真留句はこう言った

河流 真留句 (カワル マルク) の物語 ・・・初めて当ブログにお越しの方は【真留句はこう言った 0(ゼロ) ブログ案内】からお読みになる事をおすすめします。

真留句以外1 買い物という名の投票 ver.2.2

  最近、選挙があった。
選挙の際には投票が行われるが、もっと影響力があって見落としがちな投票がある。

それは買い物というか、お金を使うことである。

結論からいえば、我々の購買行動は、一種の投票であって、お店の生き残りを決定して、社会に影響を与えていくことになる。

例えば、昔から地域にあったA書店と、最近進出してきた、大手チェーン店のB書店という本屋さんが近くにあったとしよう。
そこであなたは、「今日の料理ビギナーズ」というNHKのテキストというか本を買うことにする。
A
店でもB店でも「今日の料理ビギナーズ」は扱っている。
A
店で買っても、B店で買っても、同じ本が手に入る。
買う人にとっては、どこで買っても同じに見える。

短絡的には品揃えの豊富だったり、店内の装飾があざやかなB店を選択してしまう人が多いだろう。
情に厚い人や地元贔屓(びいき)の人はA店を選ぶかも知れないが。

その結果、A店は店じまいしてB店が生き残ることになる。

こういうことの積み重ねが今の街を形作ることになる。

昔ながらの個人経営、家族経営の店は減り、大手チェーン店、スーパーマーケット、コンビ二ばかりが街に残る。
安いし、見た目もいいし便利だし、文句はない気もする。

しかし、息苦しい世の中だとは思わないだろうか?
そういう所で、従業員が働き甲斐をもって、生き生きと働けるだろうか?

短絡的に買い物をする人々は、将来的に自分や子孫の首を絞めていることになる気がする。
我々の買い物という投票の結果が生き残るお店を選ぶ。
日本や近代的な資本主義が発達した国は治安もいいし、食うには困らないが、閉塞的な気もする。
現代の日本に息苦しさを感じるが、それは、我々の買い物(=お金による投票)の結果である。

打開するには、買い物は投票である、という自覚を持つことが第一歩。
そして第2には、実際に買い物の際には気をつけること。長期的な視点を持つこと。
単に買った物、買う物を意識するだけでなく、店を選らんだ、と、店側も意識すること。

この店では働きたくない、という店では買わない方がいい。そんな店で買い物すると、そんな店が残って、そんな働き方しか世の中に残らなくなるからである。

店のサービスがいいと感じても、それが従業員にひどい負担となって、自分が従業員の立場にとても立てないときは、悪いサービスだとみなす叡智が必要だ。
異論もあろうが、「自分が嫌な事は他人にもさせない」というゴールデンルールはだいたいあてはまってほしい。

選挙の投票と同じで一人一人の行動は影響力は少ないけれど、積み重なることで、自分の環境にモロに響いてくる。

 

 追記1;

 

 筆者はかつてヤフーブログで【緑の木】というブログやってました。今回の記事の本文と真留句のコロナ以前のうちの幾つかの話はその時に書いたものです。

 本文は10年以上前の記事です。(追記は現在のです。)

 

 筆者の地域では十数年前に、大手書店が開店して、地元の永年地域の文化を支えて来た書店が閉店しました。

 現在、今度は大手書店がネット通販に押されてます。十数年前と立場が入れ替わって弱肉強食、あるいは流行り廃りといったものを感じます。

 この、弱肉強食の系列は果てしなく続くのかも知れません。

 しかし筆者は、この順序は直線ではなく円環を描くと考えてます;

 トランプの最強のカード、ジョーカーや2に打ち勝つのは弱い3のカードです。

 トランプやじゃんけんのように、この弱肉強食、適店存続の順序は、円環で閉じると思ってます。

 現代はまさにジョーカー、2と3の勝ち負け法則の特異点の時代かもと思います。

 

 最近は、ネット通販しない個性的な古本屋が当地域で頑張ってます。

 

 

追記2、おカネの流れ

 

 我々の買い物はお金の流れを作ります。まずは買ったお店に。それから銀行かも知れませんし、その店主が別のお店で買い物して、そのお店に流れるのかも知れません。

 資産運用のために軍需産業に投資しているような銀行や企業にお金が流れた場合、そのおカネは戦争に使われることになります。貧しい紛争地域の人々を殺したり、大けがさせることにつながります。

 

 おカネの流れは一種のエネルギーの流れです。そのエネルギーの流れは、我々の周りの社会、企業、環境、労働環境を形作ります。(もちろん物理学や化学で用いられる意味でのエネルギーではありません。)

 

 先に戦争に自分のお金が流れてお金が悪さをする可能性を書きました。その可能性を考えるならば、おカネはローカルにやり取りされるのが無難なようです。

 地産地消です。お金がグローバルに洩れて悪さをすることもない。銀行もローカル重視の銀行に預けるのがいいでしょう。

 

例; ある町で服屋さんが、魚屋さんで魚を買う。魚屋さんは大工にお店の修繕をお願いする。大工は服屋さんで服を買う。

 

 このような感じで地域や仲間内でお金が循環するのが理想な気がします。

 

 

追記3、先にお金はローカルに、地域でやり取りされるのが望ましいと書きました。

もう1つ別のローカルを書きます。

 それはなるべく自分の身体に近いところにお金をかけて行く、ということです。

1番自分にローカルなのは自分の身体と心。本は心の糧といいますから、食べ物と本に先ず、お金をかけると良いかも知れません。

 2番目に自分に近いのは衣服。ファストファッションではなく多少高価でも、人の手間がきちんとかかった服がベストでしょう。(用途にも寄るが)

 3番目に自分に近いのは家。そもそも住宅は高価です。さらに割高ですが寿命の長い家屋ならば、子や孫、その先の代まで住めて住宅ローンを支払う必要がなくなります。光熱費も安い場合があります、きちんと設計された家は。

 昔の構造のしっかりしたリフォームすれば何代も住める中古の家の方が、寿命の短い最近の住宅より良いかも知れません。

 自分から離れた存在である車や不動産、株式、不労所得用のマンションなどには、この見方からはお金をかけない方がいいようです。(人それぞれですが。)

 

 追記4、買い物という投票における【囚人のジレンマ

 

 この【買い物は投票】という見方は「囚人のジレンマ」の構造を持っています。

 

 囚人のジレンマに関して詳しくない方は、【囚人のジレンマ】の言葉をクリックすると、説明が出てくるようなので参照なさって下さい。個々人の合理的な選択の結果が全体(=集団、社会)としては損な結果を導く、という現象です。

 

 消費活動(=購買活動)の際には損得を考えて、安価、便利なお店を選びます。その利己的、合理的選択、投票の集合体は、生き残る企業を決定します。

 我々は基本的にその生き残った企業のみが働き口となります。生産活動の際に(=働く際に)低賃金、ひどい労働、仕事内容を嘆く方も多いと思いますが、それは我々の買い物(=消費活動)という投票が決めていることなのです。あたかも選挙投票で政策が決まるのと似てます。

 みんなが、幸福に働けるような買い物をすれば良いのですが(=囚人のジレンマにおける協調行動)、買い物の際に得をしようとして(=囚人のジレンマにおける非協調行動)、結果、働く際には不幸な状態になってます。

 

そして自分だけが適正価格の職人さんなり、自営業のお店で買い物しても(自営業者は大手に比べ、利益少なくてもこちらが買う時には高い価格をつけざるを得ないし、職人さんの適正価格は大手や普通に流通してるものより高いですから)馬鹿を見るだけ(注1)で、世の中の労働環境は良くなりません。みんながそういう買い物をしたら、きっとみんな、自分らしい働き方ができるはずですが・・・・実現は難しそうです。

 とはいえ一方的に馬鹿を見るわけではなく、仮に世の中の労働環境が良くならないにしても、きちんとした職人さんや自営業者の商品、サービスは価格に見合って、あるいは価格以上に人々を幸せにすると思います。

 職人さんや自営業者の効率が悪かろうが、生産性が低かろうが、かけた手間と時間は裏切らないと思います。

 

 

 なお、【みんなが幸福に働ける買い物をする】、というのは、半農半Xにおけるような、使命的な仕事X、好きという気持ちや、やりがいを持って取り組める仕事Xをしてる人の商品、サービスを購入するということです。

 【真留句はこう言った コロナ以前ー6A 人生三分の計】において真留句が【自分のXを尊重し、そしてまた他人のXも尊重するようにすると良いでしょう。】という言葉を語っています。

 

 Xに取り組んでる人の商品やサービスが自分にとって必要なものならば、購入するのも良いかも知れません。

 

注1;この状況は場合によっては劇場版「νガンダム 逆襲のシャア」においてアクシズの落下を食い止めようと始めに単機でアクシズを押し戻そうとしたνガンダムの姿を彷彿とさせるものかも知れません。劇場版では途中から連邦、ネオジオン、両方のモビルスーツも次々とアクシズ落下を押し戻そうとして、ついにアクシズは押し戻され地球への落下を防ぎました。こちらの世界では果たして、そのような奇跡は起こりうるのでしょうか。

 

〇 囚人のジレンマの説明補足・・・説明に不可欠なマトリクス(表)は【囚人のジレンマ】をクリックして参照なさって下さい。

 ちょっと説明の補足をします;さて、強盗になったつもりで、黙秘(=協調行動)するのが合理的なのか自白(=非協調行動)をとるのが合理的なのか考えてみます。

 相手の出方が不確定なので、場合分けして考えます。

 

  1. a. 相手が黙秘した場合

 

こちらも黙秘すれば懲役10年の刑、

他方、こちらが自白すれば、即釈放。

 

よって相手が黙秘した場合、自白した方がお得というか合理的と言えます。

 

  1. b. 相手が自白した場合

 

こちらが黙秘すれば死刑、(単機アクシズを押し戻そうとしたνガンダム状態?)

他方、こちらが自白すれば懲役30年の刑。

 

よって相手が自白した場合もこちらは自白するのがお得、合理的です。

 

【c】 さて、相手がどう出ようと自白するのが合理的なようです。

 ところで相手はどう考えるでしょうか?表の刑罰や条件は自分と相手でまったく同じ、対称的です。よって立場を替えて考えるならば相手も自白するのが合理的なわけです。

 

 この自分と相手、2人とも自白するという、それぞれの合理的な選択の結果は両者に懲役30年の刑罰をもたらします。

 

 しかし、表を良く見るならば、お互いに黙秘(=協調行動)する、という2人の個人としては愚かな選択の結果はお互いに10年の懲役という刑罰をもたらします。

 全体を考慮に入れると損な結果を自白(=非協調行動)はもたらしてるわけです。

 

 個々人が合理的、利益を追求すると、全体として損する現象があるようです。