

 

 夜。

 

真留句は弟子であり、また友でもある者の家を訪ねるために山路にある農道を独り歩いていた。

 

無論、辺りに真留句の他には人は無かった。

 

 しかし天空には満月に近い月があった。収穫をずっと前に終えた田畑や農道といった辺り一面は緑掛かったモノトーン(単色)と静寂に覆われていた。

 時折、虫の、か細く小さな音のモノフォニー(単旋律)が聞こゆるのみである。それとて長くは続かず、休符の方が長かった。

 

 その青緑の単色の世界は地球上というよりは月の世界と言っていいものだった。

 

そして真留句は昼間の多色のきらびやかな世界よりも、この月の単色の世界を愛していた。

 

真留句はこのような時間、瞬間を人生で最も愛していた。

 

 真留句はふと、月の住人は人の中では自分だけなのだろうか?と考えた。

山の農道の下方には民家もたくさんあり、普通の道路も通っている。しかし夜分につき人はほとんど家の中である。

 また外にいる者も歩く者はなく自動車に乗っていることだろう。田舎の山間部の移動というのはまず徒歩に頼るという事はありえないのだから。しかし車では、この月の支配する世界の住人にはなれない。

 

 山間部の夜道をわざわざ歩く偏狂な者は他にはないようだ。

 

 真留句はこう考えていたが、これ以上考える事は俗な事と思って止めることにした。

折角、月の世界の住人になれたのに、これ以上この方面を考え続けるならば再び地上の住人に戻ってしまう気がしたのである。

 

 次に、今の刻を詩にする事を試みた。が、詩なぞ学んだ事もないし、作った事もない。興の赴くままである。

 

 10分くらいしたら一句出来た。

 

 

独歩山路裏

 

月照天地

 

辺覆緑単色

 

但聞虫単音

 

 

そのまんまである。果たして、規則に合致するのか、詩として成り立っているのか、わからない。まあ、自分のために作った詩であるし、どうでも良かろう。

 

真留句はここで考えるのを止めて、無心に歩いた。

 

真留句は再び月の住人になったのである。

 

 

 真留句が山を抜け街に近づくと、今度は三味や胡弓の音や唄が聞こえて来た。

 街に辿り着く。

 街に入ると急に人の数が多くなった。

 

 どうやら街では年に一度の秋祭りが行われているようであった。

 

 町の人が唄い、奏し、踊っているようだが、周りの多くの観客に遮られて見ることが出来ない。

 観光客らしき人が多そうである。そういえば街はずれの道路には、たくさんの車が路駐していた。そして、それらの車のプレートの都道府県名は多岐に渡っていた。

 有名な祭りなのであろう。

 踊りは町の道を練り歩いて行われていた。

 

 

 三味や胡弓の音、唄は聞こえるが観光客に遮られて踊り手の姿を見ることが出来ない。

 

 聞こゆる胡弓は哀愁漂う響きなれど、その音と、いろとりどりの洋服を着た大勢の観客が1つの場所に同居する様に真留句は違和感を覚えた。ミスマッチな感じがしたのであった。

 

 真留句は踊りを見ることを諦め、弟子であり友である者の下に向かうために街を抜けようとした・・・・が、道には観光客が溢れていて、町の道を進むことすらままならぬ。

 辺りは汗と熱気と人込みに包まれていた。

 

 

 涼しい山路では汗をかくことがなかった真留句だが、街に来てから、汗をかいた。

 真留句はなんとか苦労して町はずれの友の下に辿り着いた。長い山路でもくたびれることのなかった真留句であったが、街に着いてから、一気に疲れてしまった。

 友の居宅の場所を人に尋ねることについては秋祭りのおかげで夜間ながら苦労せずに済んだ。

 

 友の居宅の前に行くと、楽音が聞こえてきた。三味や胡弓ではなくピアノの音色だった。

 民謡ではなくクラシックか何かの練習曲のようであった。

先ほどまでの人込みと熱気あふれる民謡の世界とは、ここは別世界のような気がした。

 しかし、ピアノの音は楽音としては、とても不味いものであった。習いたての子供がピアノの練習をしているかのようにも聞こえた。

 しかし友は確か独り身のはずで、子はいなかったはずである。

 とはいえ、真留句は練習中の下手な音楽を聴くのはそれほど嫌では無かった。むしろ好きな方かも知れぬ。

 国際コンクールか何やらで入賞やら優勝した若手音楽家の演奏会に行った事がある。確かに技術、テクニックは素晴らしかった。しかし、何やら、楽音と演奏が曲芸のように観えてしまって、一向におもしろくなかった。

 

 子供のピアノのお稽古の音を聞いている方が、よっぽどいいように思われた。

 

 真留句はしばらくこのピアノの稽古の音に耳を澄ましていた。練習はなかなか終わらないようである。やはり下手くそであった。旋律が途切れ途切れになる度に真留句も心の中で「がんばれ、がんばれ」と声援を送った。そのうち、そのぎこちない楽音に何故か没入してしまっていた。

 

 先ほど出た汗もいつの間にやら乾いてきた。

 

 この練習が永遠に長く続くかのように思われて、真留句は意を決して、呼び鈴を鳴らした。

 

呼び鈴を鳴らした途端に、旋律がもつれて音は止んだ。それから、しばらくしてから戸が開いた。

 

竜一「遠いところ、よくぞ、おいでになられました。中へお上がり下さい。」

真留句「お邪魔しますぞ。」

 

真留句は中へと案内された。

 

竜「今、お茶を淹れます、お待ちください。」

そう言って、竜一は部屋を出て行った。

 

 案内された部屋の中にはキーボードがあった。真留句が鍵盤を押すと、軽いタッチであった。安い部類のものだろう。機能ボタンもあまりないシンプルなキーボードである。先ほどのピアノの音はこのキーボードのものなのだろう。譜面台に開かれた楽譜の表紙をキーボードの裏に回って覗き込む。

 

 バイエルとあった。

 

 しばらくして竜一がお茶を持って来た。盆の上には湯呑が2つ、2つの皿それぞれに練羊羹がまた2つずつ置かれていた。

 真留句と竜一はお茶を呑んだ。夜更けではあるが玉露のようである。美味しい茶であった。真留句は甘いものが苦手だから羊羹には手をつけなかったが青磁の皿に置かれた練羊羹は美しく見えた。

 

真「町は祭りのようだが。」

竜「ええ、そのようですね。」

 

竜一はそう応えたが後が続かない。どうやら竜一は秋祭りには関心が無いようである。

 

真「先ほどのピアノはあなたが弾いてらしたのか?」

竜「ええ。この家には私しかおりません。」

 

 先ほどの不味い演奏の主はどうやら、友であったらしい。真留句は「あまり、上手ではないようだが・・・」というような事を口に出そうとした。しかし、その寸前で止めた。自分が山路の農道で作った一句の下手くそな詩の事がちょうどその時、頭に浮かんだからである。

 

 自分の下手をさし置いて他人の下手を言う事は出来ない。

 

 それに真留句にとって詩はまったく経験も無く、今日が詩の世界の第1日目である。この目の前の友も音楽入門者とはいえ、日毎にある程度の時間を、ある程度の年月をキーボードの稽古に費やして来たのであろう。バイエルの教本は60番の譜面が開かれていた。

 そして先ほどの句が自分の為だけに考えたのと同様に友とて、自分の為だけに奏しているのだろう。先ほどの稽古からはそのような印象を受けた。

 

 それに彼はみたところ真留句より年は上の50歳過ぎのようである。そういった大人の男が子供の稽古ような楽音を紡ぎ出すというのは、それはそれで貴重な事なのかも知れない。

 そしてピアノ入門のスタートとも言えるバイエルに50歳も過ぎたところで取り組んでいるという事自体、ある程度珍しいことのように思われた。

 

 玉露のカフェインが効いてきたのか、そのうち竜一の方から話し出した;

 

竜「あなたの庵に閑次や長三とともに訪れるまで私は公務員をしておりました。これといって取り組んでいる事もなかったのですがクラシック音楽を聴くのは好きでした。

 しかし、ちょうどあの頃、今まで楽譜という物を読んだことが無かったのですが、何となく好きな曲(それはバッハの平均律のフーガ)の楽譜を買ってしまいました。いったい、私が好きで聴いているこの曲の楽譜とはいったいどんなものなのだろう?と思った訳なのです。その時は楽器を弾くことになろうとは思ってはいませんでした。

 しかし、楽譜を見ても、私は音が想像できない(=視唱できない)ので、楽器を買う事にしました。ちょうど手頃な価格でネット通販でキーボードを入手出来ましたので。(あなたにもっと早く会っていれば、ネット通販ではなく地域の楽器店で購入した事でしょう。)

 そうこうしているうちに、私は自分の好きな曲、バッハの変ロ短調のフーガを生きているうちに弾く事が夢といいますか、人生の目標となってしまいました。

 あなたの庵で授けられた2つの策【人生三分の計】と【半YX】ですが、私は農業はやりたい訳ではないですから【半YX】を採用しました。独り身ですし公務員も止めて労働時間の少ないアルバイトに転職しました。

 私は公務員をしていれば、婚活にも有利だと思い仕事を続けて来ました。仕事にやりがいを感ずる時も時折ありましたが、根本的に心に届くものではありませんでした。そして、なかなか婚活もうまく行かず、そしてまた50歳も過ぎ、自分の人生というものを考え始めた時、音楽が私の心を捉えたのです。あなたの庵での話と婚活の不調というのもあり、私はもう結婚をあきらめ、音楽の道に進むことにしたのです。

即ち【半YX】においてY=エクセル入力のアルバイト、X=音楽を代入したのです。」

 

真「アコースティックピアノではなく電子キーボードなのですね。」

竜「ええ、アップライトピアノくらいならば買えない事もないし、この家には置く場所もあります。しかし、音量の問題でご近所に迷惑かも知れませんから。それでキーボードにしました。安価でしたし調律も不要で手間がかかりませんから。」

 

 確かに竜一の家は先の祭りの街中とは異なり新興住宅街といった風で幾件もの家が密集して建っていた。

 

竜「キーボードの性能は日進月歩との事ですが、本物がなりを潜め、本物を擬したものが幅を利かすのが咋近のようです。」

真「確かに・・・・それは楽器のみならず野菜といった食べ物も同じかも知れん。」

竜「そうですね、そして、それらを口にする我々、人間の生の営み全体もそう言えるのかも知れませんね。」

真「・・・・・・・」

しばらく沈黙が続いた。それからまた真留句が問いかけた;

 

真「少し前、そば屋さんをしているあなたの友人の下を訪れた際に、彼は【アルバイトにはできることなら行きたくはないですし、お店が経済的に軌道に乗って、アルバイトを止めて、そば屋さんだけで生活するのが夢です。しかし、それは奇跡でも起こらない限り無理である】と言っておりました。あなたも、音楽でお金を稼げるようになって、アルバイトを止めることを目指しているのですか?」

 

真留句はこのように竜一に尋ねた。というのは、竜一が音楽で飯を食って行くのはとても難しいように思われたからである。それは、かの辺鄙な場所で閑古鳥系そば屋を営む、彼の友人がそば屋さんで生計を成り立たせるより、さらに難しい事だろう。

 

竜「いいえ。まず、音楽がお金にはならない事は覚悟してます。才能ある幼い者が音楽の道を歩み始め、日毎に数時間、千日の稽古と万日の鍛錬をもってもなお、音楽で飯を食うのは容易ならざる事なのは知っています。

 あなたの【半YX】は何も新しい事ではなく、芸人などが売れない時分にY=アルバイト、X=漫才、を代入して以前より実践している事なのです。

 彼らはいずれXで、すなわち漫才で飯が食えるゆになって、アルバイトなどせずに済む事を目指します。そして、幾人かはそれを実現します。

 私の場合は無理でしょう。私は一生【半YX】のままでしょう。

 しかし私にとってそんな事はどうでも良い事なのです。

 重要なのは生きているうちにバッハのフーガに辿り着けるか、どうか、ただそれだけなのです。

 この歳になって楽器を始め、果たしてそれが可能なものなのか・・・・。

 リストやショパンラフマニノフの難曲が難しいのは世でよく取り上げられますがバッハとて容易ではないと聞きます。バッハのフーガをきちんと弾くことは、リストやショパンのきらびやかな高速のパッセージ、オクターブを越える跳躍のある難曲に劣らず難しいそうなのです。」

 

 この男の話した事は音楽や芸術が所詮、遊び事に過ぎず、魂の救済とは無縁なるものと考える者にとっては、理解し難い事であろう。

 

 この男にとってはバッハのフーガを奏する事こそが、人生の目的であり、魂の救済にすらなってしまったようなのである。

 

 が、真留句はその後にけっこう現実的な話をしたのだった;

 

真「私は【人生三分の計】と【半YX】をあくまで過渡的戦略の策として、お話しました。即ち、あくまでアルバイトやYといった、嫌々ながら現金収入を得るという分野は最後には消滅させて、半農半Xのような理想状態に持って行くための、あくまで手段なのです。

 ですが、私の策の私の想定した使い方など、確かに、どうでも良い事なのかも知れません。人の役に立つならば、それで十分です。

【真留句の言ったことなどに、何ほどの事があろう!】

まさにそういう事なのです。」

 

真留句はそのように言った。