本編 真留句はこう言った

当ブログでは、温暖化をくい止める事と、人の暮らし易き生の道を探し求める求道者「河流 真留句(カワル マルク)」の物語、【真留句はこう言った】を書いております。

真留句の説話 三段の変化

あなた方に人の求めしものが辿る三段の変化を話そう。即ち、如何に人が求めしものが紙となり、紙から黄金となり、そして最後に黄金から鉄となるかを。

 

 生存本能を宿した人の欲望は実に多くのものを望む。その欲望が多くのものを、際限なき多くのものを望むのだ。

 

 そのうち、人は、多くのものと交換可能な便利な紙を創造した。

 

 以来、人は多くのものとの引換券たる紙を求めるようになる。

 

中世において、人々が毎日のように神について考え、信仰したように、人々は毎日、紙について考え、紙を信仰するようになる。

 

曰く「紙は神なり」

 

曰く「お客様は神様です」

 

全てのものと交換可能な紙の創造、それは全能なる神の創造でもあったのだ。

 

しかし、人々の紙への信仰が絶頂であるかに思われた時期、紙が全能の権力を振るう市場において、今や第二の変化が起こる。

 

紙ではなく、黄金を信仰する者が現れ始める。

 

紙は急に信仰を失い、人々は黄金を信仰するようになる。

 

曰く、「神ではなく、英雄(Au)こそが我々の支配者に相応しいのです。世界を救うのは信仰心に依存するエロールではなく、現実に存在するミルザなのです。※1」

 

人々は平安な時代にあっては紙を信仰するものだが、苦難の時代にあっては英雄(Au)を望むものなのだ。神が信仰を失い英雄(Au)が望まれる時代。それは人の世が平安ではなく、苦難の時代に入っていることを意味するものなのだ。

 

そして、苦難という怪物は人の不節制、欲と無知を源に成長し、吐く炎は勢いを増すという。

 

人々は英雄に期待した。

 

しかし、英雄の剣では、苦難という怪物を退治する事は出来なかった。

 

苦難の怪物の吐く炎の前にAu(黄金)の剣は溶けてしまったのである。

 

資本主義社会において、多くの人が憧れ、称賛した英雄の座。しかし、そんなものは、苦難の怪物の炎の前では、何の意味も為さなかったのである。英雄が称賛されたのは、まだ、苦難の怪物の脅威が間近に感じられずに、まだ余裕があればこそ、だったのである。

 

 このように永劫不滅と思われた黄金も没落を迎え、いよいよ、ついに人は鉄を求めるようになる。

 

何故か?

 

 

 

鉄の融点は黄金より高いからである。即ち、鉄は黄金が溶ける温度でも溶けないのだ。

 

そして、いよいよ、人は苦難の怪物の吐く炎の前でも、溶けないであろう鉄を求めるようになる。

 

 人々の欲と無知と不節制により、威力を増した苦難の怪物の炎の脅威が身に迫る時、人はAuなどよりも、今まで軽視していた鉄の方が、よっぽど大切で尊いものであった事に、ようやく気がつく事になる。

 

 さながら、砂漠において、ダイヤよりも水が尊ばれるが如くに。

 

…しかし、人が欲にまみれ無知で、不節制であり続けるならば、勢いづいた苦難の怪物の吐く燃えさかる炎の前には、鉄をも溶かされてしまうことになるだろう。

 

 私は、あなた方に、人の求めしものの辿る三段の変化を語った。即ち、如何に人の欲するものが、紙となり、紙から黄金となり、そして最後に黄金から鉄になるかを。

 

真留句はこう言った◾︎

 

本文 おわり

 

 

 

 

※1、Auは金(黄金、ゴールド)を表す元素記号となります。

 

エロールとミルザはスーパーファミコンのRPG、ロマンシングサガ1に登場するキャラクター。神々の父エロール、英雄ミルザ、となります。エロールは、北欧神話(ゲルマン神話)のオーディン(ヴォータン)、ミルザはジークフリートみたいな感じです。あるいは、ギリシア神話で言えば、エロールはゼウス、ミルザはヘラクレス、みたいな感じとなります。

 

 

 

 

  真留句通信

 

真留句はこう言った 本編(真留句はこう言った 物語版)も久々の投稿となります。

 

紙→黄金→鉄、の三段の変化は中東危機、石油危機の2026年6月現在、ホットな話題です。それもあり、何とか、書いて、投稿しました。

 

なお、seesaaブログのエコロジーカテゴリーの、ある方のブログでも、けっこう以前に「鉄(必需品)」への移行が示唆されてました。

 

また、seesaaブログはカテゴリー別に記事を分類するのに便利だと思い、当ブログの支店としましたが、けっこう前から、広告が酷くなり、閲覧し辛くなってきた、と感じてます。(本店は、はてなブログでしょうか。)

 

2026年6月投稿

そば処 あるまんど 真留句はこう言った コロナ以後+3 post coronam

 この記事については、最近、改訂多く、ご面倒おかけしております。題名やそば屋さんの名前は元の「あるまんど」に戻りました。
 試行錯誤、紆余曲折ありました。今回ので、いちおう自分としては、形になったと思っております。
 主な変更点は、やはり物語後半の閑次と真留句の対話の配置の仕方です。読んで下さってる方には、度々の改訂で、何度も読み直して、度々、時間を頂くことになり、すみません。
以上、注意書きでした。
以下、本文です。
 

 真留句のコロナ後の行脚は続く。

 

 真留句は彼の弟子で辺境の地において閑古鳥系そば屋を営む閑次の下を訪ねた。コロナで飲食業や観光業は大きな打撃を受けていたので真留句も弟子のそば屋が気がかりだったのである。

 
 

「おうぅい」と声をかけたが返事がない。

 

閑次の自宅兼店舗には休業中の看板がかけてあった。

 

お店の戸を開けて、「おうぅい」とまた声をかける。

 

 2回目の呼び声が消えた跡の店内には、ただオーディオ機器から小さな音量でピアノの楽音が流れ続けるだけであった。

 

バッハのロ短調のインベンションであった。

 

 先に流れていたト長調のシンフォニアが終わり、ちょうど楽曲は始まったばかりである。真留句はこの演奏を聴いていたい気持ちにかられた。真留句は目を閉じて音楽に耳を澄ました。短い時間であった。演奏が次にロ短調のシンフォニアに移ったところで真留句は節電のために勝手ではあったが演奏を止めさせて、電源を切った。

 

それから店を出て、辺りを見回した。

 

 近くの畑を見ると、ごく小さなナスの芽が雑草の中でひっそりとあった。

ひっそりではあったが、真留句の眼には懸命に生きているように見えた。

 

数日続いている日照りに加え、昨日は季節外れの強風が吹いた。

 

 しかし小さいが故に強い風当たりをまともに受けることはなかったのであろう、割と元気そうで小さいながらも生命力を感じさせるものがある。

 周りのライバルたる雑草達も続く日照りにはナスと共に葉で日陰を作り、そして根でお互いに土の中の水を蒸発させまいと、共闘中のようである。

 このナスは昔ながらの在来種を無肥料で育てているが故に、成長が遅い、否、成長が自然なのだろう。

 

 他方、真留句がここに来る途中の畑で見た、マルチや化学肥料で早く、大きく育てたF1であろうナスやキュウリ、トマトはその大きさが却って仇となってか、昨晩の強風で支柱ごと倒れている株もしばしば見うけられたのだった。

 

 真留句は閑次の他も畑も見に行くことにした。他の畑に閑次はいた。閑次はしゃがんで、雑草を抜いてキュウリの世話をしていた。かといって雑草を抜きすぎるほどではなく。

一心不乱に雑草を取るというのでは、無かった。

雑草を抜いては、しばらく見つめ、考え、また抜いてゆく。

そのゆっくりとした動作は雑草を抜くというよりは畑の中で一種のバランス、調和を保つ儀式を執り行ってるようにも真留句の眼には写った。雑草を排除することと残すことのバランス、調和を。

 
 

真留句は弟子にそっと声をかけると閑次が応えた。

 

閑次「師匠ではないですか、よく私が畑にいることが、わかりましたね。ずいぶんとお探しになられましたか?」

 

真留句「否、お店の後、すぐにこの畑に。以前は作物を栽培してなかったお店の近くの畑に今日はナスの芽を認めたものだから、あなたが今は農作業をしてるかも知れない、と思った次第だよ。畑の方はまずまずのようだが、そば屋さんのほうはどうかね?飲食店がコロナで受けている被害は大きいと聞きます。そう、あたかもコロナは飲食業や観光業に冬の時代をもたらしたと。」

 
 

詳しい事情を話すと、長くなるのですが、と閑次は前置きしてから話し始めた。

 

閑次「休業しています。しかしコロナの影響は経済的、収入的なことに関しては当あるまんどに関しては、あまりない、と申し上げてよろしいかと思います。情けないことですがコロナがあろうと無かろうと、以前あなたがお見えになった時と同様に閑古鳥が鳴いています。むしろ休業している現在の方が高くつくそば粉や鰹節、しょうゆを買わずに済むから経済的には楽と言って良いのかも知れません。

 唯一の収入源のアルバイトはコロナ下でも、何とか勤務できてます。

 以前、あなたがここにいらした際に私は次のように言っておりました;【アルバイトにはできることなら行きたくはないですし、お店が経済的に軌道に乗って、アルバイトを止めて、そば屋さんだけで生活するのが夢です。しかし、それは奇跡でも起こらない限り無理である】、と。

 しかし、もしそのような奇跡が起こっていたら私は今頃、ひどい目に遭っていたところでしょう。幸か不幸か、お店が閑古鳥が鳴いていて、経済的にはうまくいっておらず、収入を他のサイドワーク、アルバイトに頼らざるを得なかったが故に、今回のコロナの被害をまともに受けることは無かったのです。」 

 

閑次がそのように説明するのを、真留句は閑次の足元の小さなキュウリを見つめながら聞いていた。このキュウリも直播き栽培だろうか、先ほどのナスよりも成長していて大きな本葉のあるものもあったが、やはりまだ小さな姿をしていた。

 

閑次は続けて語った。

 
 

 「しかしこのコロナを受けて、そば屋さんを営業して以来、時間不足でやめていた【家庭菜園を再開しなくてはいけない】、そのように感じました。直感というか、心の声と言ってもいいでしょう。そして、【内なる心の声に耳を傾け、従うように】というのが、あなたの教えです。今回はこちらが耳を傾けずとも、自然に向こうの方から語りかけてきたのですから、なおさらです。

 農作業は自然にコロナ3密が回避されます。(密教の三密ではありません。)海外からの食糧の輸入ストップの観点からも、コロナ下において農作業をするのは合理的、自然なことのように感じます。

 コロナのこともあって、そば屋さんは当分の間、休業せねばなりませんし、そば屋さんに投入する時間の代わりにちょうど、家庭菜園をする時間が与えられた、とも思えます。

 」

 

真留句「飲食業を営む、あなたにとっては野菜を育てることは食材を見つめ直す良い機会となるのかも知れませんね。草木も冬、何もせずにじっと耐えてるようで見えないところではじっと根を伸ばし来るべき春に備えようとしますしね。

ところで、営業自粛の補助金は申請したのですか?」

 

閑次「師よ、あなたは超俗でありながら、けっこう俗っぽい質問もなされるのですね。

いいえ、飲食店としての自粛補助金の申請はしてないです。そば道具や、お店の設備の問題で仮にコロナが無くとも、営業はすぐには出来なかったはずです。

それに、もともと閑古鳥が鳴いていて

【売り上げ<原材料費】の、あるまんど不等式が成立しているお店です。

あるまんどの補助金申請はいろんな面で補助金の趣旨に反します。

それに、今回のコロナにおける助成金、給付金に私は違和感を覚えずにはいられません。いにしえの飢饉の際に【さつまいもを植えよ】と命じた古人の政策は自然で正しいように思われます。しかしながら、今回の助成金、一律給付金にはとにかく違和感を感じるのです。

しかしながら国民全員に給付される10万円に関しては申請してもらうことにしました。なにせ相変わらず貧しく生活が苦しいものですから。先ほど、【生活費を得るためにアルバイトをしている】と言いました。そば屋さんは赤字でしたから、そのアルバイトが唯一の収入源でした。しかし実は最近、事情があってそのアルバイトも止めてしまったのです。止めた理由は職場の人間関係のトラブルのためです。止めていなかったら、今頃、うつ病など心の病になっていたかも知れません。

 アルバイトですし雇用保険には加入してませんでした。失業保険は出ません。このタイミングで行われた全国一律10万円の給付金には本当に助かりました。しかし依然として収入ゼロですし、出費を節約して抑えていても10万円もいずれはなくなります。何とか別のアルバイトの求職活動もしているといった次第なのです。」

 

真留句「君も相変わらず私と同様に常に金銭的にはギリギリなようだ。一律10万円の給付金が君とっては命綱の失業給付金となったようだ。

神のご加護に感謝したまえ。

 

 ところで私も今回の給付金、補助金の分配には違和感、何かおかしいものを感じるのだ。しかし、現在のところ大規模な株価の下落や恐慌が起こってないところを見ると、【過去において大恐慌はどうすれば回避することが出来たのか?】の経済学的な研究の導く回答は今回の【お金のバラマキ】なのかも知れない。

 お金のバラマキ、即ち紙幣の増刷はインフレをもたらすであろう。それはあらゆる分野の企業の倒産を抑制する方へと働くであろう。

 先ず第1にインフレは債務者にとって有利に働く。インフレは借金を目減りさせるのだから。銀行から借金をしている企業にとっても有利に働くであろう。

 また、第2にインフレを予期した消費者はお金を現物に替えようと、即ち買い物をしようとするだろう。特にプレミアに10万円をもらったのだし、なおさらさ。この購買活動の増加も生産者たる企業には有利に働く。

 

 とはいえ、このツケ、副作用はきっと後からやって来るだろう。そして特に犠牲お強いられるのは我々庶民なのだろう。」

閑次「どういうことなのですか?」

真留句「私にも詳しいことはわからない。しかし次のような考えが思い浮かぶ;お金とは、そもそも労働に他ならない。我々の労働が姿を変えたものだ。労働と等価交換されるべき

ものだ。」

閑次「あなたの言われることは正しいように思われます。」

真留句「労働の伴わない貨幣、お金の乱発とは不自然なものなのだ。インフレなどを招くだろう。

 先ほどは企業倒産の抑制というインフレの良い面を述べた。しかしインフレは庶民が血と汗を流して労働と交換して得た財産(貯蓄)を目減りさせる。

 また国の借金の利子も増える。利子の返済は結局のところ我々庶民の家計が負担することになるのだ。

 現在、乱発されたお金は、未来の労働でもって、しっかりと贖われるであろう。即ち、今後、我々庶民が労働した際に、正当な労働の対価を得ることができない、という形でもって。コロナ以前から既に私は【労働者が正当な労働の対価を受け取ることができない】という問題に言及していた。今後はもっとそれがひどいものとなるだろう。」

 

 ここまで真留句は言うと、しばらく沈黙した。閑次はこの沈黙の時間を使って、長かった師の話を理解、咀嚼し整理するために考えにふけった。閑次も沈黙したのである。

 

 閑次と真留句は高台の畑に立っていた。弟子の沈黙の間に真留句はふと、下方にある畑に目を向けた。

 下方の畑は雑草1つ無い黄土色の畑であった。続く日照りは土を固く、黄土色にし、乾いているのがわかる。その畑を「黄土の畑」と呼ぶならば、今、閑次と共に立っている雑草に覆われた畑は「緑の畑」と呼ぶことになるだろう。

 雑草1つないその畑は近代の農家が考える1つ理想郷と言えるだろう。

 

 黄土の畑には大きなナスやこれまた大きなキュウリ、たくさん植えられていた。

 他に収穫期を過ぎたキャベツもあった。キャベツに至っては大きい、というよりは緑の畑で採れる作物にに対しては化け物のような大きさ、と表現した方が良いような巨大さであった。

 トマトやキュウリの中には昨晩の強風であろう、支柱ごと倒れている株も多かった。

 

 ナスやキュウリの根元の土はやや土の色が異なっていた。誰かが数時間前に水を撒いたのであろう、それで色が異なるのである。しかし容赦なく照り付ける日差しで、水はほとんど乾いていて、あと1時間もすれば他の部分と変わらぬ色に戻るであろう。

 

 先ほどの師の話を頭の中で整理し終えた閑次は、今度は師が下方の畑を見つめていることに気がついた。

 

真留句は早い時期から大きく育っている、その下方の「黄土の畑」を見つめていたのだった。

 

閑次「あれは私の母が手入れしている畑です。慣行農法の畑、よく手入れされた畑です。化学肥料やマルチを使った作物は私のこの畑よりも早く、大きく育ちます。

作物の生産ということでは効率的です。」

 

真「しかし早く大きくは、とんだ副作用が生じることもある。

 化学肥料のやり過ぎは虫害を招くこともある。雑草がまったく無ければ、虫は育てた作物にたかる他はない。根こそぎ作物が虫にやられてしまう事もある。

 

対処するには農薬を投入する事になる。」

 

真「ところで、現代は社会活動、経済活動もより早く、より大きくだ。資本主義の進展とその産物である科学技術を化石資源や原子力を利用して生産活動を行う。学校における集団教育、そして経済競争に打ち勝ち生き残る為には大規模な生産体制、そして効率が求められる。」

 

閑「しかし、早く大きく、効率重視の経済活動はとんだ副作用が生じることもあります。化石資源の使用は温暖化を招き、原発も一度、事故が起きれば大変です。

 

対処するには、太陽光発電だとか、また別の科学技術が必要で、しかし、それもまた設置場所の自然破壊など、別の問題があって・・・・」

 
 

閑「早く大きく育ち、見栄えの良い野菜や作物を良いと考える人は多いものです。」

 

真「しかし、早く大きく、たくさん採れた見栄えの良い野菜は、中身が詰まってなく、食味に奥行きがないように思える時がある。」

 
 
 

真「人は高収入や何事にせよ早い事、高い車や高いマンションや邸宅を持つことが良いと思いがちなものだ。」

 
 

閑「しかし大きな収入を得ることや物質的な豊かさは人の生を時として空疎なものにする事があるように思えます。」

 

真「私もそのように思う。高収入は時として人を不幸にすることもあるように思う。健康や家族よりも仕事を優先した為に高収入ではあったが、健康を損なったり、離婚したケースを耳にすることがある。収入が多く、物に恵まれても仕事にやりがいが無かったり、家族と十分に過ごす時間の無い人生は中身の詰まっていない人生と言えるのかも知れぬ。

 またネット社会やスマフォは学校におけるイジメを陰湿、凄惨なものにし、もはやイジメとは呼べず、事件や犯罪と呼ぶほうがふさわしいケースさえある。現代社会がどうしようもなく腐敗しているようにも見える。」

 

閑「化学肥料で早く大きく育てた野菜は、長い期間を経ることなく、ゼリー状に、どうしようもなく腐敗してゆくことがあります。」a

 
 
 

閑次と真留句は再び、閑次の畑、即ち、緑の畑に目をやった。

 

閑「私の雑草だらけの畑の野菜は成長も遅く、大きさも小さく、また畑からたくさん頂くことは出来ません。」

 

真「しかしバランスと調和があるように思える。周りの雑草も虫の食べ物なので育てる作物の虫害も部分的。根こそぎやられてしまうことはないだろう。」

 

真「昔の日本人は物質的には貧しかったかも知れん。」

 

閑「しかし心の世界や風雅を重んじる風潮があったように思えます。日本は昔の方が、心の豊かさと物質的な豊かさのバランス、調和があったのかも知れません。」

 

真「確かに今は自らの仕事への誇りやプライドといった心情的なものよりも、損得勘定やお金儲けに重きを置く世の中であるように思う。たくさんお金儲けをしている者が、もてはやされる時代のように感じる。

昔は貧しいながらも自分の腕と仕事に誇りを持った人が今よりもっと多かったろう。

また学校に不良もいたが一線を越えない分を弁えていたように思う。」

 

閑「緑の畑の作物は小さいです。」

 

真「しかし、そのような作物は中身が詰まっている感じがする。

また、長く持つ。腐ることなく、萎びてゆくか朽ちるかだ。味は滋味深く、奥行きがある。そして何より、食べた後に身も心も元気になって身体全体からエネルギーが湧いてくる感じがする。ストレスなどで落ち込んでいる時もそのようなものを食べると、気持ちが元気になり、健康になる。

そう、【本物の食べ物】と言えるのではないか。」

 

真「七世代後のことを考えて現在を生き、温暖化をどうにか止めようと思いながら、自然に逆らわず生きるのは収入が少なくなりがちであろう。」

 

閑「しかし、手元に自分や家族の時間が充分にあって、少ない金銭で余計な物は買えずとも必要な物を買えるのならば、そして自分が心から望むことや、大切な家族や友と過ごすのに費やす時間が十分にあるのならば、滋味深い、満足のできる中身の詰まった人生と言えるのではないでしょうか。

 さらにあなたの言う【本物の食べ物】を食べて命を繋いで行くことができるならば、ーーーーーー食べ物が身体や心を作っているのだからーーーーー【本物の人生】を送れるのではないでしょうか?」

 
 

このように閑次と真留句はお互いに話したのだった。

 

「それにしても」

 

と真留句は対話の最後に弟子に次のように言った。

 

「畑は君に肉体の糧のみならず、心の糧をも、もたらしてくれたようだ。」

 

真留句はそのように言った。

 
 
 

初稿 2020年秋頃

最終改訂日 2023年5月1日

真留句はこう言った コロナ以前 -19 燃える水 Ante coronam

            真留句はこう言った   コロナ以前-19   Ante coronam

 

                 燃える水

 

 

 

 耳障りなトラクターのエンジン音が真留句を夢の世界から現実へと引き戻した。

 

 だが、ちょうど、真留句が夢の世界から現実の世界に戻されたその時、彼は1つの考えを夢の世界から持ち帰ったのだった。

 そして独りで生きる者が屡々やることだが、己自身に話始めるのだった。

 

「燃える水よ、私はかねてからお前が為す大きな悪事-----天変地異(=異常気象)を知っていた。

 

 だが先刻の夢の世界で私は、さらなるお前の悪事を知ってしまったのだ。

 

 私は2つの夢の世界を旅行した。

 

1つ目の夢では私は左官職人になっていた。無心に手を動かして鏝(こて)で白壁を塗っていたものだ。

 

そして2つ目の夢では私は木こりになっていた。これまた無心に腕を動かして、鋸(ノコギリ)で丸太を切っている最中であった。

 

 現実の世界における惨めな仕事ではなく、どちらの夢の世界でも私は自分の仕事を愛していたし、職人としての生き方に誇りを持っていたのだ。

 

 現実の世界での仕事は身体も動かさなくても良く楽だ。

 だがそのため運動不足とストレスコントロールのために、別にスポーツジムに通ったり、ジョギングなどをすることになる。

 また、それだけでもメンタルの疲れがとれないならばマインドフルネスに取り組むこととなる。

 私は現実世界の仕事の際の人間関係によるストレスを緩和するために最近はマインドフルネスなるものに取り組んでいる。がなかなか、雑念が追い払えない。

 

 だが私が昨晩、経験した夢の世界ではスポーツジムもジョギングも、そしてマインドフルネスも不要であった。

 

 無心に手を動かして鏝(こて)で白壁を塗っていた瞬間、そして、無心に一生懸命に鋸(ノコ)を挽いていた瞬間、これらの瞬間こそ、私が現実世界で経験した1番深いマインドフルネスよりもさらに深いものであった。しかも容易にそのマインドフルネスの深いレベルに到達する事が出来た。ついでに職人としての技術、経験値も向上した。

 

 さあ、お前、燃ゆる水よ!

 お前はさながら、砂漠で喉の渇きで苦しむ人を欺くように、【効率】という利得でもって我々、資本主義世界に生きる人類を欺こうというのか?

 

 果たしてお前がもたらしたものは【効率】であったか?

 

 確かにチェーンソーを使えば木は早く切れる。効率的だろう、手鋸で切るよりは。

 

 しかし我々チェーンソーで木を切った後、【わざわざ】運動するためにスポーツジムに行ったり、わざわざジョギングせねばならぬ。

そしてマインドフルネスなるものすら必要となる場合がある。

 

 私のいた夢の世界の職人の間ではマインドフルネスなるものは意識され得なかったものっであろう。あたかも空気の如くに。

 

 総じて大切なものは意識され難し!

 

 燃ゆる水よ、お前は職人、人類からマインドフルネスの瞬間を奪ってしまった、

 さながら、お前が燃える際、周りの空気を奪うが如くに。

 

 そして人々の労働から誇りをも奪い取ってしまう。

 

 お前が悪であることは私には、自明なことなのだ。

 

 先刻、私を夢の世界から引き離したお前の奏でる楽音は醜い音なのだから。」

 

真留句がそう言い終えた時には、もうトラクターは黙ってその音を立てなくなっていた、聴衆のブーイングを浴びて演奏を止めてしまった奏者のようであった。 

 

 あたりには蛙の声に満ちていた。そして時折、鳥のさえずりが鳴る。

 

「この刻こそ私が愛する刻」

 

真留句はそのように言った。

 

 

 

1、 趣味や特別な目的意識があるなどで筋トレ、ジョギングされてる場合、あるいは瞑想めいたものとしてマインドフルネスに取り組んでいる場合はこの限りではありません。

 あくまで、近現代的労働環境における運動不足の補填やストレスコントロールの為のジョギングやマインドフルネスを本文では想定してます。

 

2、 化石資源を指標とする真留句の判定法

 (昔のライフスタイルの度合い、塩加減の判定法)

 

 化石資源と資本主義、経済成長は密接な関係にありますが、以下の考察をしてみます;

 

 筆者は昔のライフスタイルを推奨しております。しかしあまりにも原始的なライフスタイルも不便です。

 石包丁だとかの縄文時代の道具まで遡る必要はないと思います。かといって現代の化石資源や原子力を動力とするライフスタイルは行き過ぎていてバランスを欠くように感じられます。

 ちょうどいいバランスのとれたライフスタイルとは、どのようなものか?

 

 1つの考えは化石資源など外部動力を利用せずに、人間の自らの心臓という動力機関で作業、仕事をする、というものです。

 そのうえで道具に最大の効率を求める。

 

 具体的には江戸時代の頃でしょうか。例えば刀に象徴される刃物。江戸時代の鎌や包丁のレベルはとても高かいものだったのではないかと思います。

 それらの素晴らしい道具を使って、自らの心臓を動力として、手、腕、身体を動かして作業する、生活する。

 この時に真の意味で【効率】、【幸福度】、【生き甲斐】が大きくなるのではないか、と思います。

 

 化石資源を使わずに生活するうちは人の営みも自然の一部であって美しいものと思います。

 ところが化石資源を使うと、そのエンジン音の耳障りな音に象徴されるように自然から乖離してしまうように思えます。

 

(実は江戸時代の刃物は今と比べると質が良かったらしいのですが、1000年以上前の鉄は質がもっと良いらしいです。江戸時代の鉄すら見劣りしてしまう。昔の製法になるほど非効率的で手間がかかって、生産性や生産スピードは遅いのですが質は良いようです。)

 

真留句はこう言った コロナ以前-7 月と700円

 真留句はこう言った コロナ以前ー7   月と700円  

 

 この記事は【真留句はこう言った コロナ以後7 月と700円】と対をなしておりますので、この記事を読了後は、よろしければ、そちらもご覧下さい。

 

 関連記事 【真留句はこう言った コロナ以後7  月と700円】

       【真留句はこう言った コロナ以前ー15A 人生三分の計】   

              特に後者を読了なされてから本記事をお読み下さい。

 

 

以下、本文;

 

 夜。

 

真留句は弟子であり、また友でもある者の家を訪ねるために山路にある農道を独り歩いていた。

 

無論、辺りに真留句の他には人は無かった。

 

 しかし天空には満月に近い月があった。収穫をずっと前に終えた田畑や農道といった辺り一面は緑掛かったモノトーン(単色)と静寂に覆われていた。

 時折、虫の、か細く小さな音のモノフォニー(単旋律)が聞こゆるのみである。それとて長くは続かず、休符の方が長かった。

 

 その青緑の単色の世界は地球上というよりは月の世界と言っていいものだった。

 

そして真留句は昼間の多色のきらびやかな世界よりも、この月の単色の世界を愛していた。

 

真留句はこのような時間、瞬間を人生で最も愛していた。

 

 真留句はふと、月の住人は人の中では自分だけなのだろうか?と考えた。

山の農道の下方には民家もたくさんあり、普通の道路も通っている。しかし夜分につき人はほとんど家の中である。

 また外にいる者も歩く者はなく自動車に乗っていることだろう。田舎の山間部の移動というのはまず徒歩に頼るという事はありえないのだから。しかし車では、この月の支配する世界の住人にはなれない。

 

 山間部の夜道をわざわざ歩く偏狂な者は他にはないようだ。

 

 真留句はこう考えていたが、これ以上考える事は俗な事と思って止めることにした。

折角、月の世界の住人になれたのに、これ以上この方面を考え続けるならば再び地上の住人に戻ってしまう気がしたのである。

 

 次に、今の刻を詩にする事を試みた。が、詩なぞ学んだ事もないし、作った事もない。興の赴くままである。

 

 10分くらいしたら一句出来た。

 

 

独歩山路裏

 

明月照天地

 

辺覆緑単色

 

但聞虫単音

 

 

そのまんまである。果たして、規則に合致するのか、詩として成り立っているのか、わからない。まあ、自分のために作った詩であるし、どうでも良かろう。

 

真留句はここで考えるのを止めて、無心に歩いた。

 

真留句は再び月の住人になったのである。

 

 

 真留句が山を抜け街に近づくと、今度は三味や胡弓の音や唄が聞こえて来た。

 街に辿り着く。

 街に入ると急に人の数が多くなった。

 

 どうやら街では年に一度の秋祭りが行われているようであった。

 

 町の人が唄い、奏し、踊っているようだが、周りの多くの観客に遮られて見ることが出来ない。

 観光客らしき人が多そうである。そういえば街はずれの道路には、たくさんの車が路駐していた。そして、それらの車のプレートの都道府県名は多岐に渡っていた。

 有名な祭りなのであろう。

 踊りは町の道を練り歩いて行われていた。

 

 

 三味や胡弓の音、唄は聞こえるが観光客に遮られて踊り手の姿を見ることが出来ない。

 

 聞こゆる胡弓は哀愁漂う響きなれど、その音と、いろとりどりの洋服を着た大勢の観客が1つの場所に同居する様に真留句は違和感を覚えた。ミスマッチな感じがしたのであった。

 

 真留句は踊りを見ることを諦め、弟子であり友である者の下に向かうために街を抜けようとした・・・・が、道には観光客が溢れていて、町の道を進むことすらままならぬ。

 辺りは汗と熱気と人込みに包まれていた。

 

 

 涼しい山路では汗をかくことがなかった真留句だが、街に来てから、汗をかいた。

 真留句はなんとか苦労して町はずれの友の下に辿り着いた。長い山路でもくたびれることのなかった真留句であったが、街に着いてから、一気に疲れてしまった。

 友の居宅の場所を人に尋ねることについては秋祭りのおかげで夜間ながら苦労せずに済んだ。

 

 友の居宅の前に行くと、楽音が聞こえてきた。三味や胡弓ではなくピアノの音色だった。

 民謡ではなくクラシックか何かの練習曲のようであった。

先ほどまでの人込みと熱気あふれる民謡の世界とは、ここは別世界のような気がした。

 しかし、ピアノの音は楽音としては、とても不味いものであった。習いたての子供がピアノの練習をしているかのようにも聞こえた。

 しかし友は確か独り身のはずで、子はいなかったはずである。

 とはいえ、真留句は練習中の下手な音楽を聴くのはそれほど嫌では無かった。むしろ好きな方かも知れぬ。

 国際コンクールか何やらで入賞やら優勝した若手音楽家の演奏会に行った事がある。確かに技術、テクニックは素晴らしかった。しかし、何やら、楽音と演奏が曲芸のように観えてしまって、一向におもしろくなかった。

 

 子供のピアノのお稽古の音を聞いている方が、よっぽどいいように思われた。

 

 真留句はしばらくこのピアノの稽古の音に耳を澄ましていた。練習はなかなか終わらないようである。やはり下手くそであった。旋律が途切れ途切れになる度に真留句も心の中で「がんばれ、がんばれ」と声援を送った。そのうち、そのぎこちない楽音に何故か没入してしまっていた。

 

 先ほど出た汗もいつの間にやら乾いてきた。

 

 この練習が永遠に長く続くかのように思われて、真留句は意を決して、呼び鈴を鳴らした。

 

呼び鈴を鳴らした途端に、旋律がもつれて音は止んだ。それから、しばらくしてから戸が開いた。

 

竜一「遠いところ、よくぞ、おいでになられました。中へお上がり下さい。」

真留句「お邪魔しますぞ。」

 

真留句は中へと案内された。

 

竜「今、お茶を淹れます、お待ちください。」

そう言って、竜一は部屋を出て行った。

 

 案内された部屋の中にはキーボードがあった。真留句が鍵盤を押すと、軽いタッチであった。安い部類のものだろう。機能ボタンもあまりないシンプルなキーボードである。先ほどのピアノの音はこのキーボードのものなのだろう。譜面台に開かれた楽譜の表紙をキーボードの裏に回って覗き込む。

 

 バイエルとあった。

 

 しばらくして竜一がお茶を持って来た。盆の上には湯呑が2つ、2つの皿それぞれに練羊羹がまた2つずつ置かれていた。

 真留句と竜一はお茶を呑んだ。夜更けではあるが玉露のようである。美味しい茶であった。真留句は甘いものが苦手だから羊羹には手をつけなかったが青磁の皿に置かれた練羊羹は美しく見えた。

 

真「町は祭りのようだが。」

竜「ええ、そのようですね。」

 

竜一はそう応えたが後が続かない。どうやら竜一は秋祭りには関心が無いようである。

 

真「先ほどのピアノはあなたが弾いてらしたのか?」

竜「ええ。この家には私しかおりません。」

 

 先ほどの不味い演奏の主はどうやら、友であったらしい。真留句は「あまり、上手ではないようだが・・・」というような事を口に出そうとした。しかし、その寸前で止めた。自分が山路の農道で作った一句の下手くそな詩の事がちょうどその時、頭に浮かんだからである。

 

 自分の下手をさし置いて他人の下手を言う事は出来ない。

 

 それに真留句にとって詩はまったく経験も無く、今日が詩の世界の第1日目である。この目の前の友も音楽入門者とはいえ、日毎にある程度の時間を、ある程度の年月をキーボードの稽古に費やして来たのであろう。バイエルの教本は60番の譜面が開かれていた。

 そして先ほどの句が自分の為だけに考えたのと同様に友とて、自分の為だけに奏しているのだろう。先ほどの稽古からはそのような印象を受けた。

 

 それに彼はみたところ真留句より年は上の50歳過ぎのようである。そういった大人の男が子供の稽古ような楽音を紡ぎ出すというのは、それはそれで貴重な事なのかも知れない。

 そしてピアノ入門のスタートとも言えるバイエルに50歳も過ぎたところで取り組んでいるという事自体、ある程度珍しいことのように思われた。

 

 玉露のカフェインが効いてきたのか、そのうち竜一の方から話し出した;

 

竜「あなたの庵に閑次や長三とともに訪れるまで私は公務員をしておりました。これといって取り組んでいる事もなかったのですがクラシック音楽を聴くのは好きでした。

 しかし、ちょうどあの頃、今まで楽譜という物を読んだことが無かったのですが、何となく好きな曲(それはバッハの平均律のフーガ)の楽譜を買ってしまいました。いったい、私が好きで聴いているこの曲の楽譜とはいったいどんなものなのだろう?と思った訳なのです。その時は楽器を弾くことになろうとは思ってはいませんでした。

 しかし、楽譜を見ても、私は音が想像できない(=視唱できない)ので、楽器を買う事にしました。ちょうど手頃な価格でネット通販でキーボードを入手出来ましたので。(あなたにもっと早く会っていれば、ネット通販ではなく地域の楽器店で購入した事でしょう。)

 そうこうしているうちに、私は自分の好きな曲、バッハの変ロ短調のフーガを生きているうちに弾く事が夢といいますか、人生の目標となってしまいました。

 あなたの庵で授けられた2つの策【人生三分の計】と【半YX】ですが、私は農業はやりたい訳ではないですから【半YX】を採用しました。独り身ですし公務員も止めて労働時間の少ないアルバイトに転職しました。

 私は公務員をしていれば、婚活にも有利だと思い仕事を続けて来ました。仕事にやりがいを感ずる時も時折ありましたが、根本的に心に届くものではありませんでした。そして、なかなか婚活もうまく行かず、そしてまた50歳も過ぎ、自分の人生というものを考え始めた時、音楽が私の心を捉えたのです。あなたの庵での話と婚活の不調というのもあり、私はもう結婚をあきらめ、音楽の道に進むことにしたのです。

即ち【半YX】においてY=エクセル入力のアルバイト、X=音楽を代入したのです。」

 

真「アコースティックピアノではなく電子キーボードなのですね。」

竜「ええ、アップライトピアノくらいならば買えない事もないし、この家には置く場所もあります。しかし、音量の問題でご近所に迷惑かも知れませんから。それでキーボードにしました。安価でしたし調律も不要で手間がかかりませんから。」

 

 確かに竜一の家は先の祭りの街中とは異なり新興住宅街といった風で幾件もの家が密集して建っていた。

 

竜「キーボードの性能は日進月歩との事ですが、本物がなりを潜め、本物を擬したものが幅を利かすのが咋近のようです。」

真「確かに・・・・それは楽器のみならず野菜といった食べ物も同じかも知れん。」

竜「そうですね、そして、それらを口にする我々、人間の生の営み全体もそう言えるのかも知れませんね。」

真「・・・・・・・」

しばらく沈黙が続いた。それからまた真留句が問いかけた;

 

真「少し前、そば屋さんをしているあなたの友人の下を訪れた際に、彼は【アルバイトにはできることなら行きたくはないですし、お店が経済的に軌道に乗って、アルバイトを止めて、そば屋さんだけで生活するのが夢です。しかし、それは奇跡でも起こらない限り無理である】と言っておりました。あなたも、音楽でお金を稼げるようになって、アルバイトを止めることを目指しているのですか?」

 

真留句はこのように竜一に尋ねた。というのは、竜一が音楽で飯を食って行くのはとても難しいように思われたからである。それは、かの辺鄙な場所で閑古鳥系そば屋を営む、彼の友人がそば屋さんで生計を成り立たせるより、さらに難しい事だろう。

 

竜「いいえ。まず、音楽がお金にはならない事は覚悟してます。才能ある幼い者が音楽の道を歩み始め、日毎に数時間、千日の稽古と万日の鍛錬をもってもなお、音楽で飯を食うのは容易ならざる事なのは知っています。

 あなたの【半YX】は何も新しい事ではなく、芸人などが売れない時分にY=アルバイト、X=漫才、を代入して以前より実践している事なのです。

 彼らはいずれXで、すなわち漫才で飯が食えるゆになって、アルバイトなどせずに済む事を目指します。そして、幾人かはそれを実現します。

 私の場合は無理でしょう。私は一生【半YX】のままでしょう。

 しかし私にとってそんな事はどうでも良い事なのです。

 重要なのは生きているうちにバッハのフーガに辿り着けるか、どうか、ただそれだけなのです。

 この歳になって楽器を始め、果たしてそれが可能なものなのか・・・・。

 リストやショパン、ラフマニノフの難曲が難しいのは世でよく取り上げられますがバッハとて容易ではないと聞きます。バッハのフーガをきちんと弾くことは、リストやショパンのきらびやかな高速のパッセージ、オクターブを越える跳躍のある難曲に劣らず難しいそうなのです。」

 

 この男の話した事は音楽や芸術が所詮、遊び事に過ぎず、魂の救済とは無縁なるものと考える者にとっては、理解し難い事であろう。

 

 この男にとってはバッハのフーガを奏する事こそが、人生の目的であり、魂の救済にすらなってしまったようなのである。

 

 が、真留句はその後にけっこう現実的な話をしたのだった;

 

真「私は【人生三分の計】と【半YX】をあくまで過渡的戦略の策として、お話しました。即ち、あくまでアルバイトやYといった、嫌々ながら現金収入を得るという分野は最後には消滅させて、半農半Xのような理想状態に持って行くための、あくまで手段なのです。

 ですが、私の策の私の想定した使い方など、確かに、どうでも良い事なのかも知れません。人の役に立つならば、それで十分です。

【真留句の言ったことなどに、何ほどの事があろう!】

まさにそういう事なのです。」

 

真留句はそのように言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真留句はこう言った コロナ以前-15A 人生三分の計(前半) Ante coronam

真留句はこのように言った。        人生三分の計       ante coronam

 

 

 

竜一と閑次と長三の3人は原発事故のような人災、温暖化による異常気象の大きな自然災

害(否、これも自然災害というよりは人災といえるのではないか?)を目の当たりにして、このままではいけないと思った。

 

自分達が普通に生きて会社に勤め、買い物をして消費して、自家用車で移動するというだけで、知らず知らずのうちに経済活動に参加して、化石燃料を使い、温暖化、環境破壊に一票を投じていることになるのだ。

 

しかしだからといって、どうすればいいのか見当もつかずにいた。

 

噂では真留句という隠遁者ならば、そういった方面に通じてるかも知れない、とのことだった。

 

三人は早速、真留句の住む山の庵に向かうこととした。

 

冬も近い秋深まる山の中を3人は行く。3人は真留句の庵に着いた。

 

真留句の友であり下僕であるムカデが3人を迎えた。ムカデは畑の作物の害虫を獲って食べるので、家庭菜園をする者にとってはいい友なのだ。

 

「真留句は今、旅に出ていてここにはおりません。しかしそう長くはない旅でしょうから1ヶ月くらいのちには戻るでしょう。」

ムカデは言った。

 

3人は庵を後にし帰ることにした。

 

しばらく月日が経ってから、3人は再び真留句の庵に向かった。冬が始まり道中には小雪が舞う。

3人は再び真留句の庵に着いた。今度はカマキリが迎えてくれた。 カマキリもやはり畑の作物の害虫を獲って食べるので、家庭菜園をする者にとってはいい友なのだ。

 

「真留句は今日も留守です。今日は生活費を稼ぐためにアルバイトの夜勤に行ってます。」

3人は再び真留句の庵を後にし帰ることにした。

 

それからまた月日が経ってから3人は真留句の庵に向かった。今回で3度目となる。冬も深まり、この日は吹雪であったが3人の熱い情熱を冷ますことはできない。

 

3人が真留句の庵に三度目に着いた時にはムカデもカマキリも彼らを迎えた。

「真留句は今日はいますが、今、瞑想の最中です。彼は瞑想の邪魔をされるのをひどく嫌います。」

そこで3人は真留句の瞑想が終わるのを待つことにした。

 

待っている時に文武両道でヨガにも通じている閑次が口を開いた。

「真留句というのはかなりの修行者だろう。瞑想も長いはず。数時間は覚悟した方がいいぞ。」

 

しかし3分くらいで真留句は現れた。後で知ったところでは彼の瞑想は1回20分程度らしい。30分の間違いではないのか?と思う方もいるかも知れないが20分なのである、20分=1/3時間と表示すれば納得してもらえるだろう。

 

真留句はムカデとカマキリを伴って現れた。

「あなた方のことはここにいる我が友から聞いております。今までに難路を何度も足を運んでくださったこと、そして今日はお待たせして申し訳ありません。ムカデとカマキリよ、次回から、このような場合は瞑想を止めさせて客人が来られたことを教えてくれ。」

しかし{次回}ということはこれ以降なく、今回が最初で最後のケースであった、真留句は続けた。

「あなた方がお話になりたいことのだいたいのことはムカデから聞いております。」

真留句はそう言って、時計型薪ストーブのある部屋に友と3人の客人を案内した。欧風のゴージャスな薪ストーブではなく日本の昔ながらの農家にあるような素朴なストーブである。真留句とムカデとカマキリと竜一と閑次と長三はストーブを円卓のように囲んで座った。

 真留句は水を鍋に入れストーブの火にかけた。そこに茶葉を入れ煮出して、それから何やらよくわからないスパイスを入れた。それから牛乳を入れた。最後に黒砂糖のかたまりを入れて、チャイを淹れたのだった。チャイが出来上がると真留句は皆にそれを振舞った。

 

6人は淹れ立ての熱い茶淹を飲んだ。ウーム、なかなかうまい。

 

閑次は言った。

「昨今の異常気象を見るにつけ、このままの生活ではいけないと思いました。半農半Xは、かなりいい生き方だと思います。しかし結論から言うと厳しいです。私はX=そば屋さん、を代入しました。しかし飲食店というのは見た目以上に大変です。準備に時間も手間もかかるのにそれほど収入にならないです。農業も機械を使わず、手作業でやると時間がかかります。採れた作物、それは市場に類を見ないくらいに素晴らしいもので、とてもお金には替え難いのですが。はっきりいって経済的に厳しく、私にとっては両立は困難、生活を継続、維持できません。」

 

真留句はしばらく沈黙していた。何か考えているようだ。そしてしばらくしてから口を開いた。

 

「結論から言うなら、半分、すなわち1/2ではなく三分、すなわち1/3(三分の一)としてはどうだろう?

 

すなわち

 

[ 1/3会社勤め、1/3農業、1/3X ]

 

としてはどうだろう。Xというのは半農半Xの時と同様にあなた方の魂の命ずる仕事、任務、やりたい仕事、使命だ。

 

確かに半農半Xは素晴らしいライフスタイルだ。しかしあなたが言うように誰もが実行、継続、維持できるわけではない。実行できる手腕を持つ者にとっては素晴らしいライフスタイルとなろう。

 

{会社勤め}といのは今日の資本主義社会の中で絶大な強制力を持っている。サラリーマンとして生きるという潮流に抗うことは難しい。我々の家計を成立させるための1番安全な方法は労働力商品として企業に勤め、給料を得るという形でお金を得ることだ。このまま放っておくなら我々の大多数の人生のだいたいの時間は企業で労働者として働く時間に席巻、征服されてしまうでしょう。

 しかし、企業に勤める生き方は環境問題や、自分の人生の生きがい、やりたいこと、といった観点からは望ましくない部分が多い。また労働の正当な対価が昨今は得られにくくなっています。

働いても働いても、時間やお金に余裕ができないのは我々の時間や労働、エネルギーがお金を通して、見えざる存在に吸い上げられているからなのです、利子という厄介な黒幕がいるのです。

そこで、この会社勤めの人生における割合や時間を減らし、他の農業とXで支えることでバランスをとるのです。ちょうど鼎が3本の足で支えられるように、あなた方の人生と家族も3つの分野で支えるのです。

 

会社勤めの割合が減れば、だいたい収入も減ります。しかし、支出もライフスタイルに応じて減ってバランスがとれるでしょう、あなた方は消費、購買という行動をもっと見つめなおすことになるでしょう。

 

次の1/3、農業について話します。農業は生きていくうえで必需品である食べ物を生産します。別の機会に話すことになると思うのですが食料を生産する農業は政治的にも資本主義においても特殊な特徴をもつ産業です。

農は食べ物をつくり、食べ物は我々の心や身体を作ります。すなわち、農とは我々自身をつくる行為でもあるのです。

 

最後の1/3Xについて話します。先の農とこのXは資本主義社会において軽視され、踏みにじられてしまう分野です。Xはあなたの望むこと、魂の命ずるままに従えばよろしいでしょう。

 

農業というのはお金にはなりませんから、そのうちにXで生活費を稼げるようになるといいです。自分のXを尊重し、そしてまた他人のXも尊重するようにすると良いでしょう。

 

そうして農業とXの時間が充実し、増大することで、あなたの中の企業に勤める部分が減少し弱くなるでしょう。そのような過渡段階を経て半農半Xの状態に持ってゆくのです。

 

この1/3戦略はエネルギーが分散してしまうという欠点があります。あまり多方面に手を出すのは得策ではありません。可能ならば、実現できるのならば、やはり半農半Xが理想なんです。

 

なお【人生三分の計】が実行し難いようでしたら別に

【半YX】(※注1)

という策もあります。

Yにはとにかく、生活費を稼げることを代入します。企業に勤めるのでもいいですし、自営業でもかまいません。さてここでYが自分のやりたいことなら半YXである必要はなく、

Yだけで生きればよいです。しかしYが、生活費を稼ぐためにやむを得ずやっていることならば、別にXもやります。Xはやはり、あなた方の魂の命ずる仕事、任務、やりたい仕事、使命を代入する。」

 

真留句はこのように言った。

 

 

注1、このお話に出て来た【半YX】と文章版i要約に出てくる【半ZX】は言葉は似ていますが異なる意味を持ちます;

 

X・・・ 好きな仕事、趣味、  使命的な事業、   魂、心が欲する行動

 

Z・・・ 衣食住に関わる必需品を生産する仕事、1次産業的な業。

     具体的には家庭菜園、農業、林業、漁師、猟師、畜産業、衣服作成、大工、

      鍛冶屋さん、配管工、瓦職人など

 

Y・・・嫌々でも良いので生活費を得る為に会社勤めする仕事、アルバイト。この会社勤めの仕事は精神的、肉体的エネルギー、そして時間を消耗し過ぎない仕事にすること。エネルギーはXの注ぐようにする。収入は最低限の生活費を得れれば十分。あとはなるべくDIY(代表的なのは自炊。あとは家屋、配管などの簡単な修繕などを想定されたい)などで節約する。

 

【半ZX】は真留句が1つの理想と考えるライフスタイルである。(※ 文章版i要約の第2章参照)

 他方【半YX】や【人生三分の計】はその理想的な【半ZX】に持って行くための過渡戦略、中途段階のライフスタイルである。しかし、この半YXは不安定、変化の激しい時世においては有効なライフスタイルである。その柔軟性故に。総合格闘技や柔術で言うところのガードポジションのようなスタイルと言える気もする。

 

真留句はこう言った コロナ以前-20 真留句、世界の中心でiを叫ぶ Ante coronam

真留句はこう言った コロナ以前 -20

 

世界の中心でiを叫ぶ真留句

 

 この記事の内容の理解には数学に関する予備知識が必要です。

必要なのは、あくまで知識です。数学的思考力、知力、推論、計算力などは不要です。

必要なのは三角関数と指数関数のグラフの概形、振る舞いの知識と、オイラーの公式と呼ばれるシンプルな公式です。幾分、本文の後に補足説明しました。

 

以下、本文

 

「今、世界に、我々に最も必要なものはi ではないか!

 

 人類へのi

 世界へのi

 生きとし生けるものへのi

 草木へのi

 動物へのi

 地球へのi

 己自身へのi

 妻へのi

 夫へのi

 両親へのi

 子供、子孫へのi

 七代後世の者達へのi

 友へのi

 同僚へのi

 商品へのi

 サービスへのi

 労働へのi

  made in own country へのi

 平和へのi

  同志へのi

 

 iは上と下、高さと低さ、優劣、順序、比較、成功と失敗、もろもろの価値評価を超越し   てしまう。(注1)

 

 iこそは破壊と破滅をもたらす指数関数exp(t)

持続可能、調和と循環、大いなる円環(corona)、巡り巡りたる永遠回帰を表し、また万物をも生成する三角関数cos(t)sin(t)に変えるのだ、

即ち、オイラーの公式(注2)

 

exp(it)=cos(t)+i sin(t)

 

のようにして!」

 

 

真留句はこのように世界の中心でiを叫んだのだった・・・・・が、急に思い出したかのようにつけ加えた;

 

「しかし溺iはかえってマイナスであることをお忘れ召されるな!

  i×i = -1 

  なのだから !

 

 

 

 

補足

 

注1、虚数ii×i=-1)が登場する実数を拡張した複素数の世界では順序は存在しません。より正確には順序を定義できません。例えば2つの数字2+i-5+3iの大小の比較は出来ません。どちらが大きくてどちらが小さいかということは意味が無いこと、決める事が出来ない事です。

 

 これは大小関係、順序が存在した(正確には定義できる)実数の世界とは異なる性質です。実数の世界では35ならば、3<5のように大小関係、順序が存在します。

 

注2、※ e^texp(t)と書いたりもしますので、この記事ではそうしてます。

 

 指数関数exp(t)tの増大とともに急激に増大する性質を持ちます。

大雑把には、ねずみ算の増え方、複利計算の利子つき借金などのような増大を表します。

またコロナの感染者数のもこれに近い性質を持ちます。単位時間あたりの増大数が現在の数に比例する、といった事象を表します。(注3)

 グラフは前述の他に、地球上の人類の人口なり、化石燃料の使用量なり、GDPのように急激な増え方をするグラフをイメージすれば良いような気がします。

 

他方、三角関数cos(t)sin(t)のグラフは波のような概形です。

sin(t)ならば、まず山がきて、山の頂上で最大値1となります。次に谷がきて最小値-1を谷底でとります。それから、また山が来て、それから谷・・・・と波みたいになって同じ形を繰り返します。1と-1の間を永遠に行き来します。

 

 

そして、指数関数と三角関数を結びつける公式

 

exp(it)=cos(t)+i sin(t)

 

をオイラーの公式と言います。

 

この記事のテーマは、

【破滅や破壊を表す指数関数exp(t)ti()をくっつけてitで置き換えるとexp(it) = cos(t) + i sin(t) となって調和や自然界における健全さを表す三角関数cos(t) 、sin(t) に変わる】

というものでした。

 

 

注3、以下は本編のテーマには関係のない、おまけです。数学に興味のある方向けの注。(数学に興味ある人はすでに知ってる場合も多そうですから、存在意義が問われる部分もありますが、書きたいから、いちおう書いてみます)計算とかも書いてます。

 

 数式を用いて【単位時間あたりの増大数が現在の数に比例する事象】が指数関数で表されることを説明したいと思います;

時刻tにおける、ねずみの数なり借金の金額なりをN(t)と書いて、【単位時間あたりの増大数が現在の数に比例する、といった事象】を数式で書くと

 

dN(t)/dt = βN(t)

 

となります。βは比例定数といいますか、定数で借金の場合なら利率のようなものを表します。

 

この方程式の解は (4に解法)

 

N(t) = Aexp(βt)

 

と、指数関数になります。Aは積分定数です。

A=1β=ln2の時はN(t) = 2^t

となってねずみ算の増え方、

 

A=10万、β = ln1.2 の時はN() = 10×(1.2)^t

となって、利息20%で10万円の借金をした場合の借金の額を表します。

 

 

 ln は自然対数。即ちe = 2.71828・・・・を底とする対数 log

 

4、方程式の解き方 

 

dN(t)/dt = βN(t)

 

両辺にdtをかけてN(t)で割って

 

dN(t)/N(t) = βdt

 

両辺を積分して

 

ln N(t) = βt + C   ※ ここで C は積分定数

 

両辺の指数(exp)をとれば

 

exp(ln N(t)) = exp(βt + C) 

 

左辺は指数exp と対数lnの定義によって、あるいは互いに逆関数の関係にある事から

 

左辺=exp(ln N(t)) = N(t)

 

右辺において積分定数 exp(C) = A と書き直すと

 

右辺== exp(βt + C) = exp(C)×exp(βt) = Aexp(βt)

 

以上から N(t) = Aexp(βt)

 

 真留句はこう言った コロナ以後9

ネズミ、お米、コロナ

 

との関連で倍々になって行くネズミの増え方、お米の増え方、コロナ感染者の増え方が32単位時間経過後に50億に近くなる事の計算。

 

 

今回はコロナ感染者がはじめに1人、1時間後には2人、2時間後には4人、3時間後には8人・・・・と1時間毎に2倍になって行くケースを考えてみます。

50億人に近くなるのはいつでしょう?

 

これは高校数学の対数の分野の身近な演習問題にもなると思います。

 

 

t時間後に50億人に達するとして、

2^t=50億=50×10^8=5×10^9

 

こういう桁が大きい計算をする時は対数が役立ちます。10を底とする常用対数をlogと書くことにして先の方程式の両辺の対数logをとれば

左辺=log(2^t)=tlog2

右辺=log(×10^9)

log+log(10^9)=log5+9log10=log5+9log(2×5)=log5+9(log2 + log5)=10log5 + 9log2

 

よって

tlog2=10log5 + 9log2

 

両辺をlog2で割って

 

t=9+10(log5/log2)

 

ここで常用対数表の値を見て log2=0.3010 、 log5=0.699 を代入すれば、

 

t9+10×0.699/0.3010)≒9+23.232.232

 

よって32時間後、2日目にはだいたい50億に近い人数になります。(検算したら42億人くらいでした)

真留句はこう言った コロナ以後7 月と700円 Post coronam

 この記事は【真留句はこう言った コロナ以前-7 月と700円】と対をなしております。先にそちらご覧下さい。

 

 関連記事 【真留句はこう言った コロナ以前ー7  月と700円】

       【真留句はこう言った コロナ以前ー15A 人生三分の計】  

        上記、両方を読んでから本記事を読むのが良さそう。 

 

 

以下、本文;

 

夕刻。

 

コロナの後の秋、再び、真留句は友の下へ向かう。

 

山路は夕刻も美しかった。しかし、それでも真留句は夜の方が好きであったのだが。

 

街に近づく。今回は例の秋祭りの日を避けるために入念に計画を立てるつもりであった。しかしその必要は無かった。

 聞けば、今年は中止となったらしい。コロナの影響で、である。

 

 今回は街はひっそりとしていた。観光客どころか街の人にもほとんど会う事がない。しかし時折、車が通る。

 

 人気(ひとけ)の少ない街。これが普段のこの街の姿なのだろう。

 

 真留句が人通りのない町を歩いていると、どこからか、聞き覚えのある三味の音が聞こえてきた。

 昨年の秋祭りで聞いた民謡である。三味は素朴な音色であった。何故だか、前に友の下を訪れた際、途中の山路、かの月の世界で聞いた虫のか細い旋律を思い出した。

 真留句が歩くうちに音はだんだんと大きく聞こえるようになって来た。音の源に近づいているのである。

 そのうち胡弓も加わる。

 

 真留句は音の出ている建物の前で立ち止まった。

 

【東町公民館】とある。

 

 真留句は眼を閉じて、この民謡に耳を澄ました。

 三味と胡弓だけ。人の唄はつかない。今回は楽器のみの編成なのだろう。

 この建物の前に佇むこと、どのくらいの時間であったであろうか。

 

 1年前は、それほど心を曳かなかった民謡であったが、今のこの音は心を捉えるものがあった。

 

 秋祭りが中止になっても、なお三味、胡弓、唄、そして踊りの稽古に励んでいるのであろうか。

 

 各地の祭りのみならず、演奏会、演劇、舞台を始めとするいろんな芸術の分野がコロナで活動の中止を余儀なくされた。

 

 しかし、真留句にとっては、観光客でごった返していた1年前よりも今の方が街の民謡に触れる事が出来たように思われた。

 

 町を歩いていると、他の町内の公民館からも三味や胡弓の音が聞こえた。三味や胡弓に加えて唄も聞ける場合があった。逆に人の唄だけの時もあって興が乗った。

 また1軒のみであったが民家から三味の音が出ていたのだが、これこそ我が意を得たり!という音であった。

 

 これがこの街の日常だというなら、なかなか風雅な街である。だが不思議なものだ。俗な祭りのための日頃の稽古が俗を脱してるのだから。

 

 そういえば、昨年の明くる朝に友から聞いたところによれば、街の踊り手や唄い手達は一晩、夜が明けるまで踊りつくし、唄いつくすとのこと。そこまでつき合う観光客も少なかろうし、そもそも踊り尽くした先には、疲れ果てたトランス状態で観客がいようがいまいが意に介さない境地に至っているのやも知れぬ。そう考えるなら、観衆の多寡にこだわっている私など、まだまだ修行が足らぬ。

 

 真留句が公民館や三味の民家で長い寄り道をしたせいか、辺りは夜になっていた。

 

 そして友の下を訪れる。またしてもクラシックの練習曲らしきピアノの音色が聞こえてきた。今もやはり不味い演奏で子供の練習のようであった。

 1年前は割と耳を澄ましていたが、今回は早く、この演奏から逃れたい気持ちにかられたので、呼び鈴をすぐに鳴らした。

曲が区切りの良いところまで奏されると、音は止んだ。それから、しばらくしてから戸が開いた。

 

竜一「遠いところ、よくぞ、おいでになられました。中へお上がり下さい。」

真留句「お邪魔しますぞ。」

 

真留句は中へと案内された。

 

竜「今、お茶を淹れます、お待ちください。」

そう言って、竜一は部屋を出て行った。

 

 キーボードの譜面台に開かれた楽譜の表紙をキーボードの裏に回って覗き込む。

 

 バッハ クラヴィーア小曲集 とあった。

 

 しばらくして竜一がお茶を持って来た。盆の上には湯呑が2つ、2つの深さのある器には、かき餅が盛られていた。

 真留句と竜一はお茶を呑んだ。夜更けにつき、ほうじ茶のようである。美味しい茶であった。真留句はかき餅も食べた。

 

真「秋祭りは中止となったそうだが。」

竜「ええ、そのようですね。」

 

竜一はそう応えたが後が続かない。やっぱり竜一は秋祭りには関心が無いようである。

 

 この友にとっては、例の秋祭りが開催されようが中止になろうが、そして現在のところ祭りの時だけで済んでいる観光地化が常のものとなったとしても、心をかき乱される事はないだろう。

 真留句は、先刻、公民館の前で聞いた誰の為にでもなく奏されていた唄や踊り、民家で自分の慰みのために鳴らされていた三味が、観光客のために、あえて奏されるようになるのがこの街の【常】に変わってしまうならば、と考えるとゾッとするのだった。(まあ、たまにならば良いのだろうけれど。)

 

 

真「ピアノの方はいかがなものか?」

 

竜「相変わらずです。年ですし、なかなか身に付きませんし、練習時間も思うようにはとれません。日暮れて道遠し、というやつですね。」

 

 コロナは友の芸術活動は妨害しなかったようである。そういえば、コロナ下になってから楽器(電子楽器含む)がよく売れているとの事。コロナは、おカネにならない芸術を嗜む愛好家に関してはその芸術活動を促進しているようだ。

 芸術の行為者と観衆とが分かれておらず、一体であり同一人物であった時代。それは芸術が観衆にとって外からやって来るのではなく、内から生じて来るような時代でもあった。コロナは、そのような古き良き昔の形態へと人の世の芸術を押し戻しているようである。

 そういえばコロナは1次産業のような贅沢ではない商品の生産活動も妨害しなかった。自ら行為する芸術というものもコロナは許容してくれてるようである。

 真留句は、【コロナが妨害した事と、妨害しなかった事】、これをテーマに一度考えてみたらいいような気がしてきた。

 

 ところで、あまりピアノについて問うと、そのうち竜一が腕前を披露しかねないので、あまり音楽の事は尋ねない方針にする事にした。折角、美味しい物をたくさん口に入れた後に、不味い物を口に入れるのは避けなくてはならぬ。それは口のみならず耳とて一緒である。

 

真「アルバイトの方はいかがなものか?」

竜「転職しました。今は警備員を、道路の交通誘導をやっています。【半YX】の事で1つ気がついた事があります。YXのバランス、相補性についてです。

私は始め、Y=エクセルの入力のアルバイト、X=ピアノの練習、としていました。

 しかし、ある時から心や身体の調子が優れず、不眠症に悩むようになりました。ピアノの練習も何やら身が入らず、うまく行きません。

 ある日、車が故障して、買い物に歩いていく機会がありました。その日は久々に良く眠れました。その日は久々に良く歩きました。それまでは車に頼り切りでしたから。

 身体を動かすといいのではないか、と思い歩く時間を増やしました。そうすると身体もメンタルも調子が良くなって、眠れるようにもなりました。ピアノの練習もはかどるような気がします。

 そこで私は身体をあまり動かさないY=エクセルの入力のアルバイト、ではなく身体を動かすY=警備員の交通誘導のアルバイトに転職、代入し直した訳です。これはX=ピアノの練習とも相性が良いように思われます。

 すなわちこれが教えることはXY、どちらか一方が肉体労働ならば他方を頭脳労働にしてバランスを取るのが良い、という事です。

 逆の考えで、Xで音楽をやる人がYも音楽とか、またXで農業、Yは林業、というケースもあると思います。XYも自分の好きな事やあるいは好きな事に近い事。これも1つの手ですが生活全体のバランスで見ると、不眠(頭脳労働一辺倒の場合)や肉体疲労(肉体労働一辺倒の場合)になる可能性があります。

 

 また、あなたが過渡戦略であって、理想のライフスタイルに持ってゆくための一時的な手段、通過点に過ぎない、とした【人生三分の計】や【半YX】ですが、これはこれで完成された有効性を持っています。Yにおける柔軟性においてです。

 社会情勢は昨今、著しく変動します。コロナ以前もそうでしたが、特にコロナは社会を激変させました。

 この時【半YX】における、生活費を得るためにしている労務Yは柔軟に変更が効きます。私が転職したようにYにしがみつく必要はありません。終身雇用を目指して1つのきちんとした会社、職にしがみつくような必要はないのです。

 しかし、自分の核となる好きな事Xは変えずにその道を歩めます。

 不易流行と言いますが、この【半YX】や【人生三分の計】においては、Yは流行、社会情勢によって柔軟に変化させ、Xは時勢に流されることなく不変なものとするのです。

 

 また、自分の好きなXに関しては好きなように取り組めます。

 仮に私が幼少の頃から音楽の英才教育を受けて、多大な努力をもってピアニストになったとします。

 生活費は音楽で得られますから、余計なアルバイトをせずに済みます。アルバイトの時間の分、時間が浮く訳です。しかし、常に世論、世間受けなどといった、別の障害が現れるでしょう。

 聴衆、否、観衆受けの良い、自分の好きでもない曲を、観衆受けのするように弾かねばならぬかも知れません。

 そうです、他ならぬ音楽で生計を立てるが故に、その音楽がおカネの支配下に置かれてしまうのです。

 この結果は、幼少の頃からの多大な努力を支払った割に、割に合わない、コスパが悪い、と言えるのかも知れません。

 そう考えると、あなたの【半YX】は英才教育や多大な努力とは無縁に、そして、おカネ、世間の支配から逃れて、自分の好きな事に、好きな仕方で取り組む事が出来ます。

 まあ、そういった自分の好きな事で生計を立てるような超一流の身になったことはありませんから実際のところは知る由もない訳ですが。自分の好きな事で社会に貢献する、貢献できる、社会から承認を受ける、それは感慨深く、一番良いのでしょう。

 しかしそれは私にとっては、ついでのようなものです。社会の承認は得られずとも、先ず、何より己自身からの承認を得る事。これが何より大切にすべきことのように私には思われます。例え深い感慨が得られぬとしても。

 

 いろいろ、申してきましたものの、【人生三分の計】や【半YX】はあなたが教えて下さった事であるから、私が今まで述べて来た事は、すでに全て知っておいでの事なのかも知れませんが。」

 

真「否、そんな事はない。さすがは元公務員だ。私にはそのような事はまったく考え及ばなかった事だよ。         

 発案者よりも使用者の方が良い使い手になるということは、よくある事だ。

ところで今日はもう遅いから休ませてもらえないだろうか。」

 

真留句はそのように言った。とにかく話が長引いて、竜一がキーボードの練習の成果を披露し出すのを阻止したかったのである。