真留句はこう言った

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真留句はこう言った コロナ以前-15A 人生三分の計(前半) Ante coronam

真留句はこのように言った。        人生三分の計       ante coronam

 

 

 

竜一と閑次と長三の3人は原発事故のような人災、温暖化による異常気象の大きな自然災

害(否、これも自然災害というよりは人災といえるのではないか?)を目の当たりにして、このままではいけないと思った。

 

自分達が普通に生きて会社に勤め、買い物をして消費して、自家用車で移動するというだけで、知らず知らずのうちに経済活動に参加して、化石燃料を使い、温暖化、環境破壊に一票を投じていることになるのだ。

 

しかしだからといって、どうすればいいのか見当もつかずにいた。

 

噂では真留句という隠遁者ならば、そういった方面に通じてるかも知れない、とのことだった。

 

三人は早速、真留句の住む山の庵に向かうこととした。

 

冬も近い秋深まる山の中を3人は行く。3人は真留句の庵に着いた。

 

真留句の友であり下僕であるムカデが3人を迎えた。ムカデは畑の作物の害虫を獲って食べるので、家庭菜園をする者にとってはいい友なのだ。

 

「真留句は今、旅に出ていてここにはおりません。しかしそう長くはない旅でしょうから1ヶ月くらいのちには戻るでしょう。」

ムカデは言った。

 

3人は庵を後にし帰ることにした。

 

しばらく月日が経ってから、3人は再び真留句の庵に向かった。冬が始まり道中には小雪が舞う。

3人は再び真留句の庵に着いた。今度はカマキリが迎えてくれた。 カマキリもやはり畑の作物の害虫を獲って食べるので、家庭菜園をする者にとってはいい友なのだ。

 

「真留句は今日も留守です。今日は生活費を稼ぐためにアルバイトの夜勤に行ってます。」

3人は再び真留句の庵を後にし帰ることにした。

 

それからまた月日が経ってから3人は真留句の庵に向かった。今回で3度目となる。冬も深まり、この日は吹雪であったが3人の熱い情熱を冷ますことはできない。

 

3人が真留句の庵に三度目に着いた時にはムカデもカマキリも彼らを迎えた。

「真留句は今日はいますが、今、瞑想の最中です。彼は瞑想の邪魔をされるのをひどく嫌います。」

そこで3人は真留句の瞑想が終わるのを待つことにした。

 

待っている時に文武両道でヨガにも通じている閑次が口を開いた。

「真留句というのはかなりの修行者だろう。瞑想も長いはず。数時間は覚悟した方がいいぞ。」

 

しかし3分くらいで真留句は現れた。後で知ったところでは彼の瞑想は1回20分程度らしい。30分の間違いではないのか?と思う方もいるかも知れないが20分なのである、20分=1/3時間と表示すれば納得してもらえるだろう。

 

真留句はムカデとカマキリを伴って現れた。

「あなた方のことはここにいる我が友から聞いております。今までに難路を何度も足を運んでくださったこと、そして今日はお待たせして申し訳ありません。ムカデとカマキリよ、次回から、このような場合は瞑想を止めさせて客人が来られたことを教えてくれ。」

しかし{次回}ということはこれ以降なく、今回が最初で最後のケースであった、真留句は続けた。

「あなた方がお話になりたいことのだいたいのことはムカデから聞いております。」

真留句はそう言って、時計型薪ストーブのある部屋に友と3人の客人を案内した。欧風のゴージャスな薪ストーブではなく日本の昔ながらの農家にあるような素朴なストーブである。真留句とムカデとカマキリと竜一と閑次と長三はストーブを円卓のように囲んで座った。

 真留句は水を鍋に入れストーブの火にかけた。そこに茶葉を入れ煮出して、それから何やらよくわからないスパイスを入れた。それから牛乳を入れた。最後に黒砂糖のかたまりを入れて、チャイを淹れたのだった。チャイが出来上がると真留句は皆にそれを振舞った。

 

6人は淹れ立ての熱い茶淹を飲んだ。ウーム、なかなかうまい。

 

閑次は言った。

「昨今の異常気象を見るにつけ、このままの生活ではいけないと思いました。半農半Xは、かなりいい生き方だと思います。しかし結論から言うと厳しいです。私はX=そば屋さん、を代入しました。しかし飲食店というのは見た目以上に大変です。準備に時間も手間もかかるのにそれほど収入にならないです。農業も機械を使わず、手作業でやると時間がかかります。採れた作物、それは市場に類を見ないくらいに素晴らしいもので、とてもお金には替え難いのですが。はっきりいって経済的に厳しく、私にとっては両立は困難、生活を継続、維持できません。」

 

真留句はしばらく沈黙していた。何か考えているようだ。そしてしばらくしてから口を開いた。

 

「結論から言うなら、半分、すなわち1/2ではなく三分、すなわち1/3(三分の一)としてはどうだろう?

 

すなわち

 

[ 1/3会社勤め、1/3農業、1/3X ]

 

としてはどうだろう。Xというのは半農半Xの時と同様にあなた方の魂の命ずる仕事、任務、やりたい仕事、使命だ。

 

確かに半農半Xは素晴らしいライフスタイルだ。しかしあなたが言うように誰もが実行、継続、維持できるわけではない。実行できる手腕を持つ者にとっては素晴らしいライフスタイルとなろう。

 

{会社勤め}といのは今日の資本主義社会の中で絶大な強制力を持っている。サラリーマンとして生きるという潮流に抗うことは難しい。我々の家計を成立させるための1番安全な方法は労働力商品として企業に勤め、給料を得るという形でお金を得ることだ。このまま放っておくなら我々の大多数の人生のだいたいの時間は企業で労働者として働く時間に席巻、征服されてしまうでしょう。

 しかし、企業に勤める生き方は環境問題や、自分の人生の生きがい、やりたいこと、といった観点からは望ましくない部分が多い。また労働の正当な対価が昨今は得られにくくなっています。

働いても働いても、時間やお金に余裕ができないのは我々の時間や労働、エネルギーがお金を通して、見えざる存在に吸い上げられているからなのです、利子という厄介な黒幕がいるのです。

そこで、この会社勤めの人生における割合や時間を減らし、他の農業とXで支えることでバランスをとるのです。ちょうど鼎が3本の足で支えられるように、あなた方の人生と家族も3つの分野で支えるのです。

 

会社勤めの割合が減れば、だいたい収入も減ります。しかし、支出もライフスタイルに応じて減ってバランスがとれるでしょう、あなた方は消費、購買という行動をもっと見つめなおすことになるでしょう。

 

次の1/3、農業について話します。農業は生きていくうえで必需品である食べ物を生産します。別の機会に話すことになると思うのですが食料を生産する農業は政治的にも資本主義においても特殊な特徴をもつ産業です。

農は食べ物をつくり、食べ物は我々の心や身体を作ります。すなわち、農とは我々自身をつくる行為でもあるのです。

 

最後の1/3Xについて話します。先の農とこのXは資本主義社会において軽視され、踏みにじられてしまう分野です。Xはあなたの望むこと、魂の命ずるままに従えばよろしいでしょう。

 

農業というのはお金にはなりませんから、そのうちにXで生活費を稼げるようになるといいです。自分のXを尊重し、そしてまた他人のXも尊重するようにすると良いでしょう。

 

そうして農業とXの時間が充実し、増大することで、あなたの中の企業に勤める部分が減少し弱くなるでしょう。そのような過渡段階を経て半農半Xの状態に持ってゆくのです。

 

この1/3戦略はエネルギーが分散してしまうという欠点があります。あまり多方面に手を出すのは得策ではありません。可能ならば、実現できるのならば、やはり半農半Xが理想なんです。

 

なお【人生三分の計】が実行し難いようでしたら別に

【半YX】(※注1)

という策もあります。

Yにはとにかく、生活費を稼げることを代入します。企業に勤めるのでもいいですし、自営業でもかまいません。さてここでYが自分のやりたいことなら半YXである必要はなく、

Yだけで生きればよいです。しかしYが、生活費を稼ぐためにやむを得ずやっていることならば、別にXもやります。Xはやはり、あなた方の魂の命ずる仕事、任務、やりたい仕事、使命を代入する。」

 

真留句はこのように言った。

 

 

注1、このお話に出て来た【半YX】と文章版i要約に出てくる【半ZX】は言葉は似ていますが異なる意味を持ちます;

 

X・・・ 好きな仕事、趣味、  使命的な事業、   魂、心が欲する行動

 

Z・・・ 衣食住に関わる必需品を生産する仕事、1次産業的な業。

     具体的には家庭菜園、農業、林業、漁師、猟師、畜産業、衣服作成、大工、

      鍛冶屋さん、配管工、瓦職人など

 

Y・・・嫌々でも良いので生活費を得る為に会社勤めする仕事、アルバイト。この会社勤めの仕事は精神的、肉体的エネルギー、そして時間を消耗し過ぎない仕事にすること。エネルギーはXの注ぐようにする。収入は最低限の生活費を得れれば十分。あとはなるべくDIY(代表的なのは自炊。あとは家屋、配管などの簡単な修繕などを想定されたい)などで節約する。

 

【半ZX】は真留句が1つの理想と考えるライフスタイルである。(※ 文章版i要約の第2章参照)

 他方【半YX】や【人生三分の計】はその理想的な【半ZX】に持って行くための過渡戦略、中途段階のライフスタイルである。しかし、この半YXは不安定、変化の激しい時世においては有効なライフスタイルである。その柔軟性故に。総合格闘技柔術で言うところのガードポジションのようなスタイルと言える気もする。