真留句はこう言った

河流 真留句 (カワル マルク) の物語 ・・・初めて当ブログにお越しの方は【真留句はこう言った 0(ゼロ) ブログ案内】からお読みになる事をおすすめします。

そば処 あるまんど 真留句はこう言った コロナ以後+3 post coronam

 この記事については、最近、改訂多く、ご面倒おかけしております。題名やそば屋さんの名前は元の「あるまんど」に戻りました。
 試行錯誤、紆余曲折ありました。今回ので、いちおう自分としては、形になったと思っております。
 主な変更点は、やはり物語後半の閑次と真留句の対話の配置の仕方です。読んで下さってる方には、度々の改訂で、何度も読み直して、度々、時間を頂くことになり、すみません。
以上、注意書きでした。
以下、本文です。
 

 真留句のコロナ後の行脚は続く。

 

 真留句は彼の弟子で辺境の地において閑古鳥系そば屋を営む閑次の下を訪ねた。コロナで飲食業や観光業は大きな打撃を受けていたので真留句も弟子のそば屋が気がかりだったのである。

 
 

「おうぅい」と声をかけたが返事がない。

 

閑次の自宅兼店舗には休業中の看板がかけてあった。

 

お店の戸を開けて、「おうぅい」とまた声をかける。

 

 2回目の呼び声が消えた跡の店内には、ただオーディオ機器から小さな音量でピアノの楽音が流れ続けるだけであった。

 

バッハのロ短調のインベンションであった。

 

 先に流れていたト長調シンフォニアが終わり、ちょうど楽曲は始まったばかりである。真留句はこの演奏を聴いていたい気持ちにかられた。真留句は目を閉じて音楽に耳を澄ました。短い時間であった。演奏が次にロ短調シンフォニアに移ったところで真留句は節電のために勝手ではあったが演奏を止めさせて、電源を切った。

 

それから店を出て、辺りを見回した。

 

 近くの畑を見ると、ごく小さなナスの芽が雑草の中でひっそりとあった。

ひっそりではあったが、真留句の眼には懸命に生きているように見えた。

 

数日続いている日照りに加え、昨日は季節外れの強風が吹いた。

 

 しかし小さいが故に強い風当たりをまともに受けることはなかったのであろう、割と元気そうで小さいながらも生命力を感じさせるものがある。

 周りのライバルたる雑草達も続く日照りにはナスと共に葉で日陰を作り、そして根でお互いに土の中の水を蒸発させまいと、共闘中のようである。

 このナスは昔ながらの在来種を無肥料で育てているが故に、成長が遅い、否、成長が自然なのだろう。

 

 他方、真留句がここに来る途中の畑で見た、マルチや化学肥料で早く、大きく育てたF1であろうナスやキュウリ、トマトはその大きさが却って仇となってか、昨晩の強風で支柱ごと倒れている株もしばしば見うけられたのだった。

 

 真留句は閑次の他も畑も見に行くことにした。他の畑に閑次はいた。閑次はしゃがんで、雑草を抜いてキュウリの世話をしていた。かといって雑草を抜きすぎるほどではなく。

一心不乱に雑草を取るというのでは、無かった。

雑草を抜いては、しばらく見つめ、考え、また抜いてゆく。

そのゆっくりとした動作は雑草を抜くというよりは畑の中で一種のバランス、調和を保つ儀式を執り行ってるようにも真留句の眼には写った。雑草を排除することと残すことのバランス、調和を。

 
 

真留句は弟子にそっと声をかけると閑次が応えた。

 

閑次「師匠ではないですか、よく私が畑にいることが、わかりましたね。ずいぶんとお探しになられましたか?」

 

真留句「否、お店の後、すぐにこの畑に。以前は作物を栽培してなかったお店の近くの畑に今日はナスの芽を認めたものだから、あなたが今は農作業をしてるかも知れない、と思った次第だよ。畑の方はまずまずのようだが、そば屋さんのほうはどうかね?飲食店がコロナで受けている被害は大きいと聞きます。そう、あたかもコロナは飲食業や観光業に冬の時代をもたらしたと。」

 
 

詳しい事情を話すと、長くなるのですが、と閑次は前置きしてから話し始めた。

 

閑次「休業しています。しかしコロナの影響は経済的、収入的なことに関しては当あるまんどに関しては、あまりない、と申し上げてよろしいかと思います。情けないことですがコロナがあろうと無かろうと、以前あなたがお見えになった時と同様に閑古鳥が鳴いています。むしろ休業している現在の方が高くつくそば粉や鰹節、しょうゆを買わずに済むから経済的には楽と言って良いのかも知れません。

 唯一の収入源のアルバイトはコロナ下でも、何とか勤務できてます。

 以前、あなたがここにいらした際に私は次のように言っておりました;【アルバイトにはできることなら行きたくはないですし、お店が経済的に軌道に乗って、アルバイトを止めて、そば屋さんだけで生活するのが夢です。しかし、それは奇跡でも起こらない限り無理である】、と。

 しかし、もしそのような奇跡が起こっていたら私は今頃、ひどい目に遭っていたところでしょう。幸か不幸か、お店が閑古鳥が鳴いていて、経済的にはうまくいっておらず、収入を他のサイドワーク、アルバイトに頼らざるを得なかったが故に、今回のコロナの被害をまともに受けることは無かったのです。」 

 

閑次がそのように説明するのを、真留句は閑次の足元の小さなキュウリを見つめながら聞いていた。このキュウリも直播き栽培だろうか、先ほどのナスよりも成長していて大きな本葉のあるものもあったが、やはりまだ小さな姿をしていた。

 

閑次は続けて語った。

 
 

 「しかしこのコロナを受けて、そば屋さんを営業して以来、時間不足でやめていた【家庭菜園を再開しなくてはいけない】、そのように感じました。直感というか、心の声と言ってもいいでしょう。そして、【内なる心の声に耳を傾け、従うように】というのが、あなたの教えです。今回はこちらが耳を傾けずとも、自然に向こうの方から語りかけてきたのですから、なおさらです。

 農作業は自然にコロナ3密が回避されます。(密教の三密ではありません。)海外からの食糧の輸入ストップの観点からも、コロナ下において農作業をするのは合理的、自然なことのように感じます。

 コロナのこともあって、そば屋さんは当分の間、休業せねばなりませんし、そば屋さんに投入する時間の代わりにちょうど、家庭菜園をする時間が与えられた、とも思えます。

 」

 

真留句「飲食業を営む、あなたにとっては野菜を育てることは食材を見つめ直す良い機会となるのかも知れませんね。草木も冬、何もせずにじっと耐えてるようで見えないところではじっと根を伸ばし来るべき春に備えようとしますしね。

ところで、営業自粛の補助金は申請したのですか?」

 

閑次「師よ、あなたは超俗でありながら、けっこう俗っぽい質問もなされるのですね。

いいえ、飲食店としての自粛補助金の申請はしてないです。そば道具や、お店の設備の問題で仮にコロナが無くとも、営業はすぐには出来なかったはずです。

それに、もともと閑古鳥が鳴いていて

【売り上げ<原材料費】の、あるまんど不等式が成立しているお店です。

あるまんどの補助金申請はいろんな面で補助金の趣旨に反します。

それに、今回のコロナにおける助成金、給付金に私は違和感を覚えずにはいられません。いにしえの飢饉の際に【さつまいもを植えよ】と命じた古人の政策は自然で正しいように思われます。しかしながら、今回の助成金、一律給付金にはとにかく違和感を感じるのです。

しかしながら国民全員に給付される10万円に関しては申請してもらうことにしました。なにせ相変わらず貧しく生活が苦しいものですから。先ほど、【生活費を得るためにアルバイトをしている】と言いました。そば屋さんは赤字でしたから、そのアルバイトが唯一の収入源でした。しかし実は最近、事情があってそのアルバイトも止めてしまったのです。止めた理由は職場の人間関係のトラブルのためです。止めていなかったら、今頃、うつ病など心の病になっていたかも知れません。

 アルバイトですし雇用保険には加入してませんでした。失業保険は出ません。このタイミングで行われた全国一律10万円の給付金には本当に助かりました。しかし依然として収入ゼロですし、出費を節約して抑えていても10万円もいずれはなくなります。何とか別のアルバイトの求職活動もしているといった次第なのです。」

 

真留句「君も相変わらず私と同様に常に金銭的にはギリギリなようだ。一律10万円の給付金が君とっては命綱の失業給付金となったようだ。

神のご加護に感謝したまえ。

 

 ところで私も今回の給付金、補助金の分配には違和感、何かおかしいものを感じるのだ。しかし、現在のところ大規模な株価の下落や恐慌が起こってないところを見ると、【過去において大恐慌はどうすれば回避することが出来たのか?】の経済学的な研究の導く回答は今回の【お金のバラマキ】なのかも知れない。

 お金のバラマキ、即ち紙幣の増刷はインフレをもたらすであろう。それはあらゆる分野の企業の倒産を抑制する方へと働くであろう。

 先ず第1にインフレは債務者にとって有利に働く。インフレは借金を目減りさせるのだから。銀行から借金をしている企業にとっても有利に働くであろう。

 また、第2にインフレを予期した消費者はお金を現物に替えようと、即ち買い物をしようとするだろう。特にプレミアに10万円をもらったのだし、なおさらさ。この購買活動の増加も生産者たる企業には有利に働く。

 

 とはいえ、このツケ、副作用はきっと後からやって来るだろう。そして特に犠牲お強いられるのは我々庶民なのだろう。」

閑次「どういうことなのですか?」

真留句「私にも詳しいことはわからない。しかし次のような考えが思い浮かぶ;お金とは、そもそも労働に他ならない。我々の労働が姿を変えたものだ。労働と等価交換されるべき

ものだ。」

閑次「あなたの言われることは正しいように思われます。」

真留句「労働の伴わない貨幣、お金の乱発とは不自然なものなのだ。インフレなどを招くだろう。

 先ほどは企業倒産の抑制というインフレの良い面を述べた。しかしインフレは庶民が血と汗を流して労働と交換して得た財産(貯蓄)を目減りさせる。

 また国の借金の利子も増える。利子の返済は結局のところ我々庶民の家計が負担することになるのだ。

 現在、乱発されたお金は、未来の労働でもって、しっかりと贖われるであろう。即ち、今後、我々庶民が労働した際に、正当な労働の対価を得ることができない、という形でもって。コロナ以前から既に私は【労働者が正当な労働の対価を受け取ることができない】という問題に言及していた。今後はもっとそれがひどいものとなるだろう。」

 

 ここまで真留句は言うと、しばらく沈黙した。閑次はこの沈黙の時間を使って、長かった師の話を理解、咀嚼し整理するために考えにふけった。閑次も沈黙したのである。

 

 閑次と真留句は高台の畑に立っていた。弟子の沈黙の間に真留句はふと、下方にある畑に目を向けた。

 下方の畑は雑草1つ無い黄土色の畑であった。続く日照りは土を固く、黄土色にし、乾いているのがわかる。その畑を「黄土の畑」と呼ぶならば、今、閑次と共に立っている雑草に覆われた畑は「緑の畑」と呼ぶことになるだろう。

 雑草1つないその畑は近代の農家が考える1つ理想郷と言えるだろう。

 

 黄土の畑には大きなナスやこれまた大きなキュウリ、たくさん植えられていた。

 他に収穫期を過ぎたキャベツもあった。キャベツに至っては大きい、というよりは緑の畑で採れる作物にに対しては化け物のような大きさ、と表現した方が良いような巨大さであった。

 トマトやキュウリの中には昨晩の強風であろう、支柱ごと倒れている株も多かった。

 

 ナスやキュウリの根元の土はやや土の色が異なっていた。誰かが数時間前に水を撒いたのであろう、それで色が異なるのである。しかし容赦なく照り付ける日差しで、水はほとんど乾いていて、あと1時間もすれば他の部分と変わらぬ色に戻るであろう。

 

 先ほどの師の話を頭の中で整理し終えた閑次は、今度は師が下方の畑を見つめていることに気がついた。

 

真留句は早い時期から大きく育っている、その下方の「黄土の畑」を見つめていたのだった。

 

閑次「あれは私の母が手入れしている畑です。慣行農法の畑、よく手入れされた畑です。化学肥料やマルチを使った作物は私のこの畑よりも早く、大きく育ちます。

作物の生産ということでは効率的です。」

 

真「しかし早く大きくは、とんだ副作用が生じることもある。

 化学肥料のやり過ぎは虫害を招くこともある。雑草がまったく無ければ、虫は育てた作物にたかる他はない。根こそぎ作物が虫にやられてしまう事もある。

 

対処するには農薬を投入する事になる。」

 

真「ところで、現代は社会活動、経済活動もより早く、より大きくだ。資本主義の進展とその産物である科学技術を化石資源や原子力を利用して生産活動を行う。学校における集団教育、そして経済競争に打ち勝ち生き残る為には大規模な生産体制、そして効率が求められる。」

 

閑「しかし、早く大きく、効率重視の経済活動はとんだ副作用が生じることもあります。化石資源の使用は温暖化を招き、原発も一度、事故が起きれば大変です。

 

対処するには、太陽光発電だとか、また別の科学技術が必要で、しかし、それもまた設置場所の自然破壊など、別の問題があって・・・・」

 
 

閑「早く大きく育ち、見栄えの良い野菜や作物を良いと考える人は多いものです。」

 

真「しかし、早く大きく、たくさん採れた見栄えの良い野菜は、中身が詰まってなく、食味に奥行きがないように思える時がある。」

 
 
 

真「人は高収入や何事にせよ早い事、高い車や高いマンションや邸宅を持つことが良いと思いがちなものだ。」

 
 

閑「しかし大きな収入を得ることや物質的な豊かさは人の生を時として空疎なものにする事があるように思えます。」

 

真「私もそのように思う。高収入は時として人を不幸にすることもあるように思う。健康や家族よりも仕事を優先した為に高収入ではあったが、健康を損なったり、離婚したケースを耳にすることがある。収入が多く、物に恵まれても仕事にやりがいが無かったり、家族と十分に過ごす時間の無い人生は中身の詰まっていない人生と言えるのかも知れぬ。

 またネット社会やスマフォは学校におけるイジメを陰湿、凄惨なものにし、もはやイジメとは呼べず、事件や犯罪と呼ぶほうがふさわしいケースさえある。現代社会がどうしようもなく腐敗しているようにも見える。」

 

閑「化学肥料で早く大きく育てた野菜は、長い期間を経ることなく、ゼリー状に、どうしようもなく腐敗してゆくことがあります。」a

 
 
 

閑次と真留句は再び、閑次の畑、即ち、緑の畑に目をやった。

 

閑「私の雑草だらけの畑の野菜は成長も遅く、大きさも小さく、また畑からたくさん頂くことは出来ません。」

 

真「しかしバランスと調和があるように思える。周りの雑草も虫の食べ物なので育てる作物の虫害も部分的。根こそぎやられてしまうことはないだろう。」

 

真「昔の日本人は物質的には貧しかったかも知れん。」

 

閑「しかし心の世界や風雅を重んじる風潮があったように思えます。日本は昔の方が、心の豊かさと物質的な豊かさのバランス、調和があったのかも知れません。」

 

真「確かに今は自らの仕事への誇りやプライドといった心情的なものよりも、損得勘定やお金儲けに重きを置く世の中であるように思う。たくさんお金儲けをしている者が、もてはやされる時代のように感じる。

昔は貧しいながらも自分の腕と仕事に誇りを持った人が今よりもっと多かったろう。

また学校に不良もいたが一線を越えない分を弁えていたように思う。」

 

閑「緑の畑の作物は小さいです。」

 

真「しかし、そのような作物は中身が詰まっている感じがする。

また、長く持つ。腐ることなく、萎びてゆくか朽ちるかだ。味は滋味深く、奥行きがある。そして何より、食べた後に身も心も元気になって身体全体からエネルギーが湧いてくる感じがする。ストレスなどで落ち込んでいる時もそのようなものを食べると、気持ちが元気になり、健康になる。

そう、【本物の食べ物】と言えるのではないか。」

 

真「七世代後のことを考えて現在を生き、温暖化をどうにか止めようと思いながら、自然に逆らわず生きるのは収入が少なくなりがちであろう。」

 

閑「しかし、手元に自分や家族の時間が充分にあって、少ない金銭で余計な物は買えずとも必要な物を買えるのならば、そして自分が心から望むことや、大切な家族や友と過ごすのに費やす時間が十分にあるのならば、滋味深い、満足のできる中身の詰まった人生と言えるのではないでしょうか。

 さらにあなたの言う【本物の食べ物】を食べて命を繋いで行くことができるならば、ーーーーーー食べ物が身体や心を作っているのだからーーーーー【本物の人生】を送れるのではないでしょうか?」

 
 

このように閑次と真留句はお互いに話したのだった。

 

「それにしても」

 

と真留句は対話の最後に弟子に次のように言った。

 

「畑は君に肉体の糧のみならず、心の糧をも、もたらしてくれたようだ。」

 

真留句はそのように言った。

 
 
 

初稿 2020年秋頃

最終改訂日 2023年5月1日