真留句通信 2022年4月
最近、更新しておりませんでした。心優しき読者の中には身を案じて心配して下さってる方もいらっしゃるとも思い、無事であることをご報告する次第です。
忙しく時間不足で更新できない部分、あります。「忙しい」とは心が亡くなると書きますが、何となく、的を得た漢字の作りだな、と感じる日々も長いものとなっております。
☆ 以下は2021年8月の真留句通信
〇 東京オリンピックについて
私はオリンピックの開催は反対です。
テレビも家に無いことですし、オリンピックに興味がそれほどある訳でもなく、観てません。
しかし開会式の選手入場時にゲーム音楽が使われたとのこと。この事は私の心を動かす部分がありました。ネットニュースを見るとドラクエやFFの音楽が使われ、「胸アツ」「感動」「鳥肌」とかの感想多いそうです。
それまでは中止、反対の意見が多かったネットでも、肯定的な流れが生じたとのこと。
選曲や、各曲のヴァージョンも練られてるみたいでマニアも絶賛のようです。
確かにゲーム、特にRPGというのはゲームの世界を疑似体験しているわけですから、使用されたゲームをプレイしたことのある人なら強く心を揺り動かされるのも無理はない気がします、かく言う私もそのひとり。
● 脱線しますが、私が使われたゲーム音楽の中で知ってたのは、ドラクエ、FF、サガメドレー、グラディウスのみです。モンハンとかは知りません。
ただドラクエ、FF、サガシリーズはかなり時間をともにしたゲームなので私も感慨深いものがあります。 開会式にゲーム音楽を使うアイディア、一本取られた、という感じで、アイディアを称えたいです。
さて私は特にサガシリーズの音楽が好きで、特にサガフロンティア2(以下サガフロ2)の音楽が好きです。ゲーム音楽の中でも1番好きかも知れません。
音楽、ブログでいろいろ書く割にあまり詳しくないのですが、サガフロ2は同じ音形(モティーフというのでしょうか)で幾つもの曲が作られています。ある曲で用いられた音形がテンポや音程、音色を変えて別の曲に登場する。それがどうも、心地良さというか、聴いていて耳に馴染むような気がします。
サガフロ2はそれまでのゲームボーイ版サガシリーズ、ロマンシングサガシリーズとは別の方が作曲担当のようです。
しかしゲームボーイ版サガシリーズやロマンシングサガの音楽も私は好きです。
特にロマンシングサガ2の音楽もかなり好きです。実のところサガフロ2と甲乙つけ難いといいますか。ロマサガの音楽の方が好きという人も多いと思います。
サガフロ2とロマサガ2では音楽の方向性が違うような気がします。そして、どちらも良い。比べる事の出来ない魅力がどちらにもあります。
ロマサガ2の音楽は感情、心に響くような気がします。七英雄とのバトルシーンの音楽なんかは圧巻です。
対してサガフロ2の音楽はロマサガ2ほど感情や心に訴える部分は無いのですが、先ほど書いた、同じ音形による作曲技法などで理性に訴える部分があって、聴いていて心地良い。このあたりが自分は好きなのかな、と思ったりもします。
● 脱線から元に戻ります。
このようにして私もオリンピックの開会式に私の人生でも大きなウェイトを持つゲーム音楽が使われたことで感慨深いものを感じたわけです。
しかし、よくよく考えてみると、ナチス政権下のドイツにおいてワーグナーの楽劇を観たドイツ人も似たような感情を抱いたかも知れないな、と思いました。
なお、日本はオリンピックをコロナ下で開催しましたが、仮にロシアが開催国だった場合、開催しなかったような気がしまし。
プーチン大統領なら、きっぱり開催を拒否したのではないか、そんな気がします。プーチン大統領のことは断片的にしか知りませんが、独裁とか言われますが自国民をしっかり守るという信念があるような気がします。
真留句といい、共産びいきみたいですが、あくまで、私は共産主義者ではありません、いちおう。
かくの如く、音楽、それからストイックに鍛錬を重ねて来たスポーツ選手のパフォーマンスは感情に訴えるところあり、7月29日現在、世論も中止、反対派より肯定派が盛り返した感があります。
しかし私は総合的にはやはり反対派です。
良い事の中にも、悪い面はあるし、
悪い事の中にも、良い面はある
ある方の言葉です。
オリンピックの良い面と、悪い面、両方を天秤にかけると、悪影響の方が多いと私は考えます。
確かに開会式にゲーム音楽を使うアイディアや選曲の周到さは脱帽する部分あり、選手のパフォーマンスも感動的です。
しかしコロナ影響の拡大によるコロナの死者、重症者、医療関係の方への負担、それから経済活動の機能不全の影響を考慮すると、負の面の方が大きいのではないか。
オリンピックはハレであって、あくまで贅沢の一面があります。それと引き換えに日常、必要最低限の生活が脅かされるのは、妥当な判断とは思えません。
スポーツ選手のストイックな鍛錬は真似できず、すごいことです。(一般人で過労とかも問題になっておりますのでスポーツ選手以上に過酷な生活をしてる庶民も多いと思います)が、スポーツ選手も一種の行き過ぎた分業社会によって生じた職業とするならば、やはり飲食業、観光業、職業芸術家に与えたのと同様、コロナは行き過ぎた分業システムに打撃を与える、という特徴を持つようです。
職業芸術家、職業スポーツ選手、飲食業、観光業といった極度に分業化された職業で生計を立てることができるのは資本主義的経済システムがうまく機能しているという、我々にとってはごく当たり前に感じられたが、実は特殊な状況下のみなのかも知れません。
コロナ下、温暖化状況下ではあたかも砂漠ではダイヤモンドを放棄し水を重んじるが如くに上記の考えを改めるべきなのかも知れません。
経済成長真っ只中で行われた1964年の東京オリンピック、そして今回の東京オリンピック。1964年を曙光と呼ぶには遅いかも知れませんが2021年は黄昏、そんなイメージが沸き起こってきます。