真留句はこう言った

河流 真留句 (カワル マルク) の物語 ・・・初めて当ブログにお越しの方は【真留句はこう言った 0(ゼロ) ブログ案内】からお読みになる事をおすすめします。

要約 真留句はこう言った 解説版1  ver.4

始めに  本ブログ全体のテーマと要約・・・

今後、目指したら良いかも的なライフスタイル、あるいは社会システムの1つの案 

【脱資本主義的ライフスタイル≒ポストコロナのライフスタイル≒昔のライフスタイル】

 

 かつては人類の生活に豊かさをもたらしてきた資本主義が現在、行き過ぎの様相を呈していて様々な問題を引き起こしている。その問題とは温暖化、異常気象、気候変動、環境問題、そしてまた、労働環境、生活環境の悪化、ストレス社会、少子化、学校及び職場におけるいじめ等である。それらは現在、人類の抱える主要問題である。それらの問題は現在、解決策の登場が望まれるものである。

 本ブログのテーマ、主題はその解決案の1つを提示する事にある。行き過ぎた資本主義の引き起こす様々な問題を解決、克服するライフスタイルを【脱資本主義のライフスタイル】と呼ぶ事にする。それは温暖化を抑制し、ストレス社会、生きづらさを軽減し、人々に生きがいをもたらし、幸福感を高めるようなライフスタイルである事が望まれる。今、【脱資本主義のライフスタイル】の登場が必要な局面であると私は考える。

 また別に時事問題としてコロナがある。コロナ対応に適したライフスタイルのことを【ポストコロナのライフスタイル】とこのブログでは呼ぶことにする。    

 

主張1、昔のライフスタイルを参考にして現代的ライフスタイルとバランス良く組み合わせたものは、脱資本主義のライフスタイルの1つになる。また、それはポストコロナのライフスタイルの1つにもなる。

 

この主張1が、このブログ「真留句はこう言った」の主要テーマとなる。 現代のライフスタイルに昔のライフスタイルを取り入れる事で生まれるライフスタイルが、脱資本主義のライフスタイルの1つの候補であると、主張1は言っているのである。

(脱資本主義のライフスタイルの候補は上記の1つに限る訳ではなく、いろいろ複数、考えられ得るはずである。即ち、当然の事ではあるが解決案は唯一つとは限らないだろう。しかし、以後、このブログにおいては、【脱資本主義のライフスタイル】という言葉の意味は主張1で提案した昔の生活様式を取り入れたライフスタイルという1つの候補のみを限定して表すことにする。即ちこのブログにおいては【脱資本主義のライフスタイル】という言葉は私の考える解決案を限定して指し示す事にする。)

 現代のライフスタイルの悪い点、欠点をそぎ落とし、昔のライフスタイルそのものや、その構造、骨格を参考にして現代のライフスタイルに取り入れるならば、脱資本主義のライフスタイルとなって、温暖化や、うつ病、いじめ問題、労働環境や生活環境の悪化の問題の解決に繋がり、人々の生きづらさの軽減にもなり、人々の幸福度も増すと私は思う。また、それはコロナ対応にも適したライフスタイルともなる。  

 ここで【昔のライフスタイル】からイメージされる、田舎で自給自足率が高い生活を送り、冬季は熊の冬眠の如くに引き籠って生活するというのは、直観的にコロナ対応に適したライフスタイルであるとある程度、同意して頂けることと思う。

【昔のライフスタイル】というのはまさしく万能な表現であって、ポストコロナや脱資本主義のライフスタイルの様々な特徴を一言で言い表している。【昔のライフスタイル】こそが私の考える【脱資本主義のライフスタイル】の大まかな方向性を与える指針、大きな幹となる。 

この要約の場でその中から、主要な太い枝となるもの五つ、①〜⑤まで挙げてみる事にする;

① 農業などの1次産業や大工、鍛冶職人など衣食住に関わる必需品系の産業に生産と消費のウェイトを置く。それは交換価値よりも使用価値を重視する事とも言える。しかもローカルに生産と消費をする(=地産地消)。しかし情報はインターネットなどでグローバルで良い。現物やリアルはなるべくローカルに(リアルはローカルに、ヴァーチャルはグローバルに。)

※ これは日常用語を用いれば、【買い物の際には衣食住に関わる商品やサービスにお金をかけて、仕事の際にはそのような衣食住に関わる事にウェイトを置く】という事になる。

② 生活の中でDIY率を高める。昔はDIY率が高かった。個人、地域、市町村、都道府県、国あらゆるスケールで生活に必要不可欠な事柄をなるべく自給できる体制にする。

DIYとはDo it yourselfの略。自分でする、自給、という事である。

③ 複業体制にする。

①の必要不可欠な仕事と、もう1つ、自分の好きな事、あるいは、自分の道、自分の使命といったような類の事業に取り組む。(半農半Xの拡張→半Z半X 、Z=①のような人々の生活に必要不可欠な部門、X=自分の好きな物事、自分の道、自分の使命的な仕事など) また規模は小さくする。自営業や少人数で仕事をする。大きくしない。

④ 地域に分散した小規模な経済圏が成立する事を目指す。また信頼できる仲間内で③において各自が生産した商品やサービスをお互いに交換し合う。物々交換でもいいし、貨幣を介してでも良い。買い物共同体(=経済共同体)みたいな感じです。共同体の仲間の生業も自分の生業と同様に運命共同体と思って守る。仲間の生業を脅かすようならば、外部には売らない、外部からは買わない。(=エシカルな消費と生産)

⑤ なるべく手業や人力で作業する。しかし適宜、外部動力(電力)も用いる。電力は、水力発電再生可能エネルギー発電、小規模地域分散型発電(例えば、小水力発電)。化石資源はできれば使用しない。しかし、食糧生産など最低限不可欠な分野などで化石資源に使用が必要な場合は優先順位をつけて使用する。経済競争の為の使用は身を滅ぼすであろう。

①~⑤の補足や説明は、本記事の本編にて後述する。 ①~⑤でもって、私の考える脱資本主義のライフスタイルの中核をなす柱はだいたい述べた事になる。

 

 次の問題として、実際に脱資本主義のライフスタイルが世の中に広まるのか、という問題がある。それについては見込みとしては厳しいかも知れないが、以下のようなシナリオに期待したい;

先ず、第一段階として、少数の精鋭、意識高い系、勇気のある人、志のある人々が脱資本主義のライフスタイルあるいは、そういった方向性のライフスタイルを採用する。先陣を切る、切り込みの精鋭部隊さながらに。確かに経済性の低いライフスタイル故に生活において生きづらい面、困難な面も多々ありそう。しかし、資本主義経済と、それがもたらす社会システムが機能不全に陥りつつある今日、むしろ、脱資本主義のライフスタイルを採用した人々の方が優位に立てる点、生き易い面も多いと思われる。そして、総合的には良い生活、充実した生活を送れる可能性がある。学校や職場におけるいじめ問題やコロナの感染問題、生きがい、労働環境、うつ病、過労、睡眠、長時間労働、労働の対価、時間の余裕などといった点においては現行の資本主義社会に合わせるよりは、脱資本主義のライフスタイルを採用した方が適切なのではないか。  

 第二段階では、現行の資本主義社会に合わせて生きる、いわゆる普通の生活を送る人々が第一段階で脱資本主義のライフスタイルに移行した人々の生活を見て、そちらの方が良いのではないか、と考えるようになり、脱資本主義のライフスタイルに移行する人々が増え始める。真似し始める、ということである。現行の資本主義社会における庶民の苦境は、自殺率、少子化、過労、未婚率、いじめ問題などに現れている。  

 確かに脱資本主義のライフスタイルで生きる人々が少数派のうちは、多くの人々が現行の行き過ぎた資本主義社会に異を唱え、脱資本主義のライフスタイル、あるいは別のライフスタイルに移行するとは思えない。

 しかし、人間というものは隣人や知人の幸不幸に敏感で、周囲と自分を比べ、そして、現在の苦境を軽減し、幸せそうに見える人々を判別し真似をする傾向はある。それ故、脱資本主義のライフスタイルが今の行き過ぎた資本主義に合わせるライフスタイルよりも格段に充実した生を送れるように傍目から見て感じられるならば、日和見的に脱資本主義的ライフスタイルに移行する可能性はある。

 また多くの場合、人は周りの多数の真似をする傾向が強い。

 これらの特徴から、脱資本主義のライフスタイルを採用する人数はねずみ算のように拡大する可能性がある。それはちょうどコロナの感染が拡大する様と通ずる部分があるかも知れない。拡大初期は至って少数派である。

 最近、Iターンなどで田舎に移住して無農薬農業に取り組んだり、電力や化石資源をなるべく使わない薪ストーブ生活を送る人々が増えてきているイメージがある。現行の行き過ぎた資本主義に違和感を感じてライフスタイルの転換を図ったのかも知れない。私には脱資本主義のライフスタイルの先陣を切る人々のように見える。現在は少数派なので、小さな火種である。しかし近年、この火種が段々と大きな炎となってきているイメージがある。この希望の炎がもっと多様に変容、進展しながら大きく拡がってゆく事を私は願う。

 以上が私の脱資本主義のライフスタイル拡大のシナリオである。

 江戸時代末期の日本人は今後のライフスタイル、社会システムのお手本を西洋資本主義に求めた。しかし逆に、江戸時代の日本のライフスタイル、社会システムは行き過ぎた資本主義システムの弊害が露わになる現代の世界のお手本、指針になるのではないか。その考えこそが昔のライフスタイルを参考にして、取り入れる、という事なのである。

  現在は現代的ライフスタイルに偏り過ぎて、バランスが崩れ、コロナ対応のみならず、人間の生活全体についても不味いライフスタイルになっていると思う。

 人間の成人病、心の病、温暖化(異常気象)、環境汚染、労働、賃金、少子化といった現代の主だった問題はまさしく現代特有の問題である。戦後間もない日本や戦前、昔にはこれらの問題は現在ほど幅を効かせてなかった。そこで、安直ながら処方箋として昔のライフスタイルを取り入れるならば、これらの問題も解消、軽減されるのではないか。

以上、要約の要約を述べた。

 

なお、この段階で【昔のライフスタイル】という大きな幹と上記①〜⑤という主要な枝を提示した。さらに末端の枝や葉に相当する、実践の為の日常のいろいろな具体的行動や身近な行動を知りたい方は別記事の【真留句リスト 真留句はこう言った 解説版3】や【真留句のことば 真留句はこう言った 文章版5i】をご参照のこと。葉に当たるものが書いてある。ここよりは具体的な行動、実践的な行動が書いてある。葉こそは光合成を行い、生きる為に必要な部分なので、やはり大切と思う。

 温暖化や生きづらい生活など、行き過ぎた資本主義の問題を改善してゆく具体的な行動、実践的な方法はたくさんあると思います。いろんな本を読んだり、他人との会話やブログからも得られたり、生活の中で自分で編み出したり。また別の方法として、昔の人々のライフスタイルや先住アメリカ人のライフスタイルなどに思いを馳せたり、あるいは参考にする事でヒントが出てきて、芋づる式に具体的な行動が発見できるかも知れません。

 

 

要約の本編 目次

1、始めに、の続き 

脱資本主義のライフスタイルの中核をなす主要な枝①~⑤の補足と説明

2、この要約の主張の根拠  

 2-1、コロナの社会的な特徴

 2-2、2つの相対するカテゴリー、

【反資本主義的なる事柄】 と 【資本主義的な事柄】

3、経済社会宗教の概念

4、まとめ

5、要約のおわりに 

 

1、始めに、の続き

ここでは脱資本主義のライフスタイルの中核をなす太い枝にあたる①~⑤の項目のやや詳しい説明と補足を行う

① 1次産業など衣食住に関わる仕事の重視+ローカルな生産と消費  

 1次産業は農林水産業などで、人が生きる上で必要不可欠な衣食住に関わる商品、サービスを生産する。  

 昔は現代よりも1次産業の生産、消費の割合が多かった。

 そこで次のようなことをすると、昔のライフスタイルへの歩み寄りとなる;

生産時 → 複業で1次産業をする。オーソドックスなのは農業。家庭菜園と書いた方が良いかも知れない。これは商売にならなくてもいい、自給用とかでも。 コロナ下でも労働可能、生産活動可能である事も大きい。誰しも実行できるわけでは無いが、可能ならば自分の生活に何らかの形で1次産業(特に農業)を組み込むことである。  

消費時(購入時) → 消費(=買い物)も衣食住、すなわち1次産業に関わるものを中心に購入する。労働自粛、失業、転職、短時間労働などで収入は減ることが多いと思われるが1次産業の商品、サービスは安価に済む場合が多い。また高価であるにしても、それに見合った生活の質の向上を購入者にもたらすであろう。

 では、消費時(購入時)において何を節約すると昔のライフスタイルへの歩み寄りになるか? 回答→住居(終身雇用をあてにした住宅ローンはしない、ということ、田舎の空き家など利用)、光熱(化石燃料を節約)、交通(税金という形でお金を吸いまくるマイカーを減らす)、通信、保健医療(昔のライフスタイルをとれば病院にあまり行かずに済むだろう)、教育(コスパが最近は低下)、教養娯楽(本当に自分が好きな物に限定する) この消費活動は低収入、低支出と相性が良い。

コロナ対応の有効性→コロナは1次産業の生産活動をあまり妨げなかった。例えば農業は自然にコロナ3密が回避される。他方、3次産業の飲食業、観光業、芸術の生産活動を困難なものにした。

 コロナが必需品を生産する1次産業の生産活動をあまり妨害しなかった事は注目すべき事柄であるように思われる。

 

● ローカル(地産地消)  

 昔になればなるほど、よりローカルに生産、消費活動が行れていた。 ローカルに生産、消費活動が行われるほどコロナは拡散しづらい。 また生産、消費活動がローカルに行われるならば、行き過ぎた資本主義が生み出す様々な弊害も改善されそうである。(労働や資源の搾取、働き甲斐、生きがいの問題など)

 

例;  野菜はなるべく自分に近いところで生産されたものを使うほど、昔のライフスタイルになる。一番近いところは自分で育てた野菜。いわゆるDIY、自給自足。買い物するなら自分の街、地域で生産された八百屋さん、直売所や朝市の野菜が最善。それが無理ならば、八百屋さん、スーパーで自分の都道府県産の野菜。それも無理なら国産の野菜。できれば輸入品は避ける。 自分で野菜を育てるのが難しい方もいるので、各人が自分にあったバランス(近⇔遠、あるいは昔⇔現代の)で野菜を入手する。

 コロナは標語的には 【ヴァーチャルはグローバルに、リアルはローカルに】 ※ 言い換えるならば、【情報はグローバルに、現物はローカルに】 ※ 英訳; 【Real may local,virtual may global.】 を人類に提案してるのではないだろうか。

 

② DIY(=自分ですること、自給自足)

 上記、ローカル(地産地消)の自分に近いところの極限は、自分の使う(消費する)商品やサービスの作成(生産)を自分ですること、即ちDIYである。

 このDIYは昔のライフスタイルのキーワードである。昔は現在に比べDIY比率が高かった。  身近な事では自炊も調理のDIYである。コロナで外食が減り、自炊する人が増えた。これは、人がコロナ対応すると自然にDIY、即ち昔のライフスタイルを取るという実例になる。  自分の生活の中で商品の作成やサービスをDIYする事柄が増えるほど昔のライフスタイルに近づくことになる。  

 逆に商品やサービスをお金の支払いで済ますほど現代的なライフスタイルに近づく。

 コロナで社会システム、経済システムが一部機能しなくなった。昔のライフスタイルをとってDIY比率が高いほど経済システムの混乱の害は受けにくい。(DIY比率が高いとは経済システム、分業システムからの独立性が高い=依存割合が低い、ということだから。ところでDIY的生活とはお金に頼らない生活、とも言える。金(ゴールド)の高騰はおカネの信用力が落ちていることを表している。金(ゴールド)を買うのも良いがDIY用の商品、サービスを購入してDIY力を高め、おカネにあまり頼らない生活を目指すのも1つの方法である。)

 また、労働自粛や勤務時間の短縮、失業、巣ごもりなどで収入(お金)は減るが、DIYする時間は増える。コロナとDIY(昔のライフスタイル)はこの点においても敵対関係ではなく親和性とも呼べるものがある。

 コロナ以前に長時間労働で得たお金で買っていた調理(=外食)などの商品、サービスを、コロナ以後に短時間労働と減った収入のもとで自炊(DIY)した時の方が人々の幸福度は高かったのではないか?と思う。

 またこのDIY、自給自足は今までは個人に対して述べている事であるが同時に地域、市町村、都道府県、国に対しても順次、拡張、移調して読み替えられたい。

 即ち、それぞれの圏内で食糧や衣食住に関わる生活の必需品をなるべく確保、生産できる体制を整えるのが望ましいと私は考える。輸入など外部依存はコロナ下では、なるべくあてにしないのが良いと思う。

 

③ 複業と、半Z半X

● 複業  複業はコロナ以前からある程度話題になってた。コロナ下では、さらに注目されるキーワードとなった。

 コロナは飲食業や観光業の生産活動を行えなくし、労働者を遊休状態にした時もあった。自治体によっては、このコロナ離職で職を失った人々に、人手不足の1次産業の仕事、農業、林業、漁業などの仕事を斡旋したりした。一次産業は屋外労働のケースが多く、三密を回避し易くコロナ対応には有利だったからである。

この事例は、例えば飲食店と農業の複業体制にしていれば、コロナ流行時に飲食業の生産活動が出来なくなっても、その時に農業の生産活動を行うことで完全な遊休状態を回避できる、という事を示唆している。即ち、複業体制にする事でコロナの影響で完全に生産活動が出来ない状態に陥らないようにリスク回避、リスク分散している、とも見做せる。

 また飲食業と農業の複業については次のような利点もある。それは、料理人が料理を追求すると、どうしても食材の質という問題と向き合う事になる。農業を複業にする事で良質の食材の調達や食材への知見が増すことで料理の道に進展をもたらす可能性もある。実際、料理を追求する姿勢の強いシェフはコロナとは無関係に自らが納得する食材の調達や知見を深める為に農業や家庭菜園に取り組み始めるというケースをしばしば耳にする。

 とはいえ、飲食業は長時間労働+立ち仕事で激務である。また農業も播種時期など作物の特性に合わせて時間に追われる作業になったり、農園の規模によっては大変な作業となる。それ故、飲食業と農業複業というのは時間的、体力的、精神的に両立の厳しい点もある。農業の規模を小さくしたり、飲食業の営業時間を短くしたりして実現を目指す事になるだろう。

 また、昔は複業のケースが多かった。宮大工を本業としつつも、自らの家族の最低限の食い扶持を自給する為の田畑を持って農業も行っていた。宮大工は寺社以外の一般家庭などの家屋の建造に携わる事は禁じられていたのもあり、社殿の改築、修築などの仕事がタイミング的に無い場合は宮大工の仕事は一切、行えない期間が生ずることもある。そんな時でも最低限度の生活を維持する為の複業のようである。  

 資本主義が進むと資本主義的競争に優位な専業が普通となった。分業が行き過ぎた状況になったのである。しかしコロナ下では、進み過ぎた分業化、専業化された労働形態が裏目に出てしまった。特に飲食業や観光業においては。

 コロナに逆らわずに生活する、と考えると複業の選択に行き着くが、これは脱資本主義のライフスタイルとしても推奨される選択となる。 

● 半Z半X    

 半農半Xはかなり理想的なライフスタイルと思う。これの一般化である半Z半Xが私の理想に思い描くライフスタイルである。ZとXでもって複業体制にする。(注;半Y半Xとは名前は似ているが別物。説明は後述。)

半Z半X・・・Zは農業、大工、織物師、鍛冶屋さんといった1次産業的、必需品を生産する仕事。これはコロナ下でも労働可能、生産活動が可能な仕事でもある。

 他方、Xは自分の好きな事、仕事、自分の道と言えるような事、使命的な仕事、やりがいを感ずる事の出来る仕事、その仕事をしてる最中は幸せであるような仕事。労働に没頭できる仕事(=労働しながらマインドフルネス!) このZやXの産する商品、サービスは自給用であっても、他人の労働との交換用(大雑把にはお金と交換できる商品、サービス)であっても、どちらでも良い。

 これは生産(労働)に関する事であった。  他方、消費(買い物)について→生きていく上で必要なのに自分で自給できない商品、サービスはなるべく他人のZやXから労働の交換によって(≒お金の支払いによって)入手する。それが不適当な時は旧来の資本主義的市場の商品、サービスを購入する。

 即ち、自分が労働中は没頭できる、幸福感を感じれる仕事をして、商品、サービスを生産する。その商品、サービスを自分で使って生活したり、または他人とお金などで交換する。

 そして自分で生きていくのに必要だが自分では生産できない商品、サービスを、他人のXやZで生産された商品の形でお金などの方法で交換するのである。

 しかし、鎖国中の江戸時代の人々の多くの人はこのような生活を送っていたのではないか、と思う。

※  注1: もちろん、無理に複業体制にする必要はない。Zのみ、あるいはXのみの専業体制が自分にマッチしてると感じ場合はそれで良い。

※ 注2: ここに出て来た【半Z半X】と【コロナ以前ー15A 人生三分の計】に出てくる【半Y半X】は言葉は似ていますが異なる意味を持ちます;

X・・・ ●好きな仕事、趣味、  ●使命的な事業、   ●魂、心が欲する行動

Z・・・ 衣食住に関わる必需品を生産する仕事、1次産業的な業。

具体的には家庭菜園、農業、林業、漁師、猟師、畜産業、衣服作成、大工、鍛冶屋さん、配管工、瓦職人など

Y・・・嫌々でも良いので生活費を得る為に会社勤めする仕事、アルバイト。この会社勤めの仕事は精神的、肉体的エネルギー、そして時間を消耗し過ぎない仕事にすること。エネルギーはXの注ぐようにする。収入は最低限の生活費を得れれば十分。あとはなるべくDIY(代表的なのは自炊。あとは家屋、配管などの簡単な修繕などを想定されたい)などで節約する。

 

【半Z半X】は真留句が1つの理想と考えるライフスタイルである。

 他方【半Y半X】や【人生三分の計】(※ コロナ以前ー15A 人生三分の計 参照)はその理想的な【半Z半X】に持って行くための過渡戦略、中途段階のライフスタイルである。しかし、この半Y半Xは不安定、変化の激しい時世においては有効なライフスタイルである。その柔軟性故に。総合格闘技柔術で言うところのガードポジションのようなスタイルである。

 

④ 小規模分散地域経済圏と買い物共同体  

 時代を遡るほど、経済圏、あるいは生活圏は小規模になる。それは即ち、時代を経るごとに経済圏が拡がってゆく事を意味する。即ちグローバル化である。

 私は昔のように経済圏がなるべく小規模な方が良いと考えている。もちろん、どうしても入手できない必要なものは、逐次、遠距離のところから入手しても良いが。しかし、なるべく近場で済ますべきである。特に現物のやり取りに関しては。

 

 ところで、資本主義を克服するものとしてマルクスが提示したのは共産主義であった。

 今後、我々が採用すべきは資本主義か、あるいは共産主義か、あるいはまた別の何かなのか?

 私がこの度、提示した【脱資本主義のライフスタイル】は【脱資本主義】という言葉になっているものの、いちおう資本主義の枠組みの中で行われる事を想定している。即ち、私有財産制の中で行われるライフスタイルである。

 しかし、それは小規模な共産主義の中で行われるとしても良い。

 買い物共同体、あるいは地域に分散した小規模な経済圏が仲間うちや経済圏の住民を運命共同体と思い、お互いの生業を守ろうとしてエシカルな消費(倫理的な消費。欲望や安値に踊らされて買い物をしない事)でお互いを支え合うならば、資本主義の枠組みの中でありながら、資本主義特有の競争などの資本主義下の経済法則が成立しなくなる。

 性善説を採用して仲間うちで自発的なエシカルな消費、買い物が行われると期待されるならば資本主義の枠組みで行われよう。

 しかし、性悪説を採用して、それが無理だと考えて外部からの規制、強制が必要だと考えるならば小規模な共産制を採用すれば良い。この場合は小規模な共同体内で消費や買い物のルールを強制するのである。

 しかし、この小規模な共同体内における生活、ライフスタイルというのは資本主義の枠組みにおけるエシカル消費をするのと、共同体内における小規模な共産制を採用するのは実質、殆ど変わらないと私は考える。共同体の仲間うちである他人の私有財産、生産手段も自らの生産手段と同様に生業の為に守るべきもの、と考えるならば、あたかも共同体内の共有財産のようにも思える訳で殆ど区別がなくなるのではないか。

 ソ連などが試みた大規模な共産制の実施は、独裁や強権政治などの悪い面が出やすかった。しかし小規模な共産制では、それらのデメリットがないというイメージが私にはある。

 即ち、小規模な共同体、あるいは小規模な経済圏という極限においてはエシカルな資本主義と共産主義は実質、一致する、というのが私の見方である。

 そして、それが正しい見方かは私自身も分からない部分もあるが、もしある程度でも正しいとすれば、それをご縁と思い、そのやり方を採用、あるいはその方向性を目指すのが妥当と思われる。先ずはその方向に歩んでみようではないか、の精神である。

 我々は買い物をする度に、その方向に歩みを進めるか、あるいは現行の行き過ぎた資本主義の地点に歩むか、している事となる。昔ながらの職人の手業の商品や地域の個人営業のお店で買い物をすれば前者であろうし、近場で購入できる商品をわざわざネット通販で購入したりすれば後者となろう。

 

⑤ 人力作業と電力に関して

 人力作業、肉体労働の割合が昔になるほど大きくなる。他方、現代になるほど人力作業、肉体労働は減って機械作業に取って代わることとなる。

 人力作業は一見、避けたい、機械と石油任せにして楽ちんしたいと考える人もいる。しかし様々なメリットがある。

・身体を動かす事はストレス軽減になる。メンタルヘルスで食事、睡眠、運動が大切とよく言われる。ジョギング、散歩、ウォーキング、スポーツ、人力農作業などはそれ自体ストレス軽減になる。汗とともに心の毒(=ストレス)も体の毒も体外に排出される。また不眠、睡眠障害の1つの原因が身体を動かさない事によるエネルギーや元気の余り過ぎにある。身体を動かしてエネルギーを消費させる事で、快眠が導かれる。

 

・手業の効能

機械で大量生産されるはずの商品を人の手で生産する事は生産者にとっても消費者にとっても有益である。

 先ず消費者にとって、手業の商品を購入する事は生活の質を大きく向上させる。食べ物にせよ、器など生活用品にせよ。工場の大量生産品に比べて高くても、実はその価格以上に生活の質の向上をもたらしてくれる場合が多いのでは。我々はもっとこのような消費というか買い物を推進すべきであろう。

 次に生産者にとって。手業の向上は生きがいをもたらす。例えば、刃物鍛治や、陶芸家、農作業者などの技術の向上は生きがいにもなるし、自己肯定感の向上にも繋がる。また手業に没頭してる間は幸福感や充足感に浸れるのも大きい。

 手業が廃れ、手業の必要な仕事が減り、手業の身につく仕事が減った。コモディティ的仕事、誰でも出来る仕事が増える現代においては、仕事にやりがいや、あるいは仕事を通じて生きがいを持つ事が難しい世の中になっている。

 それだから、消費者としては、そのような手業の生産形式を支持する意味でも、安い工場の大量生産品よりも、気持ちのこもった手業品を購入するのが良いと思う。消費者の時の買い物が、生産者としての自分に跳ね返ってくるのである。

 また、男性の生きづらさの軽減にもなる。もちろん女性は主婦家事と仕事、場合によっては子育てと、ワンオペで忙しく厳しい環境にある。

 他方、だからといって男性が楽かと言えば、そうでも無い。ひと昔前に比べ給料水準も減った。安い給料では奥様に頭が上がらない。未婚者の多さや奥様が働いて共働きせざるを得ない状況は、そのまま男性の地位の衰退を意味する。

 定年後、男性は退職したにも関わらず、奥様はパート継続+家事ともなれば、夫婦ともに居心地の悪い状況になり得る。

 女性も忙しく大変だが、男性も肩身の狭い状況になり易い今日この頃なのではないだろうか。

 この状況の一因は、男性向きの肉体労働が機械作業にとって変わられて女性向きの事務作業やサービス業などが現代において増えたからであると私は考える。

 即ち、肉体労働に適性のある男性と現代の社会システムのギャップである。これは一般的には人間の動物的部分、原始的部分と現代文明のギャップによって引き起こされるマズい面の一例となる。

 ここで脱線するが、この人間の原始的部分と現代文明のギャップこそが、現代の様々の問題の源泉になってる場合があるので幾つかの例を挙げてみる。この相い容れぬ両者が化学反応を起こす事で大きな害が生ずるケースが多々ある。

 

例1、人間の原始的部分としての闘争本能と、現代文明の核兵器。あるいは、闘争本能と、現代的な戦争の兵器。これは化学反応の結果、核戦争、人類滅亡、地球破壊が引き起こされる。

 

例2、前述の人の動物的特性としての男性の肉体労働適性及び外仕事する場合が多いことと、現代における肉体労働の減少。

 

例3、男女問わず、動物的特性として、身体をたくさん動かすのが普通だった人間と、現代における機械作業で肉体労働が奪われた事。これは、化学反応の結果として運動不足とそれによる病気、睡眠不足、ストレスが発散されない、などを引き起こす。

 

例4、人間の動物的特性として日中行動して、夜間は寝るという事と、現代における電力利用や夜間労働。これは、化学反応の結果、労働者の体調不良や睡眠障害が引き起こされる。

 

脱線おわり。

脱線したが、話を元に戻す事とする。

 手業や肉体労働を復権させる事で再び、男性にとって生きづらさが軽減されると私は考える。男性が動物的適性をもつ肉体労働が復権する事で男性の生きづらさが軽減されるかも、なのである。

・前述した事ではあるが手業の推奨は機械作業の完全な排除を意味する訳ではない。私は必需品の生産量に問題が生じる場合は適宜、機械と電力などの外部動力は用いても良いと考えている。ポル・ポトと同じではないので誤解されませぬよう。

 しかし、とにかく手業、肉体労働を多くすれば上述のメリットのほかに勿論、化石燃料や電力の節約が挙げられる。主要なデメリットは生産量が減る事である。しかし、その場合は前述したように機械や外部動力で補えば良いと私は思う。

 

電力に関する言及→未記入。いずれ、改訂時に書くかも。

 

なお、その他いろいろな具体的行動は【真留句はこう言った 文章版3i 真留句リスト】ご参照のこと。

 以上のようにコロナ対応で昔のライフスタイルを取り入れることは、そのまま人の生活の質の改善、幸福度の上昇にもなるし、環境問題対策、異常気象抑止にもなる。

 コロナはコロナ対応を人類に迫ることで、持続可能なライフスタイルを強制、エンハンス(助長)してるという見方もできる。

 

2、この要約の主張の根拠  

 今まで、【昔のライフスタイル】が【ポストコロナのライフスタイル】や【反過剰資本主義のライフスタイル】の指針となる事を主張してきた。この2章では、その理由を説明する事にする。

2-1、コロナの社会的な特徴

先ずはコロナの社会的な特徴を挙げてみよう;

● 資本主義的に優位な、都市、3次産業(観光、飲食、サービス業)はコロナ下での活動、生産活動は困難である。

● 他方、資本主義的に不利な、田舎、1次産業(農林水産業、大工)はコロナ下でも活動や生産活動が容易である。

● また、同じ飲食店でも都市部、チェーン店、従業員が多い、大きい店舗、設備投資が優れてる(=借金の賜物であることがある)、人口が多い立地(=家賃が往々にして高いものである)、経営手腕やマネジメントに優れ、といった経済競争に優位な、即ち資本主義的競争に優位な属性の多いお店の方がコロナに耐えるのが困難である。

● 他方、郊外、パパママ経営(家族経営)、小規模店、不利な立地(=家賃が安いことが多い)、自宅兼店舗、不器用、経営分析やマネジメントは行ってなさそうでフィーリングと勢いで営業をしてそう、といった経済競争において不利な経営形態、即ち資本主義的に低位なお店の方がコロナの影響に耐えるのが容易である。

 大雑把に言えば、商売上手な飲食店ほどコロナに耐えるのは困難であり、 他方、商売下手、金儲けが下手な飲食店の方が、コロナに耐えやすい。

  以上より、

【コロナは社会的には反資本主義的属性(あるいは反資本主義的影響力)を持つ】

と考えても良いように思われる。実際にコロナは経済活動を妨げているのだから、そう言っても良いだろう。 だとすれば、

【反資本主義的ライフスタイルは、コロナ対応のライフスタイルにもなる。】

と考えてみるのも良さそうである。大雑把には

【金儲けにならないライフスタイルは、そのままコロナ対応の有効なライフスタイルになるかも知れない。】

とも言える。

 【反資本主義的ライフスタイル】の典型的なものであり、かつ様々な特性を兼ね備えているのがこの要約でのテーマ【昔のライフスタイル】である。【昔のライフスタイル】が直観的に資本主義的に低位なライフスタイル、即ち反資本主義的ライフスタイルであることは明らかである。(【真留句はこう言った 文章版2i 詳しい説明】で妥当性のしっかりした説明をする。また、反資本主義的ライフスタイルが必ずしも脱資本主義のライフスタイルと言えるかどうかは定かではない。しかし、脱資本主義のライフスタイルというのは反資本主義的性質を備えていると考えるのは妥当そうである。また今回の議論において数学的、論理的な厳密さは求めない事にして、読者には大きな心で【脱資本主義のライフスタイル≒反資本主義的ライフスタイル】を受け入れて頂きたい。)

 【昔のライフスタイル】はコロナ対応のライフスタイルの典型例と言える。

  ところで、コロナが反資本主義的であるということから、真留句がコロナ以前から説いていたライフスタイル、生き方は、そのままコロナ対応、ポスト・コロナにおけるライフスタイルになり得るのである。というのは、真留句はコロナ以前から、行き過ぎた資本主義のバランスと均衡を取り戻すべく、資本主義を抑制するようなライフスタイル、即ち、反資本主義的なライフスタイルを説いて来たからである。

 

2-2、二つの相対するカテゴリー、

【反資本主義的なる事柄】 と 【資本主義的な事柄】  

 先の2-1、コロナの社会的特徴における考察から【コロナは反資本主義的属性】を持つことがわかった。 そこで、【反資本主義的な事柄】と【資本主義的な事柄】という2つの相対する概念を考えることにする。そして、幾つかの分野の事柄をどちらのカテゴリーに属するか列挙して書き下すことにする。 なお同じローマ字の事柄は対応し合う事柄で正反対の事柄である。

【反資本主義的な事柄】  

※ 反資本主義的≒自然的 とも言える。

a 昔(のライフスタイル)

b ローカル (=地産地消)  

 b-1  DIY

c 複業

d 1次産業  

 d-1 農林水産業

e 田舎

f 環境保全、持続可能性

g コロナ

h 効率が悪い

i 生産性 小

j 使用価値  

k 人間 

l 美 

 

【資本主義的な事柄】  

a 現代(のライフスタイル)

b グローバル

c  分業(=専業)  

d 3次産業

e  都市  

f 環境汚染、温暖化、異常気象  

g コロナワクチン?  

h 効率的    

i 生産性 大  

j交換価値  

k 人間の作り出した環境  

l 醜

 

なおこの区分けの妥当性、理由は【真留句はこう言った 文章版2i 詳しい説明 】でそれぞれの事柄を詳しく考察する際に述べることにする。

ところで以下のような性質がある。 同じ【反資本主義的な事柄】に属する事柄同士は親和性が高い。 同様に同じ【資本主義的事柄】に属す事柄同士は親和性が高い。 他方、【反資本主義的事柄】と【資本主義的事柄】、それぞれ別のカテゴリーに属する事柄は往々にして対立、敵対することが多い。

例1;同じ【反資本主義的な事柄】に属するa 昔のライフスタイル、b ローカル、d 1次産業、g コロナ、f 環境保全は親和性が高く連動している;

昔にさかのぼるほど、生産活動、消費活動においてローカルの度合いが強まり、かつ1次産業の占める割合が高くなる。そして社会的コロナ対応も容易になり環境負荷も軽くなる。

例2; 【反資本主義的な事柄】に属するgコロナと【資本主義的な事柄】に属するb グローバル、c  分業(=専業)、 d 3次産業、 e  都市は対立、敵対関係にある;

コロナはグローバル化を抑制し、3次産業(特に飲食業、観光業、金銭で生計を得る芸術)の生産活動を困難にし、それを専業とする人々の生計に打撃を与えた。また、コロナは都市での対応は田舎に比べ不利である。

例3; 【反資本主義的な事柄】に属するf 環境保全は【資本主義的な事柄】と対立するので経済活動の進展と共に一般には悪化する。

例4、【反資本主義的な事柄】に属するk人間は【資本主義的な事柄】と対立する。

資本主義が過剰に進むと人間は悪い影響を被る。 人間に限らず、生物の肉体や精神は環境にゆっくりと適応するものである。人間の心と身体は基本的に数万~数千年前の狩猟や農業で身体を動かして来たライフスタイルと相性が良い。まだまだ人間の身体と心は【反資本主義的、あるいは自然的】なのだ。

 人間がここ2,3百年に自ら作り出した環境、身体をあまり動かさないライフスタイルと人間の心と身体は相性が悪い。ここ2,3百年、資本主義によって生み出されたライフスタイルに人間の心と身体は適応出来ないのである。

 人間は過剰な食料、睡眠不足、身体を動かさない、社会的過ぎる(四六時中、相性の合わないかも知れない同僚と集団労働にあたる)のには向いてないのである。

 これらは少子化うつ病、成人病、過労、自殺、アレルギーなどを引き起こしている。

例5、l 美醜について  一般に資本主義が進展するほど醜いものが増え、美しいものは減少する;

 建築物;西洋、東洋、日本問わず、寺院、教会といった古来の建築物は、ビルに代表される現代的建築物に比して美しいように私は感ずる。

 都市;資本主義の進んでない都市の方が資本主義の進んでる都市より美しい気がする。 (例;モスクワとニューヨークや東京、テレビ映像で観た感想です。)

作業機械;昔の鉈、のこ切り、鎌で作業する音は、ガソリンエンジンで動く、草刈り機、チェーンソー、コンバイン、トラクターのエンジン音より美しい。 もしかしたら人間もそうかも知れない。

 

3、 【経済社会宗教】の概念について

 現在、人類、地球が抱える大きな問題である、温暖化、異常気象、南北格差、核、少子化(日本)、人の幸福の減少といったものの解消、解決は【行き過ぎた資本主義】の延長上にある科学技術の進化、経済成長、あるいは現行の社会システムの延長上によって行われるとは考え難い。

 それらの問題や【過剰資本主義】に歯止めをかける1つの有力な方法として【脱資本主義のライフスタイル】を述べて来た。(有力な1つの方法としたが私はこれ以外、思い浮かばない ※ ただ、コロナ以前に過剰資本主義を止める術などないと私は考えていたが大自然はコロナという形の想像を越えた事象、毒は毒を以て制す的な方法で経済活動を鈍化させた。それゆえ、同様に私などには想像すらできない何らかの新社会システムは存在するのかも知れない)

 この【脱資本主義のライフスタイル】を人々が採用する事で【過剰資本主義】を抑制するのは【経済活動における人間1人1人の心、考え方の変化、そして、それら心の変化に端を発する生産、消費活動といった行動の変化】に託すという点でボトムアップ的な方法である。

 このボトムアップ式は、資本主義に変わる新たな新社会システムが発明されて各国で採用されたり、コロナの影響の如く上からの強制力を持つような、トップダウン的なもので【過剰資本主義】を抑制するものではない。

 前者のボトムアップ型の社会変革は草の根活動的なもの、という点では宗教の如き性格を帯びている。

 かつて、貨幣経済が今日ほどまでに発展していなかった、無秩序と混乱が横行する時代に人類の苦しみに対処し、生活に指針を与える宗教が起こった。仏教、キリスト教イスラムゾロアスター教などである。

 宗教は心に大きな影響を及ぼし、日常の生活様式に様々な指針を与える。

 貨幣経済が発達した現代は、日常生活は古の昔よりも秩序的なものになっている。しかし経済社会の方は古の昔の日常生活のように混乱、無秩序、経済的暴力が横行しているように思われる。

 このような時世だからこそ、かつて古の昔の日常生活に宗教が指針を与えた如くに、経済社会、経済活動に指針を与えるような【宗教の現代アップグレード版】あるいは【経済活動、経済社会における宗教】のようなものが経済社会に秩序をもたらし、経済的暴力の横行を取り除くために有用なのかも知れない。

 そのような経済における宗教を仮に便宜上【経済社会宗教】と呼ぶことにする。

【経済社会宗教】と言う名を用いたが、役割は経済社会の中での生活、即ち消費(=買い物)、生産(=労働)などといったものの仕方に指針を与うるのみである。

 宗教における神の存在などの役割はもちろん担わない。

 別の言い方をするならば、釈迦やキリストが現代をもし目の当たりにするならば、買い物(≒消費活動)、労働(≒生産活動)といった経済活動に関しても何らかの言及をされたはずであると私は考える。その言葉に近いものを推測し、目指し再現した指針が【経済社会宗教】とも言える。

  上記要約や、真留句はこう言った 本編や文章版では、消費(=買い物)や生産(=労働)といった経済活動における、お薦め行動が語られている。

 その意味では【真留句はこう言った】はある1つの【経済社会宗教】の経典とも言えて、真留句はその伝道者の1人とも言える。

 他のブログ、セミリアイヤ系のブログなど見させて頂くと、【経済社会宗教】の優れた教えを披露されてる方を見かける。その方々もご本人にその自覚があるのかは定かではないが、【経済社会宗教の伝道者】の1人と言えるかも知れない。

 現在、セミリタイヤのライフスタイルの方が少なくとも旧来の過剰資本主義的ライフスタイルよりも幸福度が高く、適したライフスタイルのように私には思われる。(私はセミリタイヤ系の方の多くが収入源に挙げる不労所得には懐疑的、反対ではあるが。先ず「自分がやられて嫌なことは、他人にもすべきではない」はゴールデンルールと言えそうなので採用する、仮定することにする。誰かが不労所得を得るという事は、他の誰かが労働の正当な対価を得ることができないことを意味する。労働の正当な対価が得られないこと、低賃金が最近の問題の世の中で、不労所得を追い求めるのはミイラ取りがミイラになる、という部分と先ほどのゴールデンルールに抵触することだと私は思う。)

 このように、現在、旧来の資本主義のほころびが大きくなって、新たなライフスタイルへの転換が世界で始まっているような気がする。    かつて様々な宗教が人々の生活に規範、秩序をもたらしたように、今日の混乱、無秩序、経済的暴力が横行する経済社会に様々な正しい【経済社会宗教】が人々を苦しみから解放し幸福と良い意味での混沌をもたらす事をここに祈る。 

(※ 良い意味での混沌 = 発展途上国、第3世界や昔の日本の市場(いちば)や屋台形式のお店などがある場のイメージ。カオスながらも活気に満ちた場。)

 

 4、まとめ  

ここでは以上まで書いた事柄をまとめたり、補足事項を書いてみる事にする。  まずは繰り返し、まとめとなる以下の主張をする;    【1】・・・次のライフスタイルは、だいたい同じライフスタイルになる、一致、重複する部分が多い、大雑把には異名同ライフスタイルとなる; ポストコロナのライフスタイル、反資本主義のライフスタイル、温暖化抑制、持続可能な(SDGsな)ライフスタイル、現代の人間の精神的苦痛、生きづらさを軽減し幸福度が高いライフスタイル

 以上の異名同ライフスタイルをまとめて【脱資本主義のライフスタイル】と呼ぶ事にする。

 ここでポストコロナのライフスタイルとはコロナ対応に適したライフスタイルの事であり、反過剰資本主義主義のライフスタイルとは、資本主義を抑制するようなライフスタイルである。

 驚くべき事に緊急の課題であるコロナ対応に適したライフスタイル、そして将来、コロナ問題以上に大きな問題をもたらすであろう温暖化、異常気象、それを抑制するようなライフスタイルが大雑把には一致しており、なおかつ、現代的生きづらさを軽減し幸福度を高めるライフスタイルでもあるのである。

次に【脱資本主義のライフスタイル】の具体的な形を与える次の主張をする;

【2】・・・【脱資本主義のライフスタイル】の大きな方向性は【昔のライフスタイル】で与えられ、その中でも特に大きな柱となるのは、

● 消費と生産は、ローカルに行われる。即ち、地産地消である。

● 消費と生産は衣食住に重点を置く。

 即ち、1次産業(典型的なのは農業)を複業に組み込むこと。そして他方、消費時は1次産業の商品にお金をかけること、ウェイトを置く。

 ※ 上記の2つを因数分解的にまとめた表現にすれば、 【一次産業にウェイトを置いて、ローカルに生産、消費を行う。】 となる。

● DIYを推進する。 である。  

【脱資本主義のライフスタイル】とは【昔のライフスタイルそのものや、その構造なり骨格を基本に使って、さらに現代技術のうちの有用で弊害の少ないもの取り入れたをライフスタイル】というものになると思われる。昔のライフスタイルを適切な取捨選択で現代版にアップグレードするのである。

 しかしながら、いきなりそのような【脱資本主義のライフスタイル】の状態に持って行くのは難しいので過渡的に当面は逆に弊害の多い現代のライフスタイルを核にしつつ昔のライフスタイルを取り入れる、といったものになるだろう。

 (※ 過渡戦略については 真留句はこう言った コロナ以前ー15A 人生三分の計もご参照のこと。)

 ここで時間的な各段階における混合比率、割合、取捨選択は各個人の置かれた状況、環境に応じて人それぞれである。

 昔のライフスタイルと現代のライフスタイルの狭間で度合いを加減して、ちょうど良い新ライフスタイルのバランスを見つけることは、あたかも料理でちょうど良い塩加減を見つけるのと似てるかも知れない。

 そして順次、だんだん昔のライフスタイルの部分を増やし、現代的ライフスタイルを減少させるのである。

 単に昔の生活に戻るのではなく現代にある科学技術や文化のうち、有用なものは残し、無駄なもの、弊害の多いものはそぎ落として、捨てて、昔のライフスタイルを取り入れるのが良いと思われる。

 ここでコロナの託宣とも言える2つのメッセージを書いて置くことにする、どちらも既に述べた事である。

【ヴァーチャルはグローバルに、リアルはローカルに】

【衣食住(特に食べ物)に生産、消費のウェイトを置く】

これはまた似た別の表現をすれば

【情報はグローバルに、現物はローカルに】 【交換価値から使用価値へのウェイトの転換】(経済学用語を用いるならば) となる。

 

 この記事も終わりに近づいてきた。ブログとしては長文をここまで読んで下さった事に感謝したい。

 ここまで、お読みになって、概ね、内容に同意されるならば、全てが実践可能ではないだろうから、実践可能なものを選択して、部分的にでも実践される事を願う。それは私の提示する方向性に少しずつでも歩みを進める事を意味する。それは、経済的には貧しい道かも知れないが、現行の行き過ぎた資本主義とそれに基づく社会システムが綻びを見せ始めている現代において、採用者に有利な道、助けとなる知見を提供しているものと私は信じている。おこがましくはあるが。

 またこの記事やブログの内容における問題点や欠点、抜けてる点のご指摘をコメント下されば幸いに思う。また、その際には、それらの問題点などの解決策までも考えてご指摘下されば、なお有難い。

 またブログの内容に概ね賛同できない、という場合でも、せめて、部分的にでも役立つ部分があれば幸いである。賛同しかねるのに大分の部分をお読み下さった事は有難いことである。

 いずれにせよ、何らかの形でこの記事やブログが読者の知見の補助になったり、役に立つならば幸いである。

 

5、要約のおわりに  

例え2020年末現在におけるコロナの災厄を科学の力で抑えたとしても、今後、また高い確率で第2のコロナが世界に対峙すると私は考えている。

 ここで第2のコロナというのは、またウィルスかも知れないし、超異常気象など別の災厄かも知れない。人類、社会のライフスタイルに大きな影響を与えるような、広義の意味での大事象(大きな事象、イベント)という意味で【第2のコロナ】という言葉を用いている。

 現在の資本主義のレールの上で、その場限りの対処を科学の力で行う事はイタチごっこで限りが無く、その度に人類は大きく疲弊するだろう。

 だから、私は根本的に人類がライフスタイルを転換しない限り、ずっと何度もいろんな災厄に姿を変えたコロナに対峙し続ける事となると思う。

 そのコロナの輪廻から脱する方法は決して未知の方法ではなく、この要約で述べ続けて来た【ポストコロナのライフスタイル】≒【脱資本主義のライフスタイル】≒【昔のライフスタイル(の現代アップグレード番)】であると私は考える。  これらのライフスタイル、あるいは他の適切な方法があるならば、それを、世界が、国が、コミュニティが、家族が、個人が、同志が、採択する事を祈る。

 

初投稿日 2020年秋

最終改訂日 2023年1月22日