ウクライナ戦争への私の見解 私はこう思った 7
以下、ウクライナ戦争への私の見解を書きますが、憶測が飛び交う文章であくまで見解であって仮説の部分もありますので眉唾でお願い致します。
読者の方と私の見解が異なる部分など、読んでいて不快になる部分はさっと読み飛ばして、部分的にでも有用な部分があれば、そこを読んでもらって、何らかの役に立てば幸いです。自分としては、本文について読む気にならなくても、本文終了後の追記1を読んでもらえたなら、と思っております。
以下、本文です。
ゼレンスキー大統領、あるいは彼に圧力をかけた勢力が戦争の原因としては大きいと私は見ております。ウィキペディアでゼレンスキー大統領の来歴を読んでそう感じました。
ゼレンスキー大統領はウクライナ国民の民意に反する政策で戦争を導いたと私は思います。
大統領選挙では欧露融和を掲げ高い得票率で当選。ウィキペディアでゼレンスキー氏の得票率に応じて地域別に色分けされた図表があります。それを見ると東部や南部がゼレンスキー氏を支持していたと読み取れます。他方、図表赤色の西側のリビウのある州はポロシェンコ氏が優勢でゼレンスキー氏はあまり得票できなかったようです。
しかし現在、というか支持率が低迷して欧露融和から反露政策に転換してから戦争只中の現在までにゼレンスキー大統領がやっている事はあたかもポロシェンコ氏がやろうとしたとも言える西側寄りの政策のように私は感じます。ウクライナ国民の多数は大統領選挙当時は反露政策を望んでは無く、それもありゼレンスキー氏に投票したのだろうと私は憶測しております。
しかし、ゼレンスキー氏はその民意を裏切る形でポロシェンコ氏に投票した少数派の意見に転向し、従ったように私には見えます。現在のゼレンスキー大統領の方向性は大統領選挙の時の方向性とはまったく別の方向性のように私は感じます。
しかし政治経験不足や世界情勢、社会情勢に恵まれず、政策がうまくゆかず、支持率が低迷。
この支持率が低迷した時に政治家として立場が弱い状況に陥ったゼレンスキー大統領に対して反露政策に転換するように圧力をかけた勢力(プーチン大統領がネオナチと呼んでいる人達?のことでしょうか。)が今回の戦争の大きな原因と私は思っております。この転換以後はゼレンスキー大統領はウクライナ国民の民意とは別の方向性に歩み出したと思っております。そしてウクライナ全国民の代表というよりは、圧力をかけた勢力の傀儡となってしまったのではないでしょうか。しかし幾つか、ユーロ加盟などはウクライナ国民も望むところとは思いますが。
また、その圧力に屈して国民を戦争に巻き込んだゼレンスキー氏も国のトップの政治家としての資質や人格が伴なっていないと私は感じます。
しかし、現在、ウクライナ国民の多くは反露に傾いてると思います。侵攻開始前はそうでは無かったと憶測します。侵攻開始のタイミングでウクライナ国民を味方に引き込む事に成功したのはゼレンスキー氏、ウクライナ政権であったと思います。(そのタイミングがゼレンスキー氏につくか、あるいはロシアにつくか、人々の考えを変化させるのに適した時だったと思います。鉄は熱いうちに打てのタイミングと思います。そして、一度、固まった考えは、なかなか変化しなくなると思います。ロシア贔屓か、あるいはウクライナ政権+西側贔屓かは。それは私も同様ですが。)
また当然、戦争が進むにつれ、攻撃してくるロシアへの反感が強くなります。
侵攻を開始したロシアが法的に悪いのは当然と思います。日本における人間同士の争いでも先に手を挙げた方が法的には悪で罰せられます。
しかし私は苦情なりを言葉で何度言っても聞く耳持たず真摯に取り合わないとか、酷い侮辱をするとか、あるいは手を出させる為にわざと挑発するとか、手を挙げるのも仕方ないような行動をとった場合は、場合や状況によっては手を挙げさせた方が悪で、原因としてのウェイトは大きい場合もあると考えております。それは人の作った法とは別の観点での善悪の判断です。もちろん状況や場合によっては手を挙げた方が悪い場合も、もちろんあると思います。
しかし、決して単に「先に手を出した方が悪い」などという杓子定規なものではない、と私は思っております。ただ現実問題として「先に手を出した方が悪い」としておけば実際にジャッジを下す際に楽というか、考えなくて済むというか、コストがかからないという面はあると思います。
とにかくケースバイケースであって、どちらが悪かとか原因や責任が大きいかは一概には言えないと私は考えております。しかし人の作りし法の観点からは、とにかく先に手を出した方が悪です。
しかし同様にもしかしたらウィキペディアにおけるゼレンスキー大統領の来歴はロシア寄りの記述なのかも知れません。ロシア寄りの人がけっこう執筆してるのかも知れません。
私はそれを読んで、ゼレンスキー大統領が今回の戦争の原因としては大きいと見做(みな)しています。
とすれば、私も私自身の見解に眉唾にならねばなりません。
ウクライナ国民にせよ、ロシア国民にせよ、戦争をしたくない人々こそが犠牲になっていると感じます。天、あるいは自然の視点からの正義のある方が納得が行く形で、邪な勢力が折れる形で戦争が早期に終結することを願っております。
また、今回の戦争を人間同士の1対1のケンカに見立てるならば、当事者以外がやることは善悪を問うとか、いずれかに正義があるか、などを問う前に何より先ずやるべきはケンカを止(と)めることのように思います。その後にケンカした両者が話し合いで解決する事を促がすことのように思えます。その話し合いの際に善悪や正義を問う、ということになろうかと思います。
ケンカの当事者で腕っぷしの劣る方が仲間であって、その仲間が武器を求めたら、確かにそれに応じて武器を供与するという考えも分かる気がします。しかし、相手がモンスターとかではなく同じ人なのならば、両者を共に止(と)めるのが人の道のように思えます。武器供与は当事者以外にケンカを飛び火させ、憎しみの連鎖を引き起こし、将来的にもっと酷い新たなケンカを引き起こしてしまう可能性あるように思えます。
敵対勢力を弱らせるとか、叩き潰すのではなく、ケンカの当事者、両者を止(と)めて平和を求める姿勢こそが、人類の共存、争いの抑止に繋がると私は思います。
しかし、以上はあくまで1対1のケンカならば妥当な手順や考え方と思いますが、現実の国際戦争については通用しない考え方なのかも知れません。
追記1、 日本も他人事ではないと私は思います。現在、ウクライナで起こっていることが将来、日本で起こる可能性あると思います。
現在、ウクライナで起こっていることに対して
A:
ウクライナ→日本
ロシア→米国
米英西側陣営→中国
の変換Aを施した事象が将来、日本に起こる可能性あるように感じます。
地政的な位置関係や、外交における友好関係や対立関係などの観点からは。
最近、日本にも親中派の議員、政治家が増えつつあるとか、土地が中国企業に買収されるなど、少しづつ中国寄りになっている気がします。ちょうど、ウクライナに少しずつ西側が浸透していったのと似てる部分あるかも知れません。
将来、日本が中国寄りになりそうな時に日本と米国が戦争になる可能性もあるように思えます。ちょうど西側化してゆくウクライナにおいて、今回の戦争が生じたように。
しかし、ロシアにとってのウクライナほどには、米国にとって日本は死守すべき存在ではないように思えます。確かに日本は米国にとって中国や北朝鮮を牽制するのに適した地政です。即ち、便利な駒のような存在と思います。
という変換を今回のウクライナ戦争に施した事象が起こる可能性もあります。
米国が日本に兵器供与して日本国民が中国と戦うことになります。Aよりもこちらの方が可能性としては高い気がします。
ロシアがウクライナに侵攻したように、何らかきっかけで中国が日本に侵攻することになります。
今回のウクライナ戦争においても、B変換後においても、いずれも米国は殆ど全ての自国民を傷つけることなく、兵器供与によって主要な敵対勢力を他国の国民を兵士にする事で弱体化できることになります。なお、この事象においては改憲が1つの大きなキーワードになると思います。改憲とこの事象は互いに大きな影響を及ぼし合う関係にあるのではないか、と私は思います。
日本を含む全世界に点在する米軍基地の維持費(米国、基地所在国ともに)などの財政負担問題から今後、米軍基地の縮小の可能性もあると思います。戦争における道具(兵器)の影響力のウェイトは増大傾向、人間(兵士)の影響力のウェイトは減少傾向にあると思います。
そういったことから、今後は米軍は派兵せずに、兵器供与+軍事顧問派遣であとは当事国の自国民で防衛して下さい、という形になる可能性があると思います。この度のウクライナ戦争はその雛型なのかも知れません。
とにかく日本としては他人事ではないと思います。未来にウクライナと似たような状況に立たされる可能性充分あると思います。
温暖化や少子化、資本主義の行き詰まり、経済社会の凋落など、現在〜将来にかけて日本の経済情勢や社会情勢が悪化する可能性が充分あるように思えます。それが政情を不安定に導き、将来、日本は米国と中国の間で難しい舵取りを迫られる可能性あると思います。
その時に政治家になる人はまさに命を懸けて政治家にならねばならないと思います。自分の命を捨てる覚悟で国民と国益を守る気持ちのある人である必要があると思います。
また、政治的能力も必要と思います。日本国民の望まぬ回避できるはずの戦争や、本来、日本にとって必然ではない、しなくてもいいはずの戦争、日本国民の望まぬ形の戦争、に国民を導くような指導者であってはならないと思います。
また日本国民はそういった人物を選挙で選ぶ必要があると思います。そうではなく、相応しくない人が選ばれ、悪い時勢に遭遇した場合、米国と中国の間で翻弄され、多数の国民の命が犠牲に晒される可能性があるように思えます。
そして別に日本においては政治家の他に官僚の影響力も大きいというイメージが私にはあります。官僚も実力、能力、そして国民と国益を守るという志し、良心などを兼ね備えた人達である必要があるかと思います。
まさしく心技体を兼ね備えた政治家と官僚が望まれ、またそういった政治家を選べる国民であることが求められる、激動の時代になる可能性があるように思えます。
ペン(情報コントロール、広報活動)によって、自分の勢力に正義があると人々に思わせる事ができれば、戦において、いろんな利点が出てくると思います。義勇兵が味方になって兵力増強になったり、世論を味方につける事ができるとか、IT技術集団が味方になってIT方面で支援してくれるとか。
兵士と戦争当事国の国民、敵味方問わず、そして我々日本人を始めとする、それ以外の人々など、まさに全世界の人々の思想や思考に影響を与えるのがペンなのだと思います。
またペン(情報コントロール)はフェイクなどで敵勢力を騙すことで戦を有利に進めることが出来ます。
スマフォやインターネットが普及して、情報合戦、「ペンの戦い」も質が変わり、規模が大きくなったと感じました。これはちょうど、物理兵器が剣から銃に変化したり、火薬から核兵器に変化したのに匹敵する変化なのかも知れないとも思いました。
また、「ペンの力で戦を止(と)めることが出来る」という意味も「ペンは剣より強し」にはあって欲しいと思います。
追記3、最後にやや無理矢理、強引の感がありますが、この記事がSDGs関連であることを弁明したいと思います。
生物学では多様性は大事です。多様性があることで、天変地異や何らかの異常事態や異常気象があって、ある特性をもつ1つの集団が大被害を受けても、異常気象に耐性のある他の特性を持つ集団が生き残ることで全体として絶滅を防げるケースがあります。
ロシアも北朝鮮も弱体化すれば、それが平和に繋がると一見、思えます。確かに資本主義陣営と非資本主義陣営の戦争は無くなるのかも知れません。しかし、資本主義陣営のみになった世界では、例えば、今後、労働者の労働環境がさらに悪化したり、資本主義の過度な活動は温暖化を抑止できないか、あるいは促進する可能性すらあると思います。もしかしたら資本主義陣営一択の世界の未来は滅びの未来の可能性もあるのかも知れません。
多様性の観点からは、多様な価値観のある国家が存在すべきで、それらが相争うことなく潰し合うのではなく認め合い、敵対することなく共存するのが未来のヴィジョンとして適当、という考えもあると思います。認め合うことで争いは無くなるはず、と思いたいです。
以上、詭弁めいてるかも知れません。私としては、とにかく人ではなく、天や自然の観点から理、あるいは正義のある方が納得の行く形で、そして天や自然の観点から邪な勢力が折れる形での停戦を迎えることが望ましいと思っております。
投稿日 2023年5月14日